前回にひきつづき、「活字から、ウェブへの……。」特集にお寄せいただいたエッセイをご紹介しましょう。

佐藤卓己さんは「活字がニュー・メディアになる未来」と題して、活字より先にウェブが普及したパラレル・ワールドを想定するという「思考実験」をなさっています。

……ウェブ文化の伝統で育った年長世代のノマド(遊牧民)は、読書をするヤング・ジェネレーションについて、ブログにこんな書き込みをした。

書物は五感を鈍らせ、私たちの生活から活力を奪っている。色鮮やかで、躍動感あるデジタル映像の伝統に育まれた感性は、白黒だけの退屈な活字の中では窒息してしまう。感覚皮質や運動皮質など脳全体をフル稼働させるウェブ文化に対して、読書中の言語処理で利用される脳領域はごくわずかであり、このままでは恐るべき「読書脳」が未来の子どもたちを蝕んでしまう。

ウェブと活字を対立させる考え方の不毛さが、この歴史を逆転させた仮定によって、くっきりと見えてきます。野口悠紀雄さんは、「情報の生産者に利益を与えるような新しい仕組みは可能か?」と問いかけ、武田徹さんは、「ネットは、マスメディアの『オルタナティブ』から卒業できるか」で個人に根ざした新しいジャーナリズムをネットに探る方法を考えます。

また、「メディアの上に流れるコンテンツとは別に、『メディアのあり方』そのものが社会に大きな影響を与える」という滑川海彦さんのエッセイ「アイコンの銀河系へ」は、ウェブ上で全文をお読みいただけます。ぜひごらんになってみてください。

デザイナーの木村裕治さんは、すでにほぼすべてがコンピューター上の作業に置き換わっているデザインの世界で、紙の時代に培われた「手をつかえ」という教えがどんな風に生きているかを、いしいしんじさんは、「『自分の字』の現在、未来」で小学校で出張授業をしたときの子どもたちの字と身体の動きから始め、おかあさんから届いたメールにちりばめられた絵文字に思うことを書いてくださいました。

加藤典洋さんは、ワープロの黎明期、せっかく書いた原稿が誤って削除ボタンを押したばっかりに消えてしまっても、その絶望を家族にすら理解してもらえなかった、その時代を回想し、「消滅」について考えます。

言葉はいったん情報になったら、もう消えない。消えることができない。では言葉の中の「消える部分」とは何なのか。

技術的であると同時に哲学的な問いでもある、「電子活字はどうすれば死ぬことができるのか」をぜひお読みいただければと思います。