Kangaeruhito HTML Mail Magazine 578
 
 翻訳という夢を生きて
 
 なんともイヤな事件です。「アンネの日記」や関連書籍が、東京や横浜の図書館で300冊以上も破られていたという事件。誰が、なぜ? というのはまだ憶測の域を出ませんが、まったく気の滅入る話です。加えて、ロシアがウクライナに軍事介入するという動き。情勢は次第に緊迫の度を増しています。

 そんなタイミングで、たまたまこの二つの出来事につながりのある映画が公開されました。2011年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で優秀賞・市民賞を受賞した「ドストエフスキーと愛に生きる」(原題は「五頭の象と生きる女」)です。

 全篇が詩情あふれる映像と、美しい言葉の響きに満たされた圧倒的な作品です。気の滅入る事件の“口直し”はもちろんのこと、かき乱された心をも安らげてくれる、静謐で、ゆたかな時間がそこにはゆったりと流れています。

 主人公はドイツを代表するロシア文学の翻訳者スヴェトラーナ・ガイヤーさん。すでに2010年11月に87歳で亡くなっていますが、映画は最晩年の2006年から撮影されました。原題の「五頭の象」とは、90年代から彼女が新訳に着手したドストエフスキーの5大長編小説――「罪と罰」、「白痴」、「悪霊」、「未成年」、「カラマーゾフの兄弟」を巨大な“象”に見立てたものです。タイトルだけを眺めると、世界文学の偉大な作品に生涯を捧げた「文学的」なドキュメンタリーだと予想する人が大半でしょう。私自身もたぶんにそうでした。

 ところが、見終わってしまうと、彼女が優れた翻訳者であることなど、実は「どちらでもいいこと」(柴田元幸)に思えてしまうほど、もっと根源的なテーマ――生きることについての深い省察に導かれる作品なのだと気づきます。

 たしかに、翻訳家としての彼女の献身的な仕事ぶりが作品の基調になっていることは間違いありません。翻訳の口述に取りかかろうとする瞬間の、最初のひと言が発せられるまでのおごそかな緊張感。原作の世界をありのままに感受し、さらにそれを別の言語に正確に移しかえようとする、無償の願い。そのエロティックなまでの言葉との交感が、テキストと触れ合う彼女の真剣な姿を通して伝わってきます。
「(夜の書斎で、翻訳の)準備をしていると、優れた文章だけに起こる不思議なことがある。文章が自ら動き出す。それは突然起こる。何度も目を通した文章なのに、不意に未知のものが見えてくる。汲めども尽きぬ言葉の織物。そのような文章はすでに訳したことがあっても、汲み尽くせない。おそらくそれこそが最高の価値を持った文章である証拠。それを読み取らねば」
 
 しかし、全体の印象からすれば、翻訳の仕事はこの作品のひとつの柱に過ぎません。むしろそれを包み込むように、静かに流れていく、落ち着いた日常が魅力的です。買い物に行き、料理を作り、お茶のひと時を楽しみ、訪れてきた孫やひ孫たちをもてなす、繊細でシンプルな暮らし。家の中には、長い間丁寧に扱われ、主(あるじ)に寄り添うようなかたちで時を刻んできた家具や雑貨が置かれています。居心地のよさそうな、あたたかで威厳と気品のあるたたずまいは、彼女の心映えそのもののようです。
 気がつくと、84歳の老女の表情にひたすら目をひきつけられていました。精気に満ちたまなざし、陰影のある表情。深い皺の刻まれた手や指の動き。そして、語られるひと言ひと言に、耳を澄ませていました。的確で、思慮深く、ウィットがあり、優しい言葉づかいもまた、彼女の暮らしぶりそのものです。

 作品の序盤に、アイロン台を組み立てる場面がいきなり登場します。いったい何が始まるのかと思っていると、本当にアイロンかけでした。その時、彼女が語ります。「洗濯をすると繊維は方向性を失う。その糸の方向をもう一度整えてやらねばならない。織りあわされた糸、文章も織物と同じこと」。つまり、テキスト(文章)とテキスタイル(織物)は同じラテン語の「織る」から生まれた言葉であって、1本1本の糸が絡み合い、織り合わされて生地ができるのと同じように、文学もまた言葉の織物だ、と。
 彼女が語るからこそ、胸にストンと落ちる言葉です。

 一方で、その半生は波乱に満ちたものでした。1923年、ウクライナ共和国のキエフに一人娘として生まれますが、15歳の時に、農学者だった父親がスターリンの大粛清の犠牲となり、逮捕されます。逮捕はすなわち処刑を意味する時代でしたが、父は18ヵ月後に奇跡的に釈放されます。しかし、獄中での拷問、虐待が原因で、山荘(ダーチャ)での介護もむなしく、半年後に死去します。「人民の敵」である政治犯の家族に将来はなく、彼女は母親の勧めで語学の習得に励みます。

 やがて高校を卒業した1941年、ドイツがソ連に侵攻してきます。キエフは占領され、スターリンのくびきから逃れた人々の間には、解放を喜ぶ空気もありました。ところが、間もなくユダヤ人に“退去命令”が出されます。「ヒトラーのユダヤ人嫌いは耳にしていたが、反ドイツの宣伝だろうと思っていた。まさか本気だったとは」――と誤解に気づくのは、集められた3万人以上ものユダヤ人が、わずか2日間で銃殺された「バビ・ヤール」の惨劇が起こってからでした。
 
「銃声が聞こえ続けて鳴り止まなかった。今も忘れられない。今でも胸が痛む。話すだけで60年前のことがありありと蘇ってくる」
 
 ただ、彼女には運命的な出会いがありました。ナチスの命令で東部戦線に司令官として送り込まれてきたドイツ人の貴族将校が、ドイツ語に堪能だった彼女を通訳として重用し、母娘に庇護の手を差し伸べたのです。プロイセン以来の誇り高き、教養のある軍人でした。制服姿の彼の写真をその後も大切に所持している彼女の発言は微妙です。

“対独協力者”という負い目と、この貴族将校への敬愛の念。それにもかかわらず、彼もまたバビ・ヤールの事件に無関係とは言いきれない心の揺らぎが、回想の言葉にもにじみます。決して癒されることのない深い傷が、ふと窺われる場面です。

 やがてドイツ軍は劣勢に追い込まれ、2年後にキエフからの撤退を強いられます。“裏切り者(対独協力者)”の追及を恐れた母娘は、赤軍が戻ってくる前に故郷を去り、1943年、ドイツ・ドルトムントへと逃れます。すると、ここでもドイツ人の善意によって、彼女はフンボルト奨学金を得、フライブルク大学で学ぶ機会を与えられます。母娘二人に外国人在留パスポートの交付が許されます。ただし、この特例措置を講じたゲシュタポ職員は、後にこの責任を追及され、東部戦線への転属を命じられます。
 
「知人でもなく、その必要もないのに私の前に立って守ってくれた。ドイツは敗北寸前。情勢は明らかだった。なのに、この恩情。私はドイツという国に尊敬の念を抱いた。だからほんの少しずつでもドイツにお返しできるのが嬉しい」
 
「どんなに苛酷な運命でも、本が好きだから乗り越えられた」という彼女は、やがてロシア文学のドイツ語への翻訳という道を選びます。スターリニズム、ナチス占領下の故国を生き抜くために必要だったドイツ語は、戦後、異郷にあっては自分の根っこ(ルーツ)につながるための通路(ルート)となったのです。
 映画がきっかけとなって、65年ぶりに故郷ウクライナに帰った彼女は、懐かしい場所をめぐります。かつての住居、ウラジーミル大聖堂、父の墓を訪ね、そして家族3人で夏を過ごした思い出の山荘を探します。しかし、「死ぬまでにもう一度、コウノトリの来る泉の水を飲みたかった」という願いは、とうとう叶えられませんでした――。故郷喪失の哀しみは、厳寒の雪景色の中で印象的です。
 
〈悲しまず 叫ばず 泣きもせず
 すべては消え去る
 はかなくも リンゴの白い花のように〉
 
 旅から戻った彼女を待ち受けていたのも、悲しい報でした。不慮の事故に巻き込まれ、半身不随で入院していた最愛の息子が亡くなったのです。一気に孤独の影が深まります。

 ここで冒頭シーンが思い浮かびます。真っ暗な画面にうすぼんやりと何かが現れてきます。やがてそれは、鉄橋であると分かります。そこを夜汽車が通過していきます。逆方向から来た列車とすれ違います。それは作品全体を象徴している風景だと改めて思いいたります。

 川のこちら側がドイツ、向こう側がロシア、あるいはその逆かもしれません。川をはさんでの往還が、すなわち翻訳という営為でしょう。翻訳者とはこの鉄橋のような存在。ドイツ語とロシア語の仲介者であると同時に、現在と過去、生者と死者、異郷の地と失われた故郷との間に横たわる深い川の架け橋なのでしょう。つまり翻訳とは、彼女の人生全体の隠喩(メタファー)であったのだ、と分かります。
「本を前にして翻訳する時、文の始まりは左上で終わりは右下だと思っている。私の先生は最高の人で、翻訳する時にドイツ語で言われた言葉がある。“翻訳する時は鼻を上げよ”。……一番大事なこと。翻訳とは左から右への尺取虫じゃない。翻訳は全体が大事。文章の全体を自分の中に取り込む。ドイツ語では“内面化する”と言う。文章を自分の内側に取り込んで、心と一体化する。翻訳する時は鼻を上げよ」
 
 作品の冒頭で、「私には人生に負い目がある」と告白した彼女は、最後に感慨をこめ、継続への意志を語ります。
 
〈人はなぜ翻訳するのか? きっと逃れ去ってゆくものへの憧れかもしれない。手の届かぬオリジナル、究極の本質への憧れ……。途方もない言葉だわ。“憧れ”――何て素敵な言葉かしら〉
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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