最新号「考える人」2010年春号の特集は、「はじめて読む聖書」です。「書物のなかの書物=The book of books」とも呼ばれる聖書は、読んでみたいと思いながらも、長大さ、構成の複雑さを前に、どのように近づいてゆけばいいのか迷ってしまう、とっつきにくい「本」であるかもしれません。

今回の特集では、さまざまな立場から聖書への道案内をしてくださる六人の方々にお話をうかがいました。いずれまたじっくりお知らせしたいと思いますが、きょうはそれぞれのお話から、少しずつご紹介しましょう。

田川建三氏

「私はとことん不可知論者です。少なくともそのほうが謙虚だと思うんです。わからない巨大な無限なものが向うに広がっているというんだったら、正直に『わからない』といって頭を下げればいいじゃないですか。それを神とか何とかっていってしまうと、もうすでにわかったことになってしまう。わかろうとするから、神様がいて全部これをやってくれた、ということになってしまうんです」

吉本隆明氏

「ペシャンコになった自分に音を立ててぶつかってくるような言葉が、つぎつぎに現れる。衝撃を受けながら繰り返し読んでいると、イエス・キリストという人間が、千年、二千年にひとり、現れるか現れないかというぐらいの思想家だということを、聖書ははっきりと示していると思いました」

池澤夏樹氏

「聖書というのは信仰がない者にとっては一冊の書物であって、客観的に読んで、面白いと思っても、わけがわからないと思ってもいい。あるいは自分のノートブックに抜き書きして、人生の指針にしてもいい。イエス・キリストというのはたいへん優れたスピーチライターであり、コピーライターですから、名言がたくさんある。また、イエスという一人の男の波乱に満ちた悲劇的な生涯を、伝記を読むようにたどることもできる」

橋本治氏

「日本にも旧約聖書的なものはあったと思います。律令というのが旧約聖書的なものだったと思う。平安時代が終わって鎌倉時代になって、朝廷というのが形としては残っているけれども形骸化してしまったという段階で、律令は旧約聖書的なものとして残ったんじゃないかな。
 結局日本には、旧約聖書的なものは合わないんだと思う。だって島国で領域がはっきりしているから。旧約聖書というのは、離散したユダヤ人の結束を固めるためのものでしょう。日本人ははじめから固まってるんだもの、どういうわけか」

秋吉輝雄氏

「ヘブライ語という言葉は、乱暴にいってしまうと、過去・現在・未来の区別がない、時制のない言語なんです。天地創造の物語も、神のなさった過去の偉大なる御わざというよりは、いままさに眼前で行われている感じなんですね」

内田樹氏

「ユダヤ=キリスト教の伝統のなかで、思想史的にもっとも重要なメッセージは『今あなたがいるその場所から立ち上がって、知らない世界に向かって歩み出なさい』という教えに集約されます。自分が閉じ込められている檻から出よ。自分が生まれついた風土から外へ出よ。聖書の発信するもっとも根源的な指南力は、この『外へ』というメッセージに尽くされるのではないかとぼくは思います」