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写真集『島の美容室』(写真・文 福岡耕造、ボーダーインク)

 この島はしっくりきた

「おばあの頭が熱帯魚みたいさ」と言って表紙の写真を笑うのは、「うちな~噺家(はなしか)」の立川志ぃさーさん(*)。今週月曜日(5月26日)まで開かれていた本書刊行にちなんだ写真展「島の美容室」のトーク・イベントでのひとコマです。「沖縄のおばあというのは、なぜか短い髪をチリチリにして、パーマをなるべく強くかけるんだよね」と。

 美容師さんによれば、「オシャレっていうより、実用的なヘアースタイルをやっぱり島では求めているような気がします。すごく細いロットできつく巻くんです。襟足は刈り上げで、全体的にショートヘアー。農作業に行っても、パーマの上に手ぬぐいを巻いたりしやすいらしく、まぁ島での流行りですかね」。

 舞台となっているのは沖縄県の離島のひとつ、渡名喜(となき)島です。沖縄本島から北西に約60キロ。久米島、慶良間諸島、粟国島のほぼ中間にあって、空路はなく、本島との行き来は1日1便の船が頼りです。そのかわり、沖縄本島ではあまり見られなくなった伝統的な赤瓦の家屋、屋敷のまわりを囲むフクギの防風林、サンゴで組まれた石垣などの歴史的な町並みが保持されていて、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。
 

「島」というのは、定義によって数え方が変わってきますが、『日本統計年鑑』(総務省統計局)の最新データによれば、日本列島には6852の島があり、そのうち本州、北海道、四国、九州、沖縄本島の5つを除いた6847が離島とされます。さらに人の住んでいる島はそのうちの400ほどで、沖縄県にはその1割の40~50の有人島があるといわれます。

 人口が約400人という渡名喜島、そして隣に寄り添うようにして浮かぶ無人の入砂島との2島から成る渡名喜村は、面積が3・84平方キロメートルで、沖縄県では最小、日本でも2番目に小さい自治体です。

 そんな小さな島に写真家の福岡さんは2012年の梅雨明けから通い始め、それから1年間に7、8回(1回の滞在が3~4日)足を運びました。そもそもは沖縄県の離島ガイド・プロジェクト「おくなわ」――観光的に認知度の低い5つの先島(粟国島、渡名喜島、北大東島、南大東島、多良間島)の情報をもっと発信して、より多くの観光客を呼び込もう、という企画を依頼されたのがきっかけでした。

 ところが、事前に知らされた情報といえば、「人口400人ほどの小さな島で、観光スポットも限られているから一日あれば十分ですよ」という、いたって淡白なガイダンス。大きな期待を抱きようもなく、那覇市内泊港を朝8時半に出るフェリーに揺られて約2時間、初めて島に降り立ったのです。そして、昼時になって港の小さな食堂に入りました。すると、食堂のおばちゃんがしゃれた髪型をしているのが目につきます。

「そのカットいいですね、どこで切ったんですか?」と聞くと、「福田さんとこ。内地から毎月島へ来て美容室やってるのよ。いいでしょ~、いつもここよ!」という返事です。ふとひらめくものを感じました。聞けば、島には何年も美容室がなかったけれど、数年前からこの美容師さんが、毎月10日間ほどやって来て、美容室を開いているのだといいます。

 さっそくそこを訪ねてみると、ラッキーなことに、ちょうど美容師さんが来ている日でした。集落の民家が美容室になっていて、小さな木の看板に手彫りで「島の美容室」とありました。
 
〈室内はバリ風の雰囲気で、カット用の椅子、鏡、シャンプー台が一つずつ、待合室もあり、そこにはカット中の福田さんがいた。当時福田さんは50代前半だったと思うが焼けた肌で髪は長く、見た目はかなり若かった。こちらの趣旨を伝えると、「今日は90歳近い、いい感じのおばあがパーマかけに来ますよ」と、そのおばあの写真を撮らせてくれた〉(あとがき)
 
 これが最初の出会いです。美容師歴30年を超え、関東で3店舗を営業するという福田隆俊さんですが、旅をしていてふと立ち寄ったこの島が「妙にしっくりきた」と語ります。島には長い間美容室がなく、人々は船に乗ってわざわざ那覇まで髪を切りに行くと聞き、じっとしていられず、次にはハサミを持ってやって来ました。そして、「民宿の人たちの髪を切ってあげたら、とても喜ばれた。それで、茨城から毎月10日間ほど通って来て、島の人たちの髪を切るようになって、それが2008年から続いている」と。

 それにしても、なぜこの島なのか。毎月10日間、遠く茨城県から定期的に通い、民家を借りて美容室を作ろうとまで思い立ったのはどうしてなのか……。東京に戻ってから、福岡さんの中で興味が次第にふくらんできました。こうして島通いが始まります。

 内地から来た“やまとんちゅ”が家を借りて美容室を始めるには、やはりそれなりの苦労がありました。最初はことばも分からず、孤独感もつのったとか。それを救ってくれたのは、無邪気で素朴な子どもたちでした。美容室を見たことがない子も多く、珍しがって毎日のように遊びに来ました。本当に忙しくなったのは3年ほどしてから。「福田さんは、じょうず」という評判が、じわじわと広がった結果です。

 その忍耐のプロセスをなぞるかのように、撮影にもひと苦労がありました。写真を撮られることに慣れていない人たちに「いい表情」をしてもらうまでが大変です。
 
〈おばあ達は口を揃えて“こんな醜いおばあ撮ってたいへんさあ~、カメラが壊れるよ~”と顔を伏せた。いつまでも顔を伏せられると今後の撮影は大丈夫かと危惧した〉(同)
 
 子どもらとはすぐ打ち解けましたが、今度は小学校の教頭から厳しいお咎めを受けました。むやみに子どもにカメラを向けてはならない、という注意です。そんな予期せぬ障碍もありましたが、回を重ねるごとに島に溶け込んで、顔と名前を覚えてもらい、「また来たの~」と声がかかるようになりました。

 ずっと眺めていたくなる、気持のいい笑顔が並んでいます。「島の美容室」に集まってくる老若男女のポートレート。ヘミングウェイ似の真っ黒に日焼けした漁師のおじいは、髭剃り後のサッパリした顔がなんともいえません。中学卒業と同時に、高校のない島を離れて本島の高校へ進学する子どもたちのあどけない表情。「ユンタクはダンパチャーで」(おしゃべりは散髪屋で)を地で行くおばあたちの陽気な姿。
 

「うちな~噺家」立川志ぃさーさんは、NHK沖縄のラジオ番組で、取材スタッフが収録してきた“音”を最初に聞いたといいます。「ハサミのシャキシャキという小気味のいい音の向こうに、鳥のさえずりが聞こえている。おばあが美容師さんに何か楽しそうに話しかけている。素晴らしいと思った。それだけでパァーッと絵が浮かんできました」。

 それを聞いて、逆にすぐ思い浮かべたのがこの写真です。ハサミの音や鳥の声、おばあちゃんと福田さんのやりとりがそのまま聞こえてくるようです。光がいい具合に射し込んでいて、カットされた細かい髪の毛が宙を舞っているのが、夢のように感じられます。
 

 島には何人か寝たきりのお年寄りもいらっしゃって、ヘルパーさんがお風呂に入れる時に福田さんに声がかかります。自転車に乗って、「デリバリーカット」に赴き、髪を切ってから、ヘルパーさんがお風呂に入れる順序だとか。上の写真のおばあちゃんは、足が不自由で一人暮らし。でも、這ってでも畑仕事をやるような人。家の中で髪を切った後の掃除を考えて、表で切ることにしたのだといいます。

 エメラルドグリーンの海に囲まれて、まるでパラダイスのような島ですが、すでにほの見えているように、高齢化、介護、過疎化、教育、雇用と多くの難題を抱えています。また、渡名喜島に寄り添う入砂島は、いま米軍の実弾演習地になっていて、普段は立ち入り禁止です。
 

 以前、久米島からたまたま米軍の演習風景を目にする機会があり、この水域の海面に激しく水柱が立つさまに驚きました。平日は米軍のヘリやジェット機が飛び交い、かなり激しい戦闘訓練が行なわれます。演習は昼夜を分かたず行われ、花火のような閃光弾や、大きな音も激しい振動も島の人々にとっては日常です。その見返りとしての助成金が、村の財政を支えていることも現実です。

 入砂島は島の人たちからは神の島と崇められています。かつては選ばれた一家族だけが島に渡り、泉に湧く神聖な水を神に供えました。いまは日曜日だけ島に渡ることが許されていて、「島に行ったら動物の話や下品な話をしてはいけない。天気が急に悪くなって島から帰れなくなる」と皆が口を揃えて言うそうです。

 福田さんの家族にとっても、店主の“出張”は新しい現実の始まりでした。父親が島に行っている間は、娘さんたちが茨城の店を任されます。「島の美容室」の話を最初に聞かされた時、「親父は何を考えているんだ!」と呆気にとられた彼女たちも、「お父さんは島に行き始めてからイライラせず穏和になった」と、いまは温かく見守ります。

 島に初めて一緒に行った時、「お帰り~」と迎えられる夫の姿を見て、奥さんも思いを新たにしました。子どもたちが美容室の壁に「おじちゃんよかったね!」と、夫婦の相合傘を書いてくれたのには、思わず「泣きそうになった」とも。

「島の場合は、髪を切ると本当にありがとうという気持ちが伝わってきます。それが何より嬉しいですね。私の来るのが1日でも遅れると、すごく心配して電話をくれたりします。というのは、何かあったんじゃないか、もしかしたらもう来ないんじゃないか、という危機感がおばあたちにはいつもあるらしいんです。あの美容師さんが来なかったら、自分たちは誰に髪を切ってもらうのか、という心配があるらしい。そんな人たちが待っていてくれる限り、まぁ多少の赤字でも頑張ってこようかなと思っています」
 

 2011年3月11日、あの日福田さんは島にいました。茨城は震度5。心配して電話をかけますが、いつまでたっても通じません。「あまりにも遠い、どうにも動きのとれない離島で家族の心配をした。こんなことなら、もう島に来るのをやめようとも考えた」といいます。それでも、次の月には島に来ていました。

 都会で仕事や時間に追われて生きてきた者からすれば、自然とともに毎日を楽しく、懸命に生きている島の人たちの姿は新鮮です。毎朝6時から行われる集落内の清掃は、小中学生による「朝起き会」として80年以上も続く伝統とか。夜ともなれば、泡盛片手のユンタクが深更におよぶこともしばしばです。都会とはまったく違った時間の流れに、心身のこわばりが解きほぐされます。

「私自身が変わりましたね。こういう生き方でもいいんだな、というふうに。離島に行って充電するとかそういうことじゃなく、人生観も変わるほど、来て良かったと思っています」

 福田さんの島通いは、まだこの先も続きます。もちろん、それを追って福岡さんもまた――。この写真集の続篇は、どういうものになるのでしょうか。

 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
 
*「うちな~噺家」の立川志ぃさーさんは1961年コザ市生まれ。本名の藤木勇人(はやと)として、「りんけんバンド」、「笑築過激団」を経て、ひとり芝居などで活躍してきました。昨年10月1日から、立川志の輔師匠より名前をもらって、立川志ぃさーと改名しました。

※文中の福田博俊さんの言葉は、本書のほか、「渡名喜島の美容師ブログ」、「島の美容室」のムービー版などを参照しながら、構成しました。
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