老年には「問題」がつきものです。病気はもちろん、年金や医療保険制度が語られるときにも、老年期にある人々の数が問題の根源にあると平然と指摘する。アンチ・エイジングなんて、考えようによってはずいぶん失礼な言葉まで登場しています。

「考える人」の編集の現場でつくづく思うのは、お目にかかるはるか年長の方々のお話ほど面白いものはないということです。戦前、戦後から今日にいたるまで、みずから選んだ道を、あるいは偶然踏み入れてきた道を、一歩ずつ歩んでこられた一回かぎりの経験が、その人のたたずまいに、表情に、何か目に見える「しるし」のようなものを与えている気がするのです。

 老年になれば、身体の不調やままならないことも増えるでしょう。しかし、私たちがお目にかかる老年期にある方々になぜか共通するのは、とらわれから自由に見えること。精神のみずみずしさを失わず、ものごとを見極める視線に曇りがない。二十も三十も年下であるわれわれのほうが、はるかに保守的で、高をくくった生き方をしてきたのではないか、と思うこともしばしばです。お目にかかったあとは、こちらの心や頭のなかまで風通しがよくなってくる。
      
『「痴呆老人」は何を見ているか』(新潮新書)で、私たちの抱いている認知症の既成概念をあざやかに一変させてしまった臨床医・大井玄さんは、ロングインタビューで、こう答えています。

「人間がヒトとして生きるようになってから、すでに数百万年が経っている。ですから、その時間の流れのなかで相対的に考えれば、十万年前に生まれた言葉は、まだ使い始めて間もないものなんですね。終末期医療にかかわっていると、いつもそのことを感じます。終末期医療においては論理的な言葉というのはほとんど効果がない」

 私たちは「老い」というものを、ひとつの見方、くくり方、語り方で性急にまとめすぎてきたのではないか。大井さんのお話をうかがいながらしきりにそんなことを思いました。また、橋本治さんもロングインタビューをこのように切り出しています。

「年をとるってどういうことかというと、自分が年をとっているということをつねに発見しつづけることみたいですよ。老いというのは、どの人にとっても、実際にその年になってみないと想像できない未知の領域なんだと思う。若い人だけじゃなく、老人にとってもそうなんでしょう」

 さまざまな方に、「老い」についてうかがいました。私たちの「老い」への見方、考え方を気持ちよく裏切ってくれるような話もたくさん集まりました。28日発売です。どうぞご期待ください。