Kangaeruhito HTML Mail Magazine 628
 
 ドゥダメルと子どもたち
 
 相馬の子どもたちが歌う「さくらさくら」がオープニングの「歓迎演奏」でした。最初の1小節を耳にしただけで、2011年、震災の傷跡もまだ生々しかった三陸の海岸に咲いた満開の桜がまぶたの裏によみがえりました。春の訪れを忘れることなく、たくましく、美しく咲いていた桜の花。歌う子どもたちの姿が涙に滲んでしまいましたが、歌声に頭の中の曇りが吹き払われていくようなすがすがしさがありました。
 

 3月29日午前11時、サントリーホール大ホール。この日は日米エル・システマ共同企画として、ロサンゼルス・ユース・オーケストラ(YOLA)から招いた15名の仲間と、相馬子どもオーケストラ&コーラスの110名、合せて125名が一緒に交響曲を奏で、歌を披露するという特別なイベントが始まろうとしていました。

 題して「ドゥダメルと子どもたち 特別リハーサル&コンサート」。ベネズエラが生んだ世界的マエストロ、グスターボ・ドゥダメルが指揮をし、ドヴォルザークの交響曲第8番ト長調作品88より、第4楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポに、子どもたちがチャレンジするのです。

 ドゥダメルって誰? エル・システマって何? 疑問をお感じの方もいらっしゃるでしょうが、説明は省いて先を急ぎます。例としては不適切かもしれませんが、たとえばアルゼンチンのスーパースター、メッシの公開指導を受けながら、福島県相馬市のサッカー教室の子どもたちと、スペイン・バルセロナFCジュニアチームの選抜メンバーが交流する。メッシ総監督の下、埼玉スタジアムの緑のピッチで、満員の大観衆を前に30分の公開練習・親善試合を行う、といった晴れの舞台を想像してみて下さい。

 4年前、相馬は東日本大震災による夥しい被害と、原発事故による影響をもろに蒙りました。先行きがまったく見えない「災後」の日々の中で、子どもたちの将来を真剣に憂う地元の人たちがいました。一方に被災地支援のために現地を訪れた国内外の心ある人々がいました。そこに出会いと交流が生まれました。

 音楽の力によって、子どもたちに生きる力と勇気と希望を与え、求心力を失いかけていたコミュニティにもう一度活力を蘇らせよう。エル・システマジャパンの最初の構想が芽生えました。アイデアを聞いてそれに賛同した人、駆けつけて協力した人、勇気をふるってこの活動に人生を賭けようと決意した人、その舞台を整備するために支援の手を差し伸べてくれた人……さまざまな人たちの思いと行動が結集されていきました。

 その詳しい紹介は「考える人」の特集「オーケストラをつくろう」(2014年秋号)の「被災地でスタートしたエル・システマジャパン」の記事にある通りです。べネズエラに生まれたエル・システマという音楽教育プログラムの背景や活動についても、またグスターボ・ドゥダメルという逸材の発言も、この特集の他の記事でご覧いただければと思います。
 
〈オーケストラはコミュニティであり、社会です。すべてにおいて最も大切なのはハーモニー。それは音楽的、技術的なハーモニーだけでなく、共に生きるという意味でのハーモニー。音楽が創り出すのはまさにそのハーモニーであり、時に社会が見失いがちだけれど、いちばん大切なものなのです〉(グスターボ・ドゥダメル独占インタビュー「すべては音楽への“奉仕(サービス)”である」)
 
 相馬に子どもたちのオーケストラ&コーラスを作ろうとする動きを知ったベルリン・フィルハーモニーの演奏家たちなどが、2012年9月、ベルリン・フィルハーモニー室内楽ホールに集い、開催したチャリティーコンサートの模様も、付録CDで聞いていただくことが可能です。
 

 ほんの小さなきっかけから、地道な努力によって大きな流れが生まれ、2012年夏、福島県相馬市でエル・システマジャパンは始動しました。活動を牽引してきた菊川穣(きくがわゆたか)さんが、冒頭の舞台挨拶で「このような日が迎えられるとは夢のようです」と感慨ぶかげに語っていたのも無理はありません。一つ一つの積み重ねが、この晴れ舞台をいつの間にか準備していたのです。
 

 ところで、お揃いのエル・システマジャパンTシャツを着てステージに現れたドゥダメルさんは34歳。童顔で親しみやすい笑顔を振りまきながら、正真正銘、ぶっつけ本番で子どもたちのオーケストラに向き合います。
 

 さあ、どうなるか。子どもたちは、さすがに緊張気味です。昨晩はみんなで興奮して、ほとんど眠っていないとか。いきなり出だしのトランペットの音色に注文がつきました。マエストロがほがらかに、奏者の気持ちに寄り添いながら、的確な批評を投げかけます。ある人が「華麗なボクサーのしなやかな動きを思い起こさせる」とその様子を評していましたが、見るからにエネルギッシュ。この日は激しい動きこそなかったものの、奏者にまなざしを合わせながら、腰を沈めて、一緒に汗をかきながらオケを引っ張っていくといった姿勢は、何とも好ましく、魅力的です。Tシャツを通して、背中の筋肉の動きが目に入ります。

 繰り返し強調したのは「歌うように」ということ。そのためには、息を吸って準備してからメロディーを奏でなさい。もっと弓を使って、ただし重さをかけ過ぎないように。ただのフォルテではなくて、もっと深い音で! そのためには歌うように、と自らも「ラリラリラー」と歌って示します。通訳の女性にも歌わせます(これが上手い!)。
 

「楽器同士、もっと会話をしていくように」、「フルートを吹いている彼のほうを見て」、「何かを感じて。演奏を楽しんで」。いろいろ注文がつきましたが、トランペットも、チェロも、ヴィオラもそれに応えて、オケは見違えるように歌い始めます。英語という言葉の壁が最初は感じられなくもありませんでしたが、音楽という共通言語がみるみる仲立ちをして、子どもたちがリラックスしていきます。同時に集中力を高めながら、音楽を作り上げていくプロセスが感動的です。「客席でずっと泣いていました」という人もいたくらい。
 

 ドヴォルザークの作品の中でも、ボヘミアの民族色を色濃く感じさせるこの難曲を、7歳から18歳の子どもたちが弾いているのです。そのこと自体が驚異です。後から聞いて驚いたのですが、弦楽器を受け持つ相馬子どもオーケストラのメンバーに楽譜を配ったのは1月10日。相馬市内の中学、高校の吹奏楽部から選抜する管楽器の候補者には1月15日頃に楽譜を渡し、オーディションは1月31日! しかも、このドヴォルザークの練習は2月中は行われず、3月に入ってから弦と管でそれぞれ練習を始めますが、合同練習は実は1週間前の3月22日が最初で最後。次は、YOLAの15人のメンバーがやってきて、26、27日のそれぞれ午後に、合計8時間くらいの合同練習をやっておしまい、だったというのです。
 

 弦楽器パートの相馬子どもオーケストラのメンバーが37名、選抜された吹奏楽部のメンバーは21名という内訳ですが、この中にはヴァイオリンを始めたのが約1年半前、という子がなんと20名も! それでドヴォルザークなのですから、驚くなというほうが無理です。その上、指揮者のメッセージをしっかり受け止めて、見違えるような演奏にしていくのですから、魔法を見ているような気分です。
 

 リハーサルの様子をそのまま公開して見せるというコンサート。普段は絶対にお目にかかれないドゥダメル様のお姿が1000円のチケットで楽しめるのですから、お得感があったと思います。彼がどんな表情で子どもたちに接するのか。自分自身も小さい時からエル・システマで学び、合奏を通じて人生にとって大切な何かを体得してきた人ならではの温かさと喜びが全身から伝わってきます。
 
〈僕自身は、自分の中に子供がいることを強く自覚していて、その大切さも認識しています。「子供」とは、何かに初めて出会ったときの驚きを忘れない人。日の出を見て、新しい一日が始まる喜びを感じられる人〉(同インタビュー)
 
 アンコール曲はチャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」から「トレパーク(ロシアの踊り)」でした。そして、最後にあえて主催者側が強く希望して加えたもうひとつの曲が、モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」です。今年も相馬市の震災4周年追悼式で献奏された歌。46小節の小品ですが、モーツァルト晩年の傑作とも言われます。人々のために犠牲となり、十字架に磔となったイエス・キリストを歌ったラテン語の歌詞を、子どもたちは理解しています。

 相馬は災害出動した消防団の人たちが、たくさん亡くなった土地でした。尊い犠牲によって、自分たちは生きながらえることができた。そしていまなお生かされている。子どもたちはそれを知って歌い奏でます。「最後はどうしてもこの曲で締めくくりたかった」とエル・システマジャパンの菊川さんは語ります。
 

 エル・システマジャパンは昨年6月から、相馬に続く第2の拠点として、岩手県大槌町でも活動を開始しました。津波と火災で甚大な被害のあったこの土地で、吉里吉里(きりきり)小学校、大槌町子どもセンターなどで、週5日、無料のヴァイオリン教室が開催されています。町内の仮設住宅に移り住んで、1人で担当しているのが山本綾香さん、この日ドゥダメル氏の通訳として、ステージに立っていた27歳の女性です。

 4歳で始めたバイオリン歴は、途中で離れていた時期もあるので、約10年とか。2012年、エル・システマジャパンが立ち上がった際に翻訳でも何でもいいのでインターンをさせてほしい、と飛び込んできたのが彼女だそうです。翌2013年4月から始まった相馬での週末弦楽器教室では、指導ボランティア(フェロー)の第1号となり、2014年2月から3月にかけてはJICA(国際協力機構)の要請で、青年海外協力隊の短期派遣員としてベネズエラに渡り、現地サンタ・クルス・デ・モーラで子どもたちのヴァイオリン指導にあたりました。そこに菊川さんからのメールが届きます。「大槌に弦楽器指導講師として赴任しませんか」と。

 この時、実は青年海外協力隊からは、セネガルへ2年間の正式派遣の話が内定していました。大いに迷います。しかし、菊川さんの熱意と、「何か素晴らしいことが起きるかもしれない可能性の魅力」に賭けて、仮設住宅に移り住んだのが昨年の7月です。

 今回、ドゥダメルさんの通訳を誰にするかという時に、子どもたちをよく知っている人でなければ、と菊川さんは考えます。相馬でも約2年間指導にあたり、子どもたちから慕われている彼女に白羽の矢が立ったのはむべなるかなです。それが世界のドゥダメルさんをも感激させる大ヒットになるとは、まさか予想もしませんでした。オーケストラに「歌うように」を強調するマエストロは何度も自ら歌ってみせました。そして、通訳をしている彼女にも、「さあ、歌ってみて」と水を向けました。その意図を見事にとらえて、歌の通訳までやり遂げた山本さんは、聞けば中高時代はミュージカル部で主役を演じていたとか。
 

 終演後の菊川さんの言葉も印象的でした。「こういう盛大なイベントがあるとどうしてもそちらに目が向いてしまいます。しかし、そうではない日常のコミュニティでの活動が何よりも大切です。ベネズエラ本国のエル・システマもそうなら、YOLAも、エル・システマジャパンもそうなのです。きょうは日々の積み重ねの重要性を改めて強く感じました。その意味では三者の思いが同じ方向でつながっていることが確認できて、とても勇気づけられる気がしました」。
 
 東京は今週が花の盛り。東北に花が咲くのは、これからです。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
 

*ドゥダメル氏のポートレート以外の写真提供・エル・システマジャパン(C)FESJ/2015/Mariko Tagashira, Koichiro Kitashita
 
Copyright 2015 SHINCHOSHA (C) All Rights Reserved