【考える本棚】
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 安田寛『バイエルの謎――日本文化になったピアノ教則本』(新潮文庫)
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 「有名にして無名」の音楽家を追って
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 水泳の習い始めが“顔つけ”や“蹴伸び”であるように、ピアノ初学者はバイエルの練習曲から、というのが常識でした。私も、ご多分に漏れず、その口でした。ただ、最初についた先生の指導方針だったのか、バイエルはさっさと切り上げて、とにかくハノン、ツェルニーの30番、40番、そしてブルクミュラー、ソナチネ、ソナタと、とにかく先を急がされました。なので、バイエルについてさほどの懐かしさはありません。それでも、本書のタイトルを見た瞬間、むしょうに読みたくなりました。

 ひとつには、バイエルを“時代遅れ”だというバッシングがいまや定着しているからです。「バイエルはもう古い、本場のドイツではもう誰も使っていない。名前すら知ってない。そんなバイエルを使い続けているのは、世界の中で日本だけだ」といった批判です。1980年代末から始まりました。

 文化後進国の怠慢だ、とでもいわんばかりの論調でした。芸術的にもつまらない、世にも退屈なテキストを、日本だけが後生大事にありがたがっている!? ホンモノには手が届かず、翻訳や複製を通して西洋文化を享受してきた極東の島国の悲哀が、このバイエル信仰にも表われているという口ぶり。正直、反撥を覚えました。われわれはニセモノをつかまされて、だまされていたのか? そうではないでしょう。これほど日本に根づいてきたのには、それなりの理由があったはず。バイエルを糧とした洋楽教育を無化するような非難には、どこかついていけないものを感じました。

 そんな“私憤”を晴らすかのように、本書は面白い本でした。一気に読み終えてしまいました。しかも、当初の期待をいい意味で、見事に裏切る展開でした。最後は思いも寄らない場所に連れ出されます。何か貴重な宝ものに触れたような余韻と感動に浸されました。

 フェルディナント・バイエル。数冊の音楽事典を調べても、「1803年7月25日にクヴェアフルトに生まれ、1863年5月14日にマインツで没したドイツの作曲家。マインツの音楽出版社ショット社で働き、数えきれないほどの編曲を書いた」という記載がすべてです。彼について書かれた本は1冊もなく、160年以上もロングセラーを続けるピアノ教則本の作家について、記録がまったく残っていません。「バイエルほど有名でかつ無名である人物もめずらしい」と著者も首をかしげます。

 実在しない架空の人物だったのか? ことによると、ツェルニーあたりの偽名ではないのか? 加えて、バイエルというピアノ教則本自体も謎だらけです。

〈いきなり連弾ではじまっている。なぜだろう。それから一番はいきなり変奏曲である。そのあとの二番も変奏曲である。しかも変奏曲なのはこの一番と二番だけである。曲の通し番号の付け方もよく分からない。番号の付いていない曲もある。 さらに……作品百五十六番まであるバイエルの作品の中で編曲ではなくオリジナル作品はバイエル・ピアノ教則本だけである。なぜバイエルはこの教則本だけ自作品を書いたのだろう。版はといえば、実に多種多様な版が乱立して、どれが本物のバイエル・ピアノ教則本なのかさっぱり分からない。この混乱を収めるために必要なのは、初版である。しかし、それを見たものは誰もいない〉

 ことに日本では、「標準版 バイエルピアノ教則本」をはじめ、あらゆるバリエーションが揃っています。「子どものバイエル」、「いろおんぷばいえる」、「バイエルであそぼう」等々……「バイエル文化」とでも呼ぶべきひとつの集合体が生まれています。いったいいつ、どのようにして、バイエルは日本にもたらされたのか? なぜ、ここまで普及を遂げたのか?

 こうして、調査はあらゆる糸口をたどりながら、信頼できる情報への接近を図ります。人に尋ね、インターネットで検索し、図書館への照会、現地踏査――ライプツィヒ、ニューヨーク、ウィーン、マインツ、バイエル生誕の地クヴェアフルト(旧東ドイツ)、イェール大学のある米ニューヘイヴンなど……取材は6年におよびます。

 調査の道行きはあたかも長篇ミステリーを読むかのようです。人間味にあふれた私立探偵が、足を棒にしてひたすら歩き、扉を叩き、真実を求める旅を続けます。レイモンド・チャンドラーの作品で、フィリップ・マーロウの遅々とした足取りが、作品の魅力と切っても切り離せないように、本書もまた“seek and find”のもどかしさが、エンタテインメントとしての重要な要素になっています。

 本書の中ほどにさしかかろうとするあたりで、最古のバイエルがどうやらニューオーリンズの大学図書館にあるらしいと分かります。興奮して照会メールを送ります。すると、とんでもない返事が届きます。「ハリケーン・カトリーナによる大洪水で地下にあった音楽図書館が水に浸(つ)かって蔵書が被害を受けた」と。

〈他人事(ひとごと)と思っていたハリケーン・カトリーナの洪水被害のせいで、夢が無残に散ってしまった。世界で唯一残っていたバイエルの初版かもしれないものが、水浸しになって永遠に消失してしまったなんて〉

 こうした躓(つまず)きに出くわすうちに、読者もいつしか謎解きの苦楽をともにし始めます。やがて、その熱意が報われて、さまざまな発見が生まれてきます。その小さなドラマが積み重なって、最後の驚くようなバイエルとの遭遇に向かって、後半は一気に駆け上がります。

 著者の行く先々には多くの協力者が現われます。研究者の仲間もそうですが、著者の情熱に親身になって応じる人たちが、神様のお導きかと思われるほど登場してきます。たとえば、マインツ市立文書館(アルヒーフ)で働く若い女性司書。彼女は著者が口を開く前に「何かお手伝いしましょうか」と親切に申し出てくれます。

〈私はこの町で亡くなったフェルディナント・バイヤーという人物を調べに来ました。作曲家なのですが、日本ではとても重要な人物です。彼のピアノ教則本で日本人は百年以上もピアノを勉強してきたのです、と時々ドイツ語を挟んだ英語で説明した。何とか理解してくれたようだった〉

「その人物の生没年は分かりますか?」「1806年にクヴェアフルトに生まれ、1863年にマインツで亡くなりました」「私たちはその人物の記録を特定できるかもしれません」と彼女。端末のキーボードを何回も叩いては、検索を続けます。「この人物ですね」――彼女が画面を示します。

 その瞬間、著者はふと気づきます。1806年? どうも焦(あせ)って誕生年を、3年間違えて伝えたようだ。つまり、1803年と言うべきところを、1806年生まれと伝えてしまった、と。

 ところが、これが幸いします。バイエルの正しい誕生年は、なんと1803年ではなく、実は1806年だったのです。偶然の、この間違いがなかったとしたら、バイエルの戸籍や市民権申請書類に辿り着くことは不可能でした。

〈間違えていたのは事典の方で、バイエルの生年は正しくは一八〇六年だったのだ。このとき、自分の間違いに何か運命の導きのようなものを感じた。これまでと違った新しい領域に入るこれは象徴なのだ、と〉

 女性司書が次々とバイエルの戸籍の記載事項を読み上げます。

〈まるでパルテノンの神殿で巫女(みこ)の宣託を聞いているようだった。彼女は魔法を使っているのだろうか。それとも神と交信しているのだろうか。市立図書館で建築関係のカタログを見つけてからわずか三時間あまりで私は別世界にいた。私は巫女を通じてバイエルと交信していた〉

 こうしてバイエルの家族関係、両親が明らかになり、マインツでの住所も判明します。司書に教えられ、その住居跡を訪ねます。番地を確かめながら、移り住んだ2つの住居を探し、通りを行ったり来たりして、ついに建物の前に佇みます。

 そして翌日、バイエルの生まれ育ったクヴェアフルトに向かいます。ここでは、教会の記録庫に案内されます。牧師が「うっすらと埃(ほこり)をかぶった古い木の机の上」に、関係ありそうな年代のブッフ(記録簿)を取り出してきます。

〈記録簿の手書きの文字はとても私が読めるようなものではなかった。手書きというだけではなく、書体が親しんでいるアルファベットとはまるで違っている。彼に読んでもらうしかない。私といえばただ黙って精一杯、どうしても知りたいのです、という気持ちを身体全体で表すしかない。身じろぎもせず、彼の動作をじっと注視する。この気持ちが牧師さんに乗りうつりますようにと祈る〉

 それでも、なかなか到達しません。何度か絶望感に襲われます。牧師が出かけなければならない時刻が近づき、万事休すか!? と思われた瞬間、ここに“奇跡”が起こります。バイエルが日本に伝えられてから130年経って、「ようやくたどりつくべき地点にたどりつ」くことができるのです。

〈後に日本のピアノ文化に大きな貢献をすることになるバイエルが誕生した瞬間が記録されていた。私は思わず牧師と固く握手をする。机で隔てられていなければ彼を抱擁したことだろう。しばらくは心が空になった。身体が地上を離れて高く高く舞い上がった〉

 この先に続く30数ページは、さらに驚く発見です。思いもかけないバイエルの実像が、ピアノ教則本をめぐる幾多の謎が、一気に解き明かされていくのです。

〈……バイエルは歴史の中でもう二度とは生まれてこない教則本だったのだ。ある歴史が終わろうとするその一瞬だけに誕生することのできる稀な教則本だったのだ。 だから、バイエルは世界中で愛されることになったのだ。そこにバイエルの秘密がある。漠然とは感じられていても、はっきりと知ることのできなかった秘密がそこにある〉

 さて、冒頭に書いた私のピアノ・レッスンですが、あるところで、すっかり情熱が失せました。スポーツ熱に完全に取って代わられたのです。いまではピアノの前に坐っても、鍵盤に触れたいとは思いません。かつてこれを弾いていた、という事実がにわかに信じられないくらいです。

 ところが、この本を読んで、不思議な気分に襲われました。もう一度バイエルを弾いてみたくなりました。とりわけ「静かにした手」というバイエルにとってきわめて重要な思想=指を交差させない手の美しいこなしの記述を読むと、初めてピアノに向かっていた頃の幸福感が急によみがえってきたのです。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)