Kangaeruhito HTML Mail Magazine 655
 
 野坂番のさだめ
 
 12月9日、野坂昭如さんが亡くなりました。お世話になった作家の訃報に接することがとみに増えている昨今ですが、私にとって野坂さんは格別の存在です。前回このメールマガジンで、新米編集者の私が女優の連載対談を命じられた話を書きました。それとほぼ同じ頃、担当を仰せつかったのが“野坂番”でした。

「今度、ノサカショーニョの連載を始めることになったので、担当してもらう」――ある朝、「婦人公論」編集長に言われます。ノサカは、“あの野坂”以外に思い浮かばず、ショーニョはなるほど「昭如」のことかと見当がつき、「光栄です」と短く答えます。すると、「ハハハ、大変だぞ」と編集長の顔に意味ありげな笑みが浮かびます。「ま、君はまだ何も知らないだろうから、細かいことはM君に聞くように」。……そこでM先輩に声をかけると、「ハハハ、身体は丈夫そうだから、きっと務まるよ」と、明るく笑って肩を叩きます。

 数日後、Mさんに連れられて初めて野坂邸を訪れました。庭に少し突き出した造りの瀟洒な応接間で待つうちに、うつむき加減の野坂さんが現われます。われわれの顔を見るでもなく、こちらの挨拶に頷くようにして、腰を下ろします。会話の9割近くは先輩がひとりでしゃべり続け、野坂さんは時々相槌を打つくらい。最後に「なるべくご迷惑をかけないようにしますから」と照れ臭そうにひと言。「では、どうぞよろしくお願いいたします」「ええ、どうも」といった顔合わせでした。

 その後、1、2度内容の打合せをし、タイトルは「行き暮れて雪」に決定します。「雪は、新潟が舞台だからというのと、昭如のユキにひっかけて」。挿画は司修さんにお願いすることに――。

 こうして始まった連載小説は、1回が400字詰め原稿用紙で40枚。アニメ映画でも知られる「火垂るの墓」(『アメリカひじき・火垂るの墓』、新潮文庫所収)の主人公が、焦土の飢餓地獄、焼跡の混乱期を生き抜いて、多感な青春時代を迎えるという野坂さんの自伝的小説です。

 貿易商を営む裕福な養父母のもとで育った少年が、神戸で空襲に遭って戦災孤児となり、幼い義妹を栄養失調で死なせます。その負い目を抱えながら、やがて東京に流れつき、そこで窃盗を働いたために少年院に送られます。ところが、実の父親の名前を言ってみたところ、連絡がつき、少年は新潟に引き取られることになります。

 実父は時の新潟県副知事でした。食うや食わずだった焼跡の浮浪児が、いきなり副知事の御曹司として、公舎での新生活を送り始めます。そこには、先妻を亡くした父が迎えた年若い継母も住んでいました……というのが1回目です。

 書き出しのイメージもはっきりしていて、後は野坂さんが原稿用紙のマス目を埋めていくばかり……という順調な滑り出しを期待していましたが、初回から完結までの2年あまり(最後の数回は、私が人事異動で担当を外れますが)、1回の原稿を奪取するために最低20回は、野坂さんのもとに通います。

 周囲の人たちからは、微に入り細に入り、編集長の顔に浮かんだ笑みの意味を講釈されます。先輩編集者だった作家の村松友視さん(当時は文芸誌「海」編集部)からは、ほぼ実況中継のように聞きました。

 締切を過ぎ、遅れに遅れた原稿の督促に、深夜の2時、村松さんが野坂邸を訪ねます。他のページはすべて校了となり、野坂さんの部分だけが空白状態で残っている、という切羽詰まった状況です。インターフォンを押すと、「はい……」と「観念したような声」がして、野坂さんが門のところまで出てきます。玄関から門までは15メートルほどの下りのスロープになっていて、編集者は降りてくる野坂さんを凝視しながら待ち受けます。

「どうでしょう……」
「それが、まだ最初のところをぐるぐる回ってるんですが」
「あの、あとは全部終ってしまってですね、今日は日曜日だもんですから、下請けの印刷所の職人を、野坂さんだけのために待たせてあるんです」
「…………」
「何とか、今晩中に最初の部分でもスタートしないと、完全にアウトなんですよ」
「…………」
「どうでしょう」

 迫る村松さんに、「それじゃあ、あと二時間くらいたったら来てくれませんか」と野坂さん。「二時間、四時ですね」「そのインターフォンを、ぼくの部屋につないでおきますから」「大丈夫ですね」「そのとき、出来てるだけお渡しして、それからあとはピストン輸送で……」「じゃ、四時ジャストに来ます」「本当に、申し訳ありません」「いいえ、じゃ四時ジャストに」

 あと2時間。仕方がないので村松さんは、最寄り駅近くの終夜営業の焼肉店に入ります。午前4時。ジャストを厳守するのが“編集者のダンディズム”とばかり、再び急ぎ足で野坂邸に向かいます。
 
〈そして、月の光で腕時計を確認し、おもむろにポケットから手を出して人差指をインターフォンに近づけた。そのとき、私は信じられないことを発見してしまった。野坂昭如が午前四時に押してくれと言った、そのインターフォンがないのだ。人差指の前には、インターフォンが引きちぎられたあとの、赤と白のコイルが二本、月の光の中にあざやかに跳ね上っていたのだった。
 私は、月光に浮き出た赤と白のコイルをながめながら、思わず声をあげて笑ってしまった。
(これは、俺の負けだ……)〉(村松友視『夢の始末書』角川書店、1984年)
 
 こうした驚異の出来事が、毎回手を変え品を変え、大なり小なり発生します。執筆中に姿をくらます、居所がつかめない、追跡劇が始まる、というのはお定まりのパターンで、いわばウォーミング・アップのようなもの。20回は通ううち、半分近くが空振りで、電話で本人の確答を得てから訪ねても、「野坂は出かけております」という奥様の声を聞くか、まったく「ノー・アンサー」であったりするのです。深夜、鉄の門を乗り越えたことも何度か。雨戸を叩き、庭先から書斎に向かって呼びかけます。誰かが警察に通報したら大騒ぎだな、と思ってはみても、これを敢行しないわけにはいきません。

「あれほど人格高潔な男が、平然と嘘をつくのが、わたしには判らない」と旧制新潟高校の先輩で、野坂夫妻の媒酌人である丸谷才一さんが首をかしげます(「友よ熱き頬よせよ」、『低空飛行』新潮文庫所収)。しかし、その人格高潔の後輩が、紛れもなく、ギネス級の嘘八百を並べて雲隠れするのです。

「どちらにお出かけかお分かりでしょうか?」「それは私が教えていただきたいくらいです」――という奥様を責めても仕方ないので、当時、書生のように野坂家に通っていたS青年を懐柔し、彼からおおよそのスケジュールを聞き出します。あるいはレコード関係のマネジャーのHさんの助力を仰ぎ、危機管理の網の目を幾重にも張り巡らせて備えます。他社の編集者からも情報を得ます。

 それでも、敵もさるもの。さらに裏スケジュールを隠していたり、そもそも本人さえ忘れていた予定が急浮上したり……追跡劇はいつも予想を超えた波乱含みのゲームでした。ラクをしてすんなり40枚の原稿を手にすることは一度としてなく、そうした一定の“儀式(ルーティーン)”を共にすることで、次第に執筆に向けて自らの妄想をかき立てていく作家の役づくりを手伝っている、といった感もありました。

 追いかけて新潟、山形、神戸……。逃亡先を突き止め、夜汽車で追い、現地で身柄を拘束して、東京へ連れ戻す。現地の方々には、「先生はこの後大事なお仕事が控えておりますので、本日のところはこれで失礼いたします」などムニャムニャ説明し、脇目も振らずに駅へ急行。帰りの車中はお休みいただき、東京に着くなり、たいていは神楽坂の勝手知ったるカンヅメ旅館「和可奈」へ直行するパターン。先生には2階の部屋にお入りいただき、当方は玄関脇、階段下の部屋に詰め、1時間刻みに2枚、3枚ずつ原稿を受け取って、それを印刷所に届けます。

 この「和可奈」でも、村松先輩の苦い教訓がありました。玄関に斜めに走っている赤外線装置(人が通過すると、パポンという音が響く仕掛けになっている)を巧みに潜り抜けた野坂さんが、風のごとく姿を消していたのです。

 ……ここまでくると、ある種の尊敬の念が湧くとはいえ、むざむざ逃亡を許すわけにはいきません。階段を降りるミシリという音がする度に、部屋の襖(ふすま)をおもむろに開け、寝ずの番は監視の目を光らせなくてはなりません。

 それでも一度だけ、見事に逃げられてしまいました。もぬけの殻となった二階の部屋の机には、特注の原稿用紙に鉛筆書きの独特の文字で、書置きが一枚残されていました。時すでに遅し。天を仰いだことはいうまでもありません。

「自宅への夜討ち朝駆け、カンヅメ、旅行への同伴、駅での待伏せ、そしてまた自宅への夜討ち朝駆け……こんな手順を踏んだあげく、さらにその先にあるのは、印刷所へ帯同して出張校正室で書いてもらうという方法だ」(前掲書)と村松さんは述べていますが、そういえば、印刷所近くの食堂で、タモリさんのラジオ番組に出ている野坂さんの声を聞き、ニッポン放送のスタジオへタクシーを飛ばしたこともありました。出てきた野坂さんをどんなふうに迎えたか、細かいことは忘れましたが、顔を見るといつも何だか憎めなくなり、強く出られないのが野坂番のさだめです。

 村松さんともよく語り合ったものですが、あれだけ酷い目にあって、いいかげん腹も立つ、もうしばらく原稿を頼むのは止めよう、と思う端(はじ)から、最後の1枚がようやく手に入った瞬間に、怒りはすっかり消え失せて、ゴールした喜びをともに分かち合うような共感が生まれるのはなぜだろう、と。

 12月12日、井の頭線「西永福」の駅から、かつて通いなれた道を歩き、野坂家の密葬に向かいます。あの頃は、携帯電話もメールもなく、FAXすらまだない時代でした。おまけに野坂邸の周りには公衆電話もなく、インターフォンに何の応答もない時は、待たせておいたタクシーで公衆電話のある場所まで行き、そこで空しい呼び出し音を聞いたものです。

「一番いい顔をしていますので見てやって下さい」と奥様に言われて、棺の野坂さんに対面すると、凛々しく、穏やかな表情で、何か言いたそうな口もとです。庭に出ると、かつてキック・ボクシングにはまっていた頃の、サンドバッグ、錆びた鉄アレイ、バーベルがそのまま放置されています。サンドバッグをサッカーのボレーキックのように蹴った時、野坂さんが黙ってこちらを手で制し、試技を披露してくれたことがありました。きれいに決まった回し蹴りに目を丸くした私を、満足げに眺めていた野坂さん。

 どうぞ安らかにお眠り下さい。合掌。

 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
 
*『行き暮れて雪』(中公文庫、品切れ)は、自伝作家・野坂昭如の抒情性と物語性をともに備えた、いまだに愛おしい1冊です。『エロ事師たち』(新潮文庫)、『骨餓身峠死人葛(ほねがみとうげほとけかずら)』(岩波現代文庫)と併せて、私のおすすめの3冊です。

*年内の配信はこれで終了したいと思います。本年もたいへんお世話になりました。皆様、どうぞよいお年をお迎えください。次回の配信は新年1月1日です。
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