Kangaeruhito HTML Mail Magazine 582
 
 やよ 忘るな
 
 4月に入り、季節は卒業式から入学式へと移り変わっていますが、そんな時に面白いCDと出会いました。「仰げば尊しのすべて」(キングレコード)――。

 卒業式の定番メロディーとして親しまれてきた「仰げば尊し」のさまざまな演奏を集め、この曲に関する最新の研究成果を盛り込んだユニークな企画(実に52ページにおよぶ詳細な解説書付き)で、2月に発売されたばかりです。

 ちょうど3年前に、この歌の原曲がついにアメリカで見つかった、というニュースが話題になりました。「一橋大名誉教授 ネット活用し発見」と、最初に報じた朝日新聞(2011年1月24日夕刊)は次のように伝えています。
 
〈かつては卒業式でよく歌われ、アイドルグループ「AKB48」のヒット曲「10年桜」でもメロディーの一部が使われた唱歌「あおげば尊し」の原曲とみられる歌が見つかった。作者不詳で研究者の間では「小学唱歌集の最大の謎」とされてきたが、米国で19世紀後半に初めて世に出た「卒業の歌」の旋律が同じであることを、一橋大名誉教授(英語学・英米民謡)の桜井雅人さん(67)が突き止めた〉

 
 原曲は「ソング・フォア・ザ・クローズ・オブ・スクール」で、やはり卒業式のための歌でした。『ザ・ソング・エコー』という1871年にアメリカで出版された歌集に収録されているのを、長年小学唱歌集の原曲を独自に探索していた桜井さんが発見。楽譜以外に何ひとつ手がかりのなかった「謎だらけの歌」の出自がようやく解明されたのです。

 作詞はT・H・ブロズナン、作曲はH・N・Dとイニシャルがあるだけで、どのような人物かは定かでありません。また、この歌集『ザ・ソング・エコー』がどのような経路で日本に入ってきたか、そしてさほど目立たないところに載っていた「ソング・フォア・ザ・クローズ・オブ・スクール」を誰が見出し、選曲したかは、依然として謎のままです。

 CD解説書に寄せた桜井さんの文章によると、本国における「ソング・フォア・ザ・クローズ・オブ・スクール」は、「1871年6月にニューハンプシャー州の学校の卒業式で歌われたことがあるとの記録が残っているが、それ以降のことはわからない」とあり、「本国では超無名曲であったことがはっきりしている」と記されています。

 ともあれ、この曲が何らかのルートで明治の日本にもたらされ、文部省が1882年(明治15年)から発行していた「小学唱歌集」の「第3編」(1884年発行)に第53「あふげばたふとし」として掲載されました。前年の1883年7月11日には、音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり・東京芸術大学の前身)の期末演習会で初めて披露されますが、詳細は不明とのこと。CDには1885年7月20日、音楽取調掛の第1回卒業演習会で歌われた時の再現演奏が収められています。筝2面、バイオリン代わりに胡弓が伴奏に用いられているのが興味深く、これを機に卒業式の定番メロディーとして広まったようです。ちなみにこの時の卒業生は市川道、幸田延、遠山甲子の女性3名でした。

 ややマニアックな話になりますが、アメリカの原曲をテキサス大学エルパソ校大学合唱団が歌ったものがCDには収められています。「原譜に忠実に演奏した音源」を求めた結果、彼らの協力を得ることになったそうですが、1番の訳詩を見るかぎりでも、印象はまったく異なります。
 
 
 
〈今日は我らの別れの日。ことによるとお会いするのは
 神が我らを天国にお召しになる時。
 我らはこの教室を歩み出て、
 一人で、たった一人でさまよいだすのだ。
 子どもの頃に知り合った友だちは
 昔の記憶の中のみに生き続ける。
 だが、愛と光に満ちた神の国で
 最後に我らはまた再びまみえんことを〉
 
 これが私たちのよく知る「仰げば尊し」の歌詞になっていく過程も興味深いものがあります。当時、音楽取調掛員であった大槻文彦、加部厳夫(かべいずお)、里見義(ただし)の三者が合議で練り上げたそうですが、大槻はその後わが国初の近代的国語辞典『言海』を編纂した人物ですし、三人ともに「江戸以来の国学の教養を身につけた国語・国文学者たち」です。文部省が「国民音楽の創出に向けて総力体制で臨んでいた」様子が窺い知れます。
 
 
〈1.仰げば 尊し 我が師の恩
  教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)
  思えば いと疾(と)し この年月(としつき)
  今こそ 別れめ いざさらば
 2.互(たがい)に睦(むつみ)し 日ごろの恩
  別(わか)るる後(のち)にも やよ 忘るな
  身を立て 名をあげ やよ 励めよ
  今こそ 別れめ いざさらば
 3.朝夕 馴(な)れにし 学びの窓
  蛍の灯火(ともしび) 積む白雪(しらゆき)
  忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月
  今こそ 別れめ いざさらば〉
 
 戦後、次第に問題視されるようになったのは2番の歌詞です。「身を立て 名をあげ」は明治の立身出世主義が前面に出ており、「一人ひとりが自分の良さを生かして社会に貢献することが求められている現代の価値観と合わない」、「時勢にそぐわない」といった批判が教育現場を中心にして巻き起こり、2番を削除する動きが昭和30年代前半を皮切りに、右肩上がりで増えていきました。いまでも歌そのものは、小・中学校の卒業学年用の音楽教科書にほぼ100%掲載されていますが、2番の歌詞もまたほぼ100%削除されている、といいます(*)。

 もともとは中国古典『孝経(こうきょう)』にある「立身行道揚名于後世、以顕父母孝之終也」からの借用で、親孝行の必要性を説いた儒教的な文脈で使われた言葉でした。昭和40年代の卒業式で歌った私自身の思い出でいえば、親孝行という認識はもはやほとんどありませんでした。かといって、いわゆる世俗的な立身出世だと解釈していたわけでもなく、「自立自助」の精神を説いているものだろう、と勝手に受け止めていました。

 教師自らが「わが師の恩」などと“歌わせる”のはおかしい、という批判も強かったらしく、ある全国調査によれば、いまでは小学校の卒業式で11.1%、中学校では25.4%しか歌われなくなりました(*)。

 それに代わって、現場の中学教師たちが作った「旅立ちの日に」や、「海援隊」の「贈る言葉」、ユーミンの「卒業写真」、「赤い鳥」の「翼をください」、森山直太朗の「さくら」、アンジェラ・アキの「手紙~拝啓十五の君へ」などが歌われているとか。誰かがすすり泣く声を聞きながら、「仰げば尊し」、「蛍の光」を歌った世代としては「うたた今昔の感」があります。

 CDの中で心に沁みたのは、やはり木下恵介監督「二十四の瞳」の劇中歌でした。その場面がありありとよみがえります。瀬戸内海に浮かぶ小豆島の岬の分教場に、「おなご先生が洋服を着て自転車に乗って現れた」という“事件”から始まる物語が、やがて6年の歳月を経て、子どもたちが尋常小学校を卒業していくシーンへとたどり着きます。そこまでに満州事変、上海事変、昭和の大不況、“危険思想”取締りの波が、小さな島の日常にも次第に押し寄せてきます。逮捕される男先生、奉公に出される女の子、没落していく旧家の子……ただでさえ貧しい島の子どもたちの前途には苦難が待ち構えています。そうした暗雲がたちこめる中での卒業式です。

 タイトルバックにもエンディングにも使われている「仰げば尊し」ですが、この場面では、青空の下、校庭で生徒たちと教師が向かい合って立ちます。足踏み式オルガンの簡素な伴奏に合わせて歌う子どもたちの表情を、カメラがゆっくりととらえます。どの子の目にも涙があふれ、頬を伝います。「小石先生、小石先生」と慕われていた大石先生(高峰秀子)が、その次の新学期には教場を離れている(その時点ではまだ決断していない)転機をなす重要な場面です。

 映画が封切られた後に、高峰さんのもとには夥しいファンレターが届きました。たくさんの小学校教師からの手紙が、彼女を感動させました。
 
〈内容はほとんど同じで、要約すれば「この世に職業多しといえども、小学校教師ほど責任が重く、給料も少なく、割に合わない仕事はない。今日やめようか、明日やめようかと思い悩んでいたとき、映画二十四の瞳を見て、やはり教師を続けることに決心した。大石先生を理想として努力をする」という手紙だった。……このような手紙を受けとるのは、面映(おもは)ゆくもあり、お門違いのような気もしたけれど、考えてみれば、役者冥利につきるということである。……二十余年の俳優商売が、間接的にでも、何かのお役に立ったということを生まれてはじめて実感し、あらためて俳優商売の責任の重大さを考えさせられたものである〉(高峰秀子『わたしの渡世日記』〔下〕新潮文庫)
 
 この作品にはたくさんの唱歌や童謡が挿入されています。「村の鍛冶屋」、「故郷(ふるさと)」、「七つの子」、「ひらいたひらいた」、「朧(おぼろ)月夜」、「荒城の月」、「星の世界」、「金比羅船々」、「浜辺の歌」、「埴生の宿」、「蛍の光」……歌い継がれてきたこれらの歌の生命力も映画の重要なメッセージです。その中でも卒業式で歌われる「仰げば尊し」のシーンは、壺井栄の原作にはなかった映画独自の着想です。

 この曲は、私自身も好きです。8分の6拍子、長調でありながら「ミミファソー」で始まるメランコリックな旋律は、心に響きます。「わが師の恩?」と思いたくなるような苦手な教師、嫌いな先生もいましたが、いい先生にもめぐり会いました。2番の歌詞をとやかく言うような風潮とも無縁でした。2番の歌詞は、むしろ気に入っていました。特に「やよ」という不思議な言葉――。

 解説書によれば、「感動詞。呼びかけのことば。『やあ』の意」とありますが、「やよ 忘るな」、「やよ 励めよ」は意味や解釈の範疇を超えて、この言葉の響きやリズムの中に、思わず口伝えしたくなるような力を感じます。「今こそ 別れめ(今こそ別れよう)」の句がもっとも引き立つのは2番ではないかと思っていました。

 この先、この歌がまた卒業ソングとして“復活”を遂げるかどうかは、これからの人たち次第でしょう。「二十四の瞳」の映画が公開されたのは昭和29年(1954年)です。私が生まれた翌年かと思うと、これまた往時茫々――。「思えば いと疾し」の60年です。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)

*ともにCD解説書所収の田中克己「戦後の『仰げば尊し』――音楽教科書・卒業式から」によります。ほかに、渡辺裕『歌う国民』中公新書を参照。
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