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森健『小倉昌男 祈りと経営――ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの』(小学館)

 秘められた「祈り」

 私淑、といってもいいくらい小倉昌男さんを敬愛していた友人がいました。小倉さんが2005年6月に80歳で亡くなる3年前、彼は49歳でこの世を去りました。名著『小倉昌男 経営学』(日経BP社、1999年)に感銘を受け、日経新聞の「私の履歴書」(2002年1月)の連載を強力に推進したこの友人が、本書を読んだらどういう感想を述べるだろう? きっと小倉さんに対する一層の親愛感を語ったに違いない、と思うのです。

 この1週間ほどは、「東日本大震災から5年」にちなんだテレビ番組や特集記事を、たくさん目にしました。被災地や被災者のその後の物語には、たいてい予期せぬ発見が含まれています。ふと見始めたテレビ番組は、結局、最後まで見てしまいます。震災の現場を歩いた時の光景が、あれこれ瞼に浮かんできて、5年の歳月が長いのか短いのか、心が行ったり来たりを繰り返します。

 そんな時間が流れている時に、この本と出会いました。書店の平台で見た瞬間、小倉さんの穏やかな風貌の向こうに、被災地の中を突き進む、1台のトラックのイメージがせり上がってきました。「すごいな。すごい写真ですね」という糸井重里さんの声がダブります。

 2011年3月24日の朝日新聞に掲載された写真。震災発生の数日後から救援物資を届けるために、ヤマト運輸の社員たちは自発的に配送を始めました。津波に押し流された瓦礫で道路はふさがれ、ただでさえ通行が困難な上に、あたりの光景は変わり果てていました。いまどこを走っているのか、届ける先はどこにあるのか。地元を熟知した人でも呆然とするしかない状況でした。その中を走る「クール宅急便」のマークが、何と凛々しく見えたことか……。

 糸井重里・ほぼ日刊イトイ新聞による『できることをしよう。――ぼくらが震災後に考えたこと』(新潮社、2011年12月16日刊。現在、新潮文庫)を作った際に、表紙にこの写真を使ったのは、ごく自然な流れでした。冒頭に収録された木川眞(きがわまこと)ヤマトホールディングス社長(当時)と糸井さんの対談には、「クロネコヤマトのDNA。」というタイトルがついています。何より世間を驚かせたのは、被災地復興のために、「宅急便1個につき10円の寄付」を行います――「宅急便ひとつに、希望をひとつ入れて」という新聞広告を4月11日に発表したことです。

「なぜ、そんなすごいことができるんですか?」と糸井さんが聞いています。「それは、うちの会社のDNAですよ」「しみついているんです、社員のからだに」と木川社長。寄付を全額無税にするために、その時受け入れ先となったのが、小倉昌男さんのつくった「ヤマト福祉財団」です。

 前代未聞のこの寄付の話は、本書『小倉昌男 祈りと経営』の中でも取り上げられています。宅急便の年間取扱い量が約13億個、それに「ヤマト福祉財団」からの直接の寄付を合わせると、総額142億8448万751円――前年度のヤマトグループの純利益の約4割にも相当する額です。英断を下した木川社長の心中は、4年後のインタビュー記事(プレジデントオンライン、2015年4月7日)で紹介されています。
 
〈震災に遭遇したのは未曽有の“ピンチ”ではありましたが、社員に対して平素からいっていた「世のため人のため」「サービスが先、利益は後」という理念経営を具体的な形で見せる機会でもありました。(中略)大きな決断にあたっては、「小倉さんだったらどうするだろう」と考えるのです。「小倉さんなら、今の環境の中、何をするだろうか。震災直後のこの状況だったら、小倉さんも宅急便1個につき10円の寄付をきっと認めてくれるだろう」と自分に言い聞かせているところはあります〉
 
 小倉昌男は「宅急便の父」「行政の規制と闘った男」「名経営者」として知られるだけでなく、会社経営を退いた後は、巨額の私費を投じてヤマト福祉財団を創設し、福祉の現場に経営感覚を持ち込み、障害者の自立のためのベーカリーのチェーンをつくる(障害者の月給を1万円から10万円に上げる)など、さまざまな功績を残した人物です。その一方で、寂しがり屋でお茶目な一面や、妻とともにあちこち旅をし、俳句を楽しみ、義太夫を語り、敬虔なクリスチャンとして日曜日には教会で祈りを捧げ(妻と同じカトリックに改宗する際は、2年間、1日も欠かさず毎朝7時に夫婦で礼拝に通った)……というように、誠実で清廉な人柄が慕われていました。

 本書の著者もまた「ビジネスの戦略家としても、大組織の長としても、あるいは、引退後に福祉に力を入れたことなど、どの角度で見ても、すばらしい人物であろうと想起された」と認める通りです。ただ、何冊も書かれた小倉の人物論や小倉自身の著作を読んでも、「どこかもやもやする部分」が残ってしまう、と著者は感じていたようです。「なぜなのかを考えると、どうしてもわからなかったことが三つほどあった」と。

 1つは、「退任後、なぜ彼はほとんどの私財を投じて福祉の世界へ入ったのか」という動機の部分です。財団設立時、準備室に三越の紙袋を2つ、両手に下げて入ってきた小倉は、「これを頼むよ」と無造作に置いていったというのです。そのまま帰路についたスタッフが、さすがに中身のことが気になり引き返すと、中にはヤマト運輸の株券2000枚(1000株単位なので200万株)が入っていました。当時の株価は1240円なので、24億8000万円の有価証券がむき出しのまま置かれていたのです。「株なんて、ただの紙切れだから」と当人が思っていたとはいえ、度肝を抜かれる話です。それだけに動機が気になります。
 
〈会社経営を離れたら何をするか。お世話になった社会への恩返しに、福祉の仕事をしたいと思った。……設立の目的は、心身に障害のある人々の「自立」と「社会参加」を支援することである。/身近に障害者がいたとか、特別な動機があったわけではない。ただ、障害者は同じ人間として生まれながら、自分の責任ではないのにハンディキャップを負っている人が多い。日ごろ、お気の毒だなと感じていた〉(小倉昌男『経営はロマンだ!』、日経ビジネス人文庫)
 
 他の著書でも似たような、いたってあっさりとした説明です。最終的に私財46億円をポンと投じたにもかかわらず、「特別な動機」がないというのは、やはり不可解だと著者は感じます。

 2つ目は小倉の人物評――外部の目で見た印象と小倉自身の自己イメージには、かなりのギャップがあるという点です。理不尽な官僚相手に闘った「論理と正義」の勇士のはずが、「実際は、自分でも情けなくなるぐらい気の弱い人間だ。ケンカっ早いどころか、むしろ、何か言いたいことがあっても遠慮して引いてしまうことのほうが多い」「私は気が弱い。おまけに引っ込み思案で恥ずかしがり屋である。そのため人前でしゃべるときにはたいへん緊張してしまう。そんな自分の性格がとても嫌だ」という自己分析。この隔たりは何なのか?

 3つ目は、最晩年の行動です。末期がんに侵された高齢の身であるにもかかわらず、アメリカの黒人男性と結婚し、4人の子どもとともに一家でロサンゼルスに住んでいた長女のもとで、最期を迎えたという理由。渡航のリスクを顧みず、なぜアメリカまで行ったのか? いったい本当の小倉昌男とは、どんな人物だったのか?

 こうした小さな疑問を糸口に、関係者の取材を進めるにつれて、思わぬ話に発展します。愛妻の死による心の空隙を埋めるために、あるいは敬虔なクリスチャンらしい博愛精神から障害者福祉に関わっていったというこれまでの通説を揺るがす新たな事実が明らかになります。

 宅急便事業を軌道に乗せ、「動物戦争(クロネコ、ペリカン、カンガルー、ライオン、パンサー、つばめ、小熊などのキャラクター合戦)」と呼ばれた同業他社との熾烈な競争に勝利をおさめ、運輸省との闘いや、資金調達をめぐる社内問題も克服し、「スキー宅急便」「ゴルフ宅急便」「クール宅急便」など新しい商品の開発でも快進撃を続けた表の顔とは裏腹に、家庭内に抱えた深刻な問題で、翻弄され、苦悩し、ひたすら忍従するしかなかった日々の様子が、次第に浮かび上がります。

 本書で驚嘆するのは、巧みな構成力とストーリーテリングの鮮やかさです。夫として、父としての小倉の知られざる内面が徐々に輪郭をあらわし始め、ついには誰もが知り得なかったワンピースが最後に埋められていくスリリングな物語の展開です。関係者の信頼を勝ち取りながら、この劇を鮮やかに組み立てていく取材力と筆力は見事です。およそ考え得るかぎりの当事者には、すべて直接会って話を聞き、彼らの支援のもとに本書が書かれた――そのこと自体が、達成です。そして圧巻は、何と言っても妻と娘に関する記述です。

「小倉さんにとって、真理さんはアキレス腱だったんです。真理さんがわがままを言い、小倉さんがその面倒を見る。玲子さんは振り回される。そういう関係がありました。彼女の存在なしに小倉さんは語れないんです」(元秘書の証言)

「真理」は長女、「玲子」は妻。妻と娘は衝突を繰り返します。妻は精神的に追い詰められます。
 
〈わがままな娘とそのわがままをけっして叱らない父。平時の小倉、ビジネスの小倉、論理の小倉をよく知っている人ほど、その違和感は際立った〉
 
 ここからの展開は、本書の記述に譲りたいと思います。近しい人たちが次々に胸襟を開き、また妻亡き後、晩年の小倉を支えた女性から機微に触れる証言が得られます。そしてアメリカに住む長男と会い、最後にどうしても会わなければこの物語にピリオドが打てない対面が、クライマックスとして用意されます。

 偶像破壊でも、事実の単なる暴露でもなく、小倉昌男という人の心の襞に触れる真実が惻々として胸に迫ります。
 
〈冬草や黙々たりし父の愛  富安風生〉
 
「小倉さんの人生を思うとき、僕はついこの句を思い出してしまうんですね。じっと我慢して愛情を注いできた父の姿。そうして尽くしてきたのが小倉さんの人生だった。さらにもう一言言わせてもらえば、娘だけではなく、いろんな人に対して、父のように静かに尽くしてきた。小倉さんはそういう人でした」
 
 傍で見つめてきた人の偽りのない感懐です。また、小倉のひそやかなメッセージを、アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーの言葉に読もうとした人の指摘も印象的です。「ニーバーの祈り」と称される有名な言葉――。
 
〈神よ
 変えることができるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
 変えることのできないものについては、それを受け容れるだけの冷静さを与えたまえ。
 そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを識別する知恵を与えたまえ〉

 座右の銘はと問われたら、「真心と思いやり」だと語っていた小倉さんの内なる勇気に、少しだけ近づけたような気がします。


 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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