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瀬川裕司『「サウンド・オブ・ミュージック」の秘密』(平凡社新書)

 “永遠の名作”の魅力とは

 毎年何か楽しみなサプライズを与えてくれるアカデミー賞授賞式ですが、今年最も心が躍ったのは、製作50周年を迎えた映画『サウンド・オブ・ミュージック』にオマージュを捧げる場面でした。ビートルズと『サウンド・オブ・ミュージック』で英語を覚えた(?)というわれわれ世代がたいていは諳(そら)んじている名曲の数々を、いったい誰が歌うのかと思っていると、指名されたのはレディー・ガガ。

「エッ!」と驚く間もなく現われた彼女は、いつもとは別人かと思うナチュラルなメイク、純白のドレス姿。オーケストラをバックに「サウンド・オブ・ミュージック」、「私のお気に入り」、「エーデルワイス」、「すべての山に登れ」を熱唱して、満場のスタンディング・オベーションを受けました。

 歌い終えると、映画で主役のマリアを演じたジュリー・アンドリュースが作曲賞のプレゼンターとして登場し、二人がしっかりとハグするシーンも感動的でした。そして先日、新聞にジュリー・アンドリュースのインタビュー記事が載りました。これにも胸が熱くなりました。実は2月の授賞式の10日前に、レディー・ガガから電話をもらったというのです。

「気分を害さないかと聞かれたので、楽しんで歌ってほしいと答えたら、私に敬意を表して映画と同じ高いキーで歌うつもりだと明かされた。そのために発声の猛特訓をしたそうだ。見事にやり遂げたのを見て、うれしく思ったし、それから良い友人になった」(読売新聞、2015年4月16日)

 いい話だな、と思って、矢も盾もたまらず映画をもう一度見たくなりました。そして、読もう読もうと思いながら、去年の暮から手つかずだった本書を、一気呵成に読みました。著者にはビリー・ワイルダー監督の映画『お熱いのがお好き』、『アパートの鍵貸します』、『昼下りの情事』の魅力を分析した『ビリー・ワイルダーのロマンティック・コメディ』(平凡社、2012年)という名著があります。期待にたがわず、本書も知りたいツボを的確に押してくれました。

「面白くても、一度観ればもう十分だと感じる作品が多いなかで、何度も繰り返して観たくなり、また観るたびに発見があるフィルムなのだ」といい、元気な時も見たい、疲れている時も、あるいはひどい映画の後で「口直しがしたい」時も見たくなる、という言葉に、愛着の深さがしのばれます。さらに映画学の専門家としての“使命感”もありました。
 
〈『サウンド・オブ・ミュージック』について書いてみたいという気持ちが生まれたのは六年ほど前のことである。少しずつ文献を集めては目を通したのだが、すぐにわかったのは――だいたい予想はついていたが――この作品があまり知的考察の対象とはされてこなかったということだ。公開当時の米国と日本の作品評を読んでみても、インテリ批評家の大半は厳しい評価を下している。特に目立つのは、監督ロバート・ワイズがそれ以前に撮った『ウエスト・サイド物語』は社会問題に鋭く切り込んでいたのに対し、『サウンド・オブ・ミュージック』は〈ナチの過去〉を都合よく扱っていて通俗的過ぎる、という見解だ。たしかに『サウンド・オブ・ミュージック』は、ザルツブルクと周辺地域の観光絵巻を活用したシンプルでキッチュな映画だ。だが、五〇年を経て、同作品は人気において『ウエスト・サイド物語』を圧倒している。人気さえあればよいというものではないが、通俗的な人気作品は考察に値しないとする姿勢には、筆者は違和感を覚えるものである。誰もが知るような人気作品に備わる、娯楽文化の根幹をなすメカニズムを研究することは、一般大衆の精神性を考察する上で有益であるはずだ〉
 
 
 こうして、この作品の不滅の魅力がどこに由来するのか、いくつかの切り口からその秘密を探ります。繰り返しになりますが、そのために著者が何度この映画を見直したのか(昔と違って、いまやDVDという強力な武器がありますが)、さらには映画の舞台となったザルツブルクやその周辺にいったい何回足を運んだのだろう、と思わせるだけの気迫と執着が分析の隅々から伝わってきます。

 1965年の映画公開時に、私は小学校6年生でした。いまと違ってアルプスの空撮映像を大画面で見ること自体が衝撃的だった時代です。たちまち子ども心をわしづかみにした「導入部の魔術」を、本書はまず考察しています。空撮された〈雲と雪と岩の世界〉が徐々に〈緑と山々の世界〉へと移行し、やがて鳥のさえずりが聞こえ、音楽がそこに流れ始めます。次第に地表近くへと下りていくカメラは、田園風景や湖畔の美しい城館などを映し出し、生い茂った森の間に広がる緑の草原に向かって直進していきます。
 
〈音楽が高まり、重要な意味を持つ映像が訪れることが予想される。木々に囲まれた平地に、小さな人影が見える。もちろんそれはジュリー演ずるヒロインだ。彼女はしっかりした足取りで手前に歩いてくる。かなり危険ではないかと思われる距離までカメラが寄ると、ジュリーは両手を上げて体を回し、音楽がさらに高まる。このショットは十数回も撮り直され、ジュリーはプロペラの強風を受けて、毎回地面に倒されていたという〉
 
 
 
 圧倒的なオープニングです。続いて地上映像で、両手を広げたヒロインが一気に歌い始めます。

 The hills are alive
 with the sound of music
 With songs they have sung
 for a thousand years
 The hills fill my heart
 with the sound of music

「すでにこの時点で涙腺がゆるんでしまうことがある」と著者はいいますが、この数分間の冒頭場面が、映画の基本構造をすべて集約しているといっても過言ではありません。

 マリアの澄み切った歌声が伝えます。「心が寂しいとき、私は丘に向かう。私は知っている、自分が以前、聞いたことがあるものをまた聞けるということを。私の心は音楽の響きによって祝福されるだろう。そして、私はもう一度歌う」

 I go to the hills
 when my heart is lonely
 I know I will hear
 what I heard before
 My heart will be blessed
 with the sound of music
 And I’ll sing once more

 映像はやがてタイトルバックにザルツブルクのさまざまな教会を映し出し、見習い修道女であるヒロインの属する修道院のミサの合唱風景へと滑らかにつながっていきます。こうしてザルツブルクという舞台が、大いなる山々の自然と、多くの教会によって守られた宗教性の高い古都――音楽=歌によって祝福された特別な町だということが明らかにされます。同時に、「マリアというヒロインが、歌うことによって宗教性と大自然のあいだを自由に行き来する特殊な存在であること」も――。
 

 物語のあらすじは省略しますが、マリアが「純粋な魂」とこの「歌の力」によって「凍りついた」トラップ家の「魔法」を解き(まるで『アナと雪の女王』のように)、それとともに彼女自身も無垢な子どもから家庭教師へ、そして恋する乙女、妻=母へと成長を遂げていくという展開に、「ザルツブルク、オーストリア、三〇年代最後の黄金の日々」という時代背景がかぶります。ナチスドイツの影がひたひたと忍び寄ってくる緊迫感が、最後にこのトラップ一家が故国を逃れ、アルプスを越えて新天地をめざす、という劇的な結末につながります。

 実際、ナチスドイツに併合されたオーストリアを逃れ、アメリカ大陸に渡ったマリア・アウグスタ・フォン・トラップによる実話『トラップ・ファミリー合唱団物語』を基に、ドイツ映画の『菩提樹』(1956年)が作られます。さらにロジャース&ハマースタインの名コンビがそれをブロードウェイ・ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』に仕立て、その成功をふまえての映画化でした。

 ところが、世界的に大ヒットしたこの映画も、舞台となったオーストリアでは長く不評だったと聞いています。1965年に封切られた際は、不人気で早々に上映が打ち切られました。理由のひとつには、「祖国愛の象徴」として歌われた「エーデルワイス」が地元の人たちの反発を招いたといわれます。

 他国の人間が映画を見る限りでは、この歌が「オーストリアの国歌かそれに準ずる曲だと信じても不思議ではない」印象ですが、これは架空のオーストリア愛唱歌。ブロードウェイでのミュージカル化に際して、ロジャース&ハマースタインが「祖国愛を訴える歌が必要だ」と考えて創作した曲なのです。

 第2次世界大戦で味わった屈辱を思い出させるとして、映画「第三の男」(1949年)が地元ウィーンでは嫌われたという話が似たような事例かもしれません。ちなみに、先のインタビューでジュリー・アンドリュースは、最も好きな歌は「エーデルワイス」だと述べています。

「作中では私の歌ではないが、コンサートでこれまで、どれよりも楽しんで歌ってきた。メロディーは驚くほどシンプルなのに感情豊かだし、美しい歌詞はオーストリアだけでなく、誰にとっても故郷を思い起こさせるのです」

 モーツァルト、ザルツブルク音楽祭と並んで、いまや外国人観光客のお目当てのひとつとして、『サウンド・オブ・ミュージック』のロケ地巡りが定番化しています。70年代からは観光バスツアーも始まり、トラップ一家が住んでいた1863年築の屋敷もようやく5年前にホテルとしての営業が認可されました。製作から50年、地元では不人気だった映画を取り巻く環境にも変化が訪れたように思えます。ただ、ロケ地として案内されることの多い“名所”が、実は映画に使われていない宮殿だったり、正しい巡礼の手引きも必要です。本書はその意味でも有益です。

 最後にこの映画をめぐる面白い「トリビア」のひとつを紹介しておきましょう。映画の中に、「実物のマリア」が登場するというのです。有名な話だそうですが、まったく知りませんでした。しかも、これにも誤った情報が流布しているとか。著者に教えられてDVDで何度も見直して、ようやく発見した次第です。撮影現場を表敬訪問したヒロインのモデル(実在のマリア)に、「映画に出してもらえませんか」と頼まれた監督が熟慮の末に考えついた苦心のショットだというのです。さて、どこに現われるのでしょう? 

 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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