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大鐘良一・小原健右『ドキュメント 宇宙飛行士選抜試験』(光文社新書)

 みんなの夢を背負って

「宇宙」特集の入稿作業を進めていた時期です。何気なく見始めたライブ中継に、いつの間にか引き込まれていました。“成功”が伝えられた瞬間には、目頭が熱くなりました。

 日本時間の8月24日午後7時29分。19日に種子島宇宙センターから打ち上げられた宇宙ステーション補給機「こうのとり」5号機(HTV5)は、5日間かけて高度約400キロの国際宇宙ステーション(ISS)の下方約10メートルに到達しました。そこで、エンジンを停止。ISS内で待ち構えていた宇宙飛行士の油井亀美也(ゆいきみや)さんが操る長さ17.6メートルのロボットアームによって、しっかりと捕捉されたのです。

 筑波宇宙センターにあるHTV運用管制室に拍手がわき起こります。続いて油井さんの朗らかな声が届きます。

「きょうは私も……宇宙開発の中ではひとつの小さな歯車ですけれども、自分の仕事をしっかりして、一等星並みにちょっと輝けたかなと、この瞬間だけは思います」

 いまごろ何を言うかと笑われそうですが、1961年、ソ連のユーリー・ガガーリンによる世界初の有人宇宙飛行に感激した時代から、ずいぶん遠くまで来たものだと思います。あの時、宇宙飛行船ヴォストーク1号に乗った27歳のガガーリンは、大気圏外の地球を1周して戻るわずか108分の冒険旅行によって、世界中の歓呼の声を浴びたのです(No.556参照)。

「こうのとり」は、宇宙空間という特別な環境を使って実験・研究などを行っているISSに水、食料といった生活物資や、実験装置、研究用資材を送り届けるための輸送手段として、日本が開発した無人の宇宙船です。補給と同時に、ISS内の不要物を運び去る重要な役目も担っています。この定期便をロボットアームでしっかり受け止めるキャプチャ(把持操作)には高度な技術が必要とされ、宇宙飛行士の評価に直結します。それが油井さんのミッションでした。また今回は、これをアメリカ航空宇宙局(NASA)の管制センターで、宇宙飛行士の若田光一さんが地上からの交信担当として支援していました。

 このように国際協力プロジェクトの重要なオペレーションを各所で日本人が支えていました。ガガーリンの偉業も、その後のアポロ11号の月面着陸も、およそかけ離れた次元の出来事として眺めていただけの世代には、言葉では言い尽くせない感慨がこみ上げます。

 さて、その油井亀美也さんが宇宙飛行士に合格した2008年のJAXA(宇宙航空研究開発機構)による宇宙飛行士選抜試験の実態をつぶさに描いたのが本書です。それまでに4回行われたこの試験では、8人の宇宙飛行士(毛利衛、向井千秋、土井隆雄、若田光一、野口聡一、星出彰彦、山崎直子、古川聡)が選ばれています。しかし、その選抜試験の内幕は“極秘事項”として高い壁に阻まれていました。それを初めて密着取材することに成功したNHKクルーによるドキュメンタリー作品が本書です。

 久々に読み返して、改めて感動がこみ上げました。熾烈な選抜プロセスであることはもちろんですが、その緊迫したドラマ以上に胸を打つのは、これがひとつの人間賛歌を奏でているからに他なりません。

 2008年の候補者募集には963人の応募がありました。まず書類審査、英語の筆記・ヒアリング試験で4分の1以下の230人にまでふるいがかけられます。さらに一般教養や科学の専門知識の筆記試験、医学検査、心理・精神面の検査で48人に。そして1週間にわたる2次選抜(4日間の徹底した医学検査、面接試験)で10人にまで絞られます。面接は1人あたり40分。応募者の“本気度”を推し量りながら、今回はとりわけ“集団を統率する力”、さらには“危機に対応する力”に重きが置かれました。

「毛利、向井、土井、若田、野口、そして星出と、この20年間、日本人が宇宙飛行を重ねてきました。さらに『きぼう』を通して、アメリカのNASAやロシア、ヨーロッパ、カナダと、世界の宇宙機関とともに仕事をするようになりました。そうした経験から、どのような日本人が、“優れた”宇宙飛行士になれるのかが、やっとわかってきたのです。だから今回は、『答えがわかって』選抜ができる、最初の試験だといえます」

 JAXAの審査委員長がこう述べる背景には、「国際宇宙ステーションのリーダー、“船長”になれるような人材がほしい」という悲願がこめられていました。結果、10人の最終候補者は「可能なら、全員選びたいぐらい」という顔ぶれが揃います。物語は試験の流れに沿って一人一人の背景にも触れながら、なぜ彼らがここに来たのか、そしてどのように試練に立ち向かったかを伝えます。

 1週間におよぶ最終試験の舞台となるのは、宇宙飛行士を訓練する目的で作られた「閉鎖環境施設」と呼ばれる密閉空間です。外部との私的なやり取りは一切禁止されたこの濃密なストレス環境に加えて、さらに「できうるかぎりのストレスをかける」過酷な課題が与えられます。

 日本人として初めて宇宙に長期滞在し、国際的な評価も最高ランクの若田光一さんが、この試験の意図するところを伝えてくれます。

「宇宙での生活というのは、やっぱりきついですよ。実験とか、整備の仕事とかいろいろあるうえに、日課がものすごく厳しく決まっている。1つの仕事に時間をかけすぎれば、他の仕事にも影響が及んでしまうようなタイトスケジュールなのです。
 そして外は、10億分の1気圧、ほとんど真空に近い状態で、放射線が飛び交っていたり、温度も寒暖の差が200度以上になったりするという厳しい環境です。空気のバルブを動かす手順1つにしても、間違えると本当に真空状態にむき出しでさらされてしまう。運用上のミスが、致命的なミスになる可能性があるのです。日本人として初めて長期滞在した自分にとって一番恐ろしいことは、やはり“失敗”でした。失敗は許されないということです。そのプレッシャーに耐えながら、任務をこなさなければならないのです」

 こうしたストレスフルな環境にも負けない強い精神力と、プライバシーのほとんどない密閉空間での長期共同生活に適応できる力。さらにチームワークを発揮するためのリーダーシップ(指導力)とフォロワーシップ(リーダーに従い、支援する力)を備え、チームを盛り上げるユーモアのセンスにも優れ、いかなる危機的状況にあっても決して“折れない心”の持ち主であること。これを見極めるのが最終試験の目的です。

 宇宙飛行士としての「ライトスタッフ(正しい資質)」(*)を、誰が本当に備えているのか。次々と困難な課題を与えることによって、その適性を審査するのです。

 自分の身に置き換えて読んでいくと、あっという間に脱落しそうになるのが分かります。「可能なら、全員選びたいぐらい」と審査委員長をして言わしめたほどの粒ぞろいの候補者が、独特の雰囲気にペースを乱されて空回りを演じたり、平静さを失ってしまうのです。それでも、そこからまた自分を立て直していきます。10人のグループの中で持ち味を発揮していきます……。

 読むにつれ、ここで試されているのは紛れもなく、候補者たちがそれぞれの人生を通して培ってきた“人間力”そのものだということが分かってきます。「自分のすべてをさらけ出そう」と当人たちもどこかの時点で吹っ切れます。ありのままの自分をさらけ出すしかない。「宇宙という、逃げ場のない特殊な環境にも耐えうる強い精神力。国籍を超えて、誰からも慕われ、信頼される“人としての魅力”」を備えているかどうかは、素の自分をアピールする他ないと悟るのです。

 一人一人が徹底的に追い詰められるこのプロセスでは、静かな興奮がみなぎります。厳粛な気持ちに襲われます。そして最後に、ここまで試練をともにしてきた10人の候補者が、思いがけないクライマックスを演出します。最終試験6日目が終わったところで未完成のままになっていた課題――千羽鶴を完成させることに対してです。ノルマは1人100羽。10人で合計1,000羽を折るはずでした。しかし、1名を除いては誰もノルマを達成しておらず、合計は600羽ほどという状態でした。

 候補者たちは自由時間を使って、全員総がかりで目標を達成することに同意します。すでにノルマを達成した者も、折り鶴が苦手な候補者のバックアップを引き受けます。
 
〈消灯の24時になるまで、10人は鶴を折り続けた。折りながら10人は、仕事のこと、家族のことなど、心の内を打ち明けあった〉
 
 翌日の午後1時、7日間におよぶ閉鎖環境試験が終わり、候補者たちは重い金属の扉の向こうから、1人ずつ姿を現わします。審査委員たちが待っていました。「おかえりなさーい!」。出てきた彼らの胸には、折り鶴を糸で結んで作った、手作りのネックレスが下がっていました。そこには「FX10」というチーム名が書かれていました。「FUTURE EXPLORER 10(未来を探求する10人)」という意味が込められていました。
 
〈10人で折り上げた千羽鶴を、誰に手渡すか。
 彼らは鶴を折った最後の晩に話し合い、「この中から宇宙飛行士に選ばれた人間が最初に宇宙飛行をするとき、一緒に宇宙へ持って行ってもらおう」と決めた。
 そして、出来上がった千羽鶴の結び目のところには、1枚のメッセージカードがつけられていた。10人全員が綴った、未来の宇宙飛行士に宛てたメッセージがあった〉
 
「初心を忘れずに 一緒に夢を追ったみんなが応援しています」

「みんなの夢を乗せて! 無事に帰ってきてね」

 結果を知ったいま読むと、なおさら胸が熱くなります。

 そして「みんなが応援してるよ! 任務を成功させて無事に帰ってきてください」と書いたのは、油井さん。きっといま宇宙空間にいる彼のかたわらには、千羽鶴がお守りのように携えられているのでしょう。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
 
*1950~60年代のアメリカで宇宙飛行士に挑んだ男たちの栄光と苦悩を描いたトム・ウルフのベストセラー『ザ・ライト・スタッフ』(中公文庫、品切れ)によって定着した言葉です。、映画化されて日本でも1984年に公開されました。油井さんはこの映画を見て、宇宙飛行士に憧れたと語っています。

※来週は都合により1回休みます。次回の配信は10月29日となります。
 
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