憚りながら、春先に「鳥類学者 無謀にも恐竜を語る」という本を上梓した。恐竜は恐竜学者に任せておけばよかろうと思う方もおられるだろう。しかし、現代においては鳥類学者こそ率先して恐竜を語るべき理由がある。これは、研究者のロマンと人類の知的好奇心の物語である。

 失礼、ご挨拶が遅れて申し訳ない。小生は日ごと夜ごとに鳥類の研究を繰り広げる鳥類学者である。焼鳥屋で蘊蓄を語り、ケンタッキーで鹿爪らしく食欲を満たす学究の徒だ。恐竜の前に、まずは鳥類学者について紹介させていただきたい。

 私は費用対効果に優れる鶏肉を好ましく思っているが、研究対象はニワトリやペットバードではなく、野生の鳥類である。普段は、小笠原諸島を中心に、鳥類の生態と保全を研究する日々を送っている。小笠原諸島は、生物進化のホットスポットであり、2011年には世界自然遺産に登録された魅力の島だ。最寄り駅は山手線の浜松町駅だが、改札から島までは約26時間かかるので要注意である。

 本州と小笠原の間は千㎞の距離がある。国際宇宙ステーションが地上から4百㎞であることを考えると、その隔離の程度がわかるはずだ。諸島を構成する島々も、海で隔離されている。そんな孤立した世界でも、鳥には翼があり海を越えて往来する。飛翔能力が鳥類の最大の魅力であることは、言うまでもない。鳥になりたいと宣う美人は多かれども、この人はダチョウの首の長さを欲していると誤解する愚か者はいまい。鈍重な私は天翔る鳥たちをこよなく尊敬している。

 鳥の移動能力は尋常ではない。例えばオナガミズナギドリは、1日に数百kmを飛翔し、最大60mも潜水する一方で、営巣のために地面に1mもの穴を穿つ。自衛隊もオリュンポスの三神も、陸海空で分業しているにもかかわらず、彼らは一人で全ての空間にアプローチするのだ。この移動力が、島と海と島をつなぎ、生態系のネットワークを構築する。陸鳥は花蜜や果実と引き替えに花粉や種子を運び、海鳥は魚を食べて陸に糞をすることで海の栄養を陸上に運ぶ。小さな島だからこそ、鳥の機能をダイナミックに実感できることが、島嶼生物学の醍醐味である。

 とりわけ魅力的な舞台は無人島である。無人島では、困難な上陸、厳しい地形、飲料水の欠如、コンビニの不在、その過酷な環境が人間の活動を妨げてきた。このような場所は、アプリオリに調査が進んでおらず、新知見への期待が大きい。ただし、アプローチの難しさも自明であり、天気図をにらみ、ウェットスーツに身を固め、飲料水を担ぎ、溺れそうになりながら業務に勤しむことになる。

 私は、鳥類への尊敬の念をこじらせた末、嫌がる鳥を鷲づかみ、体重を測り、採血し、糞分析に明け暮れている。もちろん尊敬の念は伝わらず、鳥にはとことん嫌われている。それでも過酷な勤務地に通い続けるのは、そこに甘美な誘惑があるからだ。未知の現象を、世界で初めて発見することができるロマンこそが、研究の原動力である。

 多くの紳士淑女にとって、鳥類学は縁のない世界だろう。しかし、鳥類への畏敬の念は、私だけのものではないはずだ。人類が鳥への憧憬を胸に歴史を歩んできたことは間違いない。イカロスが、ライト兄弟が、風の谷のナウシカが後世に名を残してきたことが、その証拠である。

 純粋な憧憬は対象への知的欲求を呼び起こし、人類は鳥への興味を学問に昇華してきた。最も古い鳥類学の記述は、インドの聖典ヴェーダに記された鳥類の托卵習性への言及だとされる。これは紀元前10~同5世紀ごろに編纂されたものだ。古代ギリシャの哲学者アリストテレスも、著書「動物誌」にハトやクジャクなどの生態を記している。鳥類学は3千年の歴史を持つ学問分野なのである。研究のロマンに、国も時代も関係ないのだ。

 この伝統ある鳥類学の中で、最も好奇心を刺激する課題の一つが、鳥類の進化だ。羽毛や飛翔、二足歩行といった独特の特徴が、如何に進化してきたのかは、謎に包まれていた。ところが20世紀後半から、そのミステリーに迫る証拠が蓄積されてきた。しかしそれは、鳥類学の成果ではなく、恐竜学の世界からもたらされたものだった。

 鳥類は、ワニの仲間から進化したと考えられていたこともある。しかし、恐竜の化石が蓄積されるにつれ、鳥類との共通点が次々に見つかってきた。1970年ごろから、恐竜が鳥の祖先であるというアイデアが支持されはじめ、現在では獣脚類を起源とする説が広く受け入れられるようになっている。獣脚類とは、ティラノサウルスの仲間である。もちろん、体長10mにも及ぶティラノサウルスが、脚力にものを言わせて空に跳び上がったわけではない。小型の獣脚類の一部が、飛翔能力を得るに至ったと考えられている。

 この議論に決定的な証拠を与えたのが、96年から相次ぐ羽毛恐竜の発見である。鳥の特徴と考えられてきた羽毛が、飛べない恐竜の体表からも見つかり始めたのだ。羽毛恐竜の存在は、鳥と恐竜の関係を確固たるものとすると同時に、羽毛が飛翔のために進化したものではないことも証明した。また、安定した二足歩行という、現代ではヒトと鳥類のみが持つ性質も、恐竜から受け継がれてきた遺産と考えられる。鳥類の進化を理解する上で、もはや恐竜を無視することは不可能なのだ。

 鳥類の起源の解明は、同時に恐竜のイメージの見直しに貢献した。恐竜は6千6百万年前に絶滅したため、その生活や外見に関する情報は至極限られている。しかし、その情報の一部は、現生鳥類に受け継がれている可能性があるのだ。このため、鳥類との比較により、在りし日の恐竜を復元する試みがなされている。恐竜の子育てなどの行動も、鳥類の行動を参考に研究が進められている。こうして、鳥類の研究は、恐竜の理解という付加価値を持つに至った。

 鳥類学と恐竜学のコラボレーションは、研究を互いに加速させる推進力となっているのだ。

 鳥類にしろ恐竜にしろ、生物の研究のおもしろさは「特殊性」と「一般性」にあると言える。たとえば、小笠原のみに住むメグロという鳥は、普通の飛翔能力を持つ小鳥だが、わずか4kmほどしか離れていない島の間も移動しないことが、DNAの研究からわかっている。飛翔力を持ちながら移動性を失ったメグロは、その特殊性におもしろさがある。

 一方で、島では昆虫や植物など様々な生物で、移動性が低くなることが知られている。隔離された孤島では、周囲に定着すべき島がないため、移動性の高い個体は海に没し生き残りにくいことが原因の一つである。移動できるはずなのに移動しない鳥という「特殊性」が、島の生物に共通する「一般性」で解釈できるのである。このように、生物界の個々の多様な事象を明らかにしつつ、総合的に解釈することこそ、生物学の最たる魅力である。

 見慣れ過ぎていて普段は意識しないが、鳥類の飛翔力は特殊性の極みである。起源としての恐竜を考慮することで、いずれその進化の謎を解くことができるだろう。恐竜は有無を言わさぬ特殊な動物だが、鳥類研究から一般化された理論を適用し、その古の姿が復元可能となる。鳥類学と恐竜学の調和は、特殊性と一般性が織りなす生物学の醍醐味そのものなのだ。

 2億年以上前に世界に恐竜が出現し、1億5千万年前には鳥類も出現した。太平洋の片隅での研究を礎に、いつか恐竜から現生鳥類に至る2億年の進化を理解することが、私の野望の一つである。今年も夏休みには各地で恐竜博が行われることだろう。皆さんも、恐竜に鳥の姿を重ね、その姿を探究してみてはいかがだろう。そうすれば、恐竜は見知らぬ過去の遺物ではなく、少し身近な存在に感じられるはずだ。遥か過去に滅んだがゆえ、恐竜の姿に模範解答はなく、貴方の想像こそが真の姿かもしれない。そして私は鳥に嫌われながら、また明日も恐竜の姿を探しに行くことにしよう。

(「考える人」2013年夏号掲載)