Kangaeruhito HTML Mail Magazine 604
 

大山卓也『ナタリーってこうなってたのか』(双葉社)

 ぬるいものはダサい

 読み出したら止まらず、あっという間に読み終えていました。予想をはるかに超えて面白く、読後感が何とも爽やかです。

 ナタリーとは、音楽、コミック、お笑いなどのジャンルに特化した情報サイト。月に2000本以上のニュース記事を配信し、月間PV(ページビュー・閲覧回数)が約3100万という国内最大級のポップカルチャーのニュースサイトです。といっても、これまであまりサイト自体を見たことはありません。若い世代でナタリーを知らない人は少数派かもしれませんが、これがシニア世代になると完全に逆転してしまうのです!

 ところが、今年8月22日、このナタリーを運営する株式会社ナターシャをKDDIが子会社化するという発表がありました。買収金額は非公開でしたが、衝撃的なニュースであったことは間違いありません。この買収劇について、ナタリー代表取締役の大山卓也氏(本書の著者です)は、「個人的には、インディーズでがんばってたバンドがメジャー契約したみたいなイメージで。ナタリーの編集方針は変わらず、バックアップを受けてさらに飛躍の予定です。引き続きよろしくお願いします!」と発表当日のツイッターでコメントしています。

 ベンチャー企業の出口戦略としては理にかなった選択ですが、おそらく当人たちはこういうバイアウトを目標に努力してきたつもりはないでしょう。むしろ自分たちの編集方針、コンテンツの制作能力、そのための体制づくりなどが真っ当に評価されたことに対して、「やはり間違っていなかった」と安堵する気持ちのほうが強いのではないか、と思います。

 私自身はナタリーのファンでも、愛読者でもありません。ただ、一時期は自分自身がウェブメディアに関わっていたこともあって、ナタリーという存在には興味がありました。そして、本書をたまたま手にしたところ、認識をまったく新たにしたのです。ウェブ世界にも必ずやこういう若者がいるに違いない、と願っていたような才能の持ち主が、2007年2月のナタリー・オープン前夜から、約10年間の物語を語っています。気負わず衒(てら)わず淡々と、ある種の“狂気”について平熱感覚で述べているのです。

 そのひと言ひと言が、もっぱら「紙」の雑誌を手がけてきたオールドエイジの人間(私のような)の心に響くことが驚きです。考え方がきわめてオーソドックスで、自分たちは「やるべきこと」を粛々とやってきただけだ、というさりげない自負の裏側に、実はラディカルで強固な意志が秘められていることに舌を巻きます。

 ジャーナリズムに寄せる素朴な期待と、現状に対する疑問や批判が、「それでは、自分たちは何をめざすべきなのか」という具体的、実践的な行動規範として、控えめながらも明快に、クールな中にも楽しげに語られているのが魅力的です。現代メディア論としてよく考え抜かれ、整理された、実に示唆に富む一冊です。

 まず「どうしてナタリーを作ろうと思ったか」という出発点について、こう語っています。
 
〈それはひとえに既存のニュースサイトに物足りなさを感じていたからだ。物心ついたときから音楽が好きで、多いときには年400枚近いCDを買い、年200本以上のライブに行くような生活が当たり前だった自分にとって、当時あった既存の音楽サイトはどれもかゆいところに手が届かない、どこか物足りなさの残るものだった〉
 
 小さい頃から凝り性で、「好きになったもののことはなんでも知りたがる、好奇心旺盛な子供だった」そうですが、大学卒業後に就職した先を2年で退職。1年ほどぶらぶらしていた時、新聞の求人欄で見つけてゲーム雑誌の編集者になります。それが1997年です。「月曜の朝に出社して会社の床で仮眠をとりつつ、家に帰るのは土曜の朝」といった過酷な日々に巻き込まれますが、この時、その後の指針となるような思想を学びます。「編集者の仕事は自己表現ではない」等々。

 2000年にウェブサイトの部署に異動。インターネットの世界に触れてそのスピード感、反響の手応えなどに新鮮さを感じます。翌年、自分で音楽サイトを立ち上げ、音楽情報の配信を始めます。その際、「自分は何をやるべきか」「自分に何ができるのか」を熟考して、2つの基本方針を固めます。(1)批評をしない、(2)全部やる、というコンセプト。これが現在のナタリーの原型です。

 やがて退社してフリーになった著者は、2006年2月に、いまでは“金髪のメディア・アクティビスト”として知られる津田大介さんと、一緒にナタリーを立ち上げます。ナタリーというサイト名は、フリオ・イグレシアスの曲「黒い瞳のナタリー」から拝借。理由はさておき、そのナタリーをやる会社だから、ナター社……ナターシャという社名が採用されます。

 さて、ナタリー信子(絵・東村アキコ)というマスコットキャラクターがいて、「ゆるふわ愛されニュースサイト」というキャッチコピーを掲げるナタリーなのですが、「常に報道でありたい」という硬派の姿勢が基本スタンスです。
 
〈エンタメ情報を扱っているとはいえ、ナタリーの記事はあくまでニュース。情報を正確に伝えることが第一で、面白さやキャッチーさといった要素は二の次だと思っている。記事の書き方にしても情緒的な記述を極力抑えて、なるべく淡々と、客観性を重視した作りを心がけている〉
 
 匿名への情熱に支えられていた新聞に署名記事が増え、個人的な見解を述べることがメディア全般の主流になり始めている時に、あえてその対極をいく構えです。そして「速い」「フラット」「ファン目線」の3つが編集上の基本方針。Perfumeの公式サイトが0時に更新されたら、0時2分にはナタリーがニュースを流しているので、「過剰だ」、「気持ち悪い」、「キモい」と言われるくらい、ストーカー的な「速さ」。

 偏りのない「フラット」なメディアという点では、いわゆるキュレーション(読者が受け取る情報を絞り込むこと)はしないという方法論を徹底します。文章の内容も、取り上げる素材を含めて、偏りや主張を極力排除するのがナタリー流です。旧来の雑誌が手がけてきたブランディング手法の真逆です。公平性(何かに肩入れしない)、客観性(ジャッジしない、レビューしない、主張しない)、網羅性(可能な限り全部のニュースを紹介する)、そしてキュレーションしないこと。「ドヤ顔」はご法度です。
 
〈「君たちこういうの好きでしょ」とか「これをレコメンドするおれのセンスすごいでしょ」とか、そんな上から目線の自意識は20世紀に置いてくればいい。送り手の側は自分が持てるすべてを提示して、そこから先の判断は読者に委ねてしまえばいい。結果としてそこにあるのは玉石混交の雑多な情報かもしれないが、読者はその中から自分にとっての宝をつかみ取ってくれるはず。それがウェブという無限の荒野における情報流通の正しい姿だし、たぶんそれが読者を信じるということなんだと思う〉
 
 そして「ファン目線」というのは、あくまでファンの人たちのお役立ち情報に徹することを意味します。「我々を突き動かすのは、自分たちに多くのものを与えてくれたポップカルチャーに対して『恩返しをしたい』という気持ちなのだと思う」。

 だから、アーティストが傷つく情報は載せません。なぜならファンはそれを知って少しも嬉しくないし、悲しむだけだから――。既存の芸能ジャーナリズムが飛びつくような下世話なゴシップに対しては、「そんなことしてまで稼ぎたくはないよ」と“やせ我慢”するのがナタリー的だ、と。
 
〈我々のようなメディアは自分たちで何かを生み出しているわけではない。ミュージシャン、マンガ家、芸人といった「人を幸せにするもの」を作る人たちの活動を世の中に伝える仕事だからこそ、彼らを貶めるようなことは絶対にしたくないと思っている〉
 
 かといって、業界べったりのスポークスマンになるわけではなく、「常に報道でありたい」という鋭敏なバランス感覚を磨くことが、すなわちナタリーなのだといいます。そして、こういったポリシーを根底で支えているのは「みっともないことはしたくない」という思いだとも語ります。ややもするとウェブの世界はコピペや丸パクリが常識の“無法地帯”だと低く見られているからこそ、「みっともないことはしたくない」――。雑誌媒体の現場で叩き込まれた「編集のイロハ」を守りたいというのも著者の掟(おきて)です。

 紙の世界とウェブ世界とのハイブリッド。言うだけなら簡単ですが、その実践篇は本書をお読みいただきたいと思います。編集の足並みが「阿吽の呼吸」で揃うまでの道のり、事業継続のための資金繰り、ウェブのシステム、デザインの構築まで……。おそらく草創期は、小さな“危機”の連続だったと想像します。巻末に付けられた津田大介さんと、コミックナタリー編集長として途中から参加した唐木元さんとの対談は、物語の補完的役割を果たします。これも本書の魅力です。

 その唐木さんが、記事の作り手であることの自負と喜びを語っています。
 
〈今はキュレーションメディア流行りでしょ。あれって要するに見かけのいいバケツじゃん。皆さん、バケツばかり作って、どこで水を汲むんですか?って思う。一方、我々はその水が湧いてくる井戸をやってる。本来はそれがメディアというものでしょう。中身を作り出すということについて、本当は我々が少数派になってはいけないんだよ〉
 
 記事を当たり前にきちんと作ること。「紙のメディアが長い時間をかけて築いてきた信頼と同じかそれ以上のものを、ウェブメディアも獲得しなければならないと思っている」――。若い著者にこう言われると、紙のメディアも襟を正さなければなりません。ましてや「情報伝達の主戦場はすでにウェブに移っている。『紙かウェブか』といった議論にはとっくに決着がついている」と著者に喝破されるような状況では!

 最後に、ナタリーのありふれた一日を紹介しておきましょう。
 
〈記者全員が朝10時に出社して、1人あたり数百件のウェブサイトをひたすらチェックする。アーティストやマンガ家、事務所、出版社、レコード会社などのTwitterアカウントもリストで巡回する。あらゆる媒体に目を通してネタを拾い、毎日数百通届くプレスリリースをチェックし、それらをもとに多いときで1人あたり十数本の記事を書く。合間にインタビュー原稿をまとめ、記者会見の現場を訪れ、写真のセレクトをして、夜はライブに行ってレポート記事を書く。さらに朝から晩まで電話取材。……言葉にするとどれもこれもニュースメディアとしてやるべき、当たり前のことばかりだ。収益を上げる魔法のようなノウハウも、劇的にPVを右肩上がりにするメソッドもない。ただひたすらに普通のことを続けているだけ。もし今のナタリーが唯一無二のカルチャーメディアになれているとしたら、それは単純に、こんなに地味で面倒くさいことをやり続ける人たちが他にいなかっただけだろう〉
 
 
 現在、社員は約50名。きわめて労働集約的な“非効率”の職場です。しかし、効率のためのアウトソーシングをせず、自分たちで記事を作ることに価値を見出し、面倒なこと、泥くさいことをコツコツと地道にやり続けるのがナタリーです。並大抵の覚悟ではありません。というより、寝泊りも辞さないくらいに好きだからこそ、ここに集まった人たちです。

「ぬるいものはダサい」――「ゆるふわ愛されニュースサイト」は、きょうも粛々と更新されています。
 
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
 
*本書関係の写真提供・株式会社ナターシャ
Copyright 2014 SHINCHOSHA (C) All Rights Reserved