Kangaeruhito HTML Mail Magazine 639
 
 おいしさの記憶
 
 戦後70年目の夏にどういう特集を組んだらいいだろう。今年の初めにぼんやり考えていました。食べものを切り口にして何かできないか……ふと思いつきました。食うや食わずの腹ペコ状態から立ち上がった敗戦直後の日本人。「白いごはんをお腹いっぱい食べてみたい」、「家族においしいものを食べさせたい」という思いを胸に、飽食の時代と言われる現代まで、長い道のりを歩んできたのです。その70年の驚くべき変貌ぶりを振り返りながら、この国に生をうけた私たちがどういう食文化の中で育ち、いかなる喜怒哀楽を感じてきたのか。食べることによって、日々どんな力を得てきたのか、この機会に考えてみたいと思いました。

 7月4日発売号の特集タイトルは「ごはんが大事」です。ひと粒ひと粒が光りかがやくお米のありがたさはもちろんですが、「いただきます」、「ごちそうさま」を幾度となく繰り返してきた私たちのありふれた食卓の、変わりゆく姿と変わらない役割を時には立ち止まって考えてみよう、と思ったのです。

 どんなメニューかはお楽しみに! 手間ひまかけて調(ととの)えましたので、仕上げはご覧(ろう)じろ。ただ、あれこれ“献立”を考えている時に、ずっと拠り所にした1冊の本がありました。石牟礼道子さんの『食べごしらえ おままごと』(中公文庫)――。2012年9月に文庫化され、その時に読んだのが初めてです。こんな名著が隠れていたのかと驚きました。

 今回、その文庫担当者と話す機会があり、「きっかけは『考える人』の特集です」と言われて、また驚かされました。たしかにそうです。2011年秋号の「考える料理」特集の「アンケート 私の好きな料理の本 ベスト3」で、池澤夏樹さんがこの原本を推薦したのです。
 
〈作りかたの指南ではなく、料理をめぐる上等の随筆である。でも口絵のところに40点の料理の写真が載っていて、そっけない説明がある。これがそそられるのだが、再現するには相当の工夫が要るだろう。まだまだ(時間の)贅沢と思って手を出さないでいる。まずは鯖の「ぶえんずし」あたりから始めてみるか〉
 
 ほんの短い紹介ですが、これにさっそく目をつけたのですね。そのつながりで文庫の解説は池澤さんが書いています。こうして装い新たになったこの本は、これまで読んできた美食家、料理名人、食通、食い道楽、大食漢等々による、どの食をめぐるエッセイとも異なる味わいを秘めていました。「食べることには憂愁が伴う」という冒頭の一行だけで、魂を持って行かれるような感動がありました。戦後70年の振り返りの中で、この本の奥の深い訴えに耳を傾けなければと知りました。

 言うまでもなく石牟礼さんは、水俣病の悲惨を描いた代表作『苦海浄土(くがいじょうど)』で知られる作家です。熊本市在住、今年で88歳です。2011年1月に刊行された『世界文学全集』(河出書房新社、池澤夏樹個人編集)に『苦海浄土』3部作が日本人の長編としては唯一収録されました。日本近代史家の渡辺京二さんが編集する「熊本風土記」に作品が掲載され始めたのが1965年。ちょうど50年が経ちました。戦後日本の繁栄が生み出した闇の部分――「公害」という巨悪を告発したノンフィクションと見なされていた作品を、池澤さんがまったく違った位相で再評価した画期的な事件だったと言えるでしょう。
 
〈多少の文才のある主婦が奇病という社会現象に出合い、憤然として走り回って書いたノンフィクション、などという軽薄な読みかたをするのなら最初から読まない方がいい。まずもってこれは観察と、共感と、思索と、表現のすべての面に秀でた、それ以上に想像と夢見る力に溢れた、一個の天才による傑作である。読むたびにどうしてこんなものが書き得たのかと呆然とするような作品である〉(池澤夏樹「水俣の闇と光」、上記全集月報)
 
 水俣病患者の杢太郎少年(9歳)を一家に抱えた爺さまの語りは、どの箇所を取っても、何度読んでも、いまも胸をえぐります。
 
〈かかよい、飯(まま)炊け、おるが刺身とる。ちゅうわけで、かかは米とぐ海の水で。
 沖のうつくしか潮で炊いた米の飯の、どげんうまかもんか、あねさんあんた食うたことのあるかな。そりゃ、うもうござすばい、ほんのり色のついて。かすかな潮の風味のして。
 かかは飯たく、わしゃ魚ばこしらえる。わが釣った魚のうちから、いちばん気に入ったやつの鱗ばはいでふなばたの潮でちゃぷちゃぷ洗うて。鯛じゃろとおこぜじゃろうと、肥えとるかやせとるか、姿のよしあしのあっとでござす。あぶらののっとるかやせとるか、そんときの食いごろのある。(略)
 あねさん、魚は天のくれらすもんでござす。天のくれらすもんを、ただで、わが要ると思うしことって、その日を暮らす。
 これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい〉
 
 方言の魅力をたっぷりと活かしたこの話法。海とともに生きてきた漁師の幸福感が眩しいだけに、彼らを襲った不条理の闇が際立ちます。社会的不正への憤りが読者の胸にこみ上げます……。

 ともあれ、今回の特集では石牟礼さんを熊本に訪ね、『食べごしらえ おままごと』の豊饒な世界に寄り添いながら、平松洋子さんに話を聞いていただきました。不知火(しらぬい)の海、水俣の大地からもたらされる食の恵み、父母の手作りの一品にこめられた温かな記憶。料理皿の向こうに見えてくる人々とのつながりや、外界に向けられた古代人のような畏敬。インタビューが実現したのは望外の喜びとしか言いようがなく、平松さんの訪問記を是非味読していただきたいと思います。
 

 その先付、というと語弊がありますが、この季節にふさわしい「七夕ずし」の一節を紹介しておきます。石牟礼さんがいまなお敬愛してやまないご両親の元気な姿、明るい表情や口ぶりが生き生きと表現された一篇で、近隣の男衆、女衆たちの賑わいと幸せな暮らしのひとコマが立ち上ってくるような文章です。
 
〈笹の葉の間に、色もとりどり、形もさまざまな紙がゆれているのを持ちあげ、男三人ばかりで直立させるときは、女衆たちも台所から出て来て歓びあった。そんな時刻には空もたいてい晴れて来て、夕方近い風が出る。
「ほうお、眩(まば)ゆさよなあ」
 まるで歌うような声を誰かがそっと出す〉
 
 女衆の一人が片掌を耳に当てながら話しかけます。
 
〈「ほらな、聴ゆっど、さ鳴りしよっど」
 そして大きな掌で、弟の頭をつかむようにして天に向けさせる。 
 「な、聴ゆっど、さ鳴りしよる」
 夕空に透き通っていっせいにささめいている笹の葉の間に、やわらかい色紙がまとわりながら波立っている。
 大地はまだ湿っていて、その湿りの中に台所から、甘酸っぱい香りがわあっと流れてくる。七夕ずしが出来上ったのだ。とれたての鯛とふんわり煮あげた湯葉、茗荷と、青ジソのまざりあった匂いだった。
 この頃青ジソのことを大葉というようだが、ビニールにくるまれた貧弱な葉で、すしにはとても使えない〉
 
 特集は、石牟礼さんのインタビューがトメに入り、巻頭グラビアではフードスタイリストの飯島奈美さんに「心があったかくなる料理」を提案してもらいました。手近な材料で手早く作れて、作る人も食べる人も心が温まるような逸品を――。映画の『かもめ食堂』のおにぎりやシナモンロール、『トイレット』の焼き餃子、あるいはテレビ『ごちそうさん』のお弁当やオムレットライス……飯島さんのコーディネートする料理はいつ見ても美味しそうで、さりげないのに作り手の心配りが嬉しく感じられる品々です。

 いま上映されている『海街diary』(是枝裕和監督)でもそうでした。鎌倉を舞台に、祖母が遺した古い日本家屋に住む3姉妹と、そこで一緒に暮らすことになった“異母妹”の1年の日常を描いた物語。実は、この映画の裏テーマは「ごはんが大事」なのではないかと言いたくなるほどに、食べものが重要な脇を固めます。
 

 湘南の海で獲れたしらすを載せた「しらすトースト」は、亡き父親を思い出させるよすがです。また主人公たちにとって、梅酒づくりは家族総出の重要な儀式です。彼女らは毎年恒例の行事として、庭の梅の実をもいで、全員で梅酒を作ります。自分たちを育ててくれた祖母の思い出をこうしてなぞり、更新していくのです。一緒に手間ひまかけて「おままごと」のように梅酒を作り、そこには異母妹も加わって、新たな家族のきずなを再生しようと努めます。

 梅酒のほかにも祖母から受け継いだ糠床の浅漬けが食卓には並び、作品の後半では秘伝のちくわカレーも登場します。街には、親の代から贔屓にしている「海猫食堂」のアジフライ――。

 どのひと皿にも人の記憶が添えられています。どの「おいしさ」の真ん中にも、人の顔が見えてきます。ちゃぶ台を中心にした「おいしい記憶」が決め手です。そう思いながら、いまこの原稿を書いていたら、わが家に伊予(愛媛県)の海であがったばかりのしらすが大量に送られてきました。インターネットで調べると、すでに「しらすトースト」の再現レシピがしっかり紹介されています。もちろん、これからいただきます!
 
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
 
*来週は都合により1回休みます。次回の配信は7月16日になります。
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