『中村屋のボース』『パール判事』などの著作で知られる、北海道大学准教授・中島岳志さんの連載が「親鸞と日本主義」です。中島さんは、主にインド地域研究と日本近代の思想史とりわけ保守や右翼思想について考究しています。
 本連載のテーマは、日本近代における親鸞思想の影響について。ご存知のように、浄土真宗の教学は、『歎異抄』の発見と再評価などもあり、明治以降急速に進化していきました。廃仏毀釈という逆風の中、清沢満之や暁烏敏などといった指導層の奮闘もあり、真宗教団は影響力を高めていきます。そのピークは、大正期から昭和前期で、親鸞とその弟子・唯円の対話を戯曲風にまとめた、倉田百三の『出家とその弟子』はベストセラーとなり、当時の若者や知識人を中心に親鸞の思想が広まっていきました。
 しかし、他の宗派と同様、真宗教団も戦争協力を推し進めました。教団は、浄土真宗の信仰と全体主義的な日本主義を両立させる「真俗二諦論」を打ち出し、「信仰と戦争」の両立をはかったのです。この「真俗二諦論」は、戦後批判の的となり、教団も反省の意を表明、そのことは「負の歴史」として認識されるにいたりました。
 それでもまだ大きな「問い」が積み残されたままであると、著者は言います。
 それは、「親鸞の思想そのものが、危険な要素を内包しているのではないか」(連載第一回)――。
 いくら教団が反省の言葉を繰り返しても、親鸞の思想そのものがもつ「危険」にメスを入れることなど許されません。つまり、このような本質的な「問い」について、徹底的に考察される機会は決して多くありません。それは、大川周明や北一輝といった戦前のイデオローグに影響を与えた、日蓮主義についての考究がかなりの量と質でもって行われているのとは、対照的です。
「(親鸞の)思想的危険性を顕在化させたのが、大正から昭和前期の親鸞主義者なのだとすれば、彼らの議論に遡行することで浄土真宗の信仰の論理そのものを見つめ直す必要があるのではないか」(同)。
 倉田百三、三井甲之、亀井勝一郎など、親鸞思想から日本主義へと傾倒していった人物たちの言葉を取り上げながら、なぜ「南無阿弥陀仏」や「絶対他力」の思想が、「日本原理主義」へと接続していったのか――。
 親鸞の750回忌にあたる、2011年を目前にして、そのことについて考える連載です。