最新号の特集「福岡伸一と歩くドリトル先生のイギリス」の取材で驚いたことがあります。物語の舞台となっているイギリスでは、ドリトル先生の物語は、あまり読まれていないようなのです。日本での人気が突出しているということなのでしょうか。不思議に思いました。
 そんな中で、福岡さんはドリトル先生がなぜいまの日本において読み継がれているのか、その普遍性の謎に焦点を合わせていきました。そして結果的に90枚にも達したエッセイの中で、福岡さんは幼少時の『ドリトル先生』物語との出逢いに思いをはせながら、誰もが子ども時代に持っていたはずのセンス・オブ・ワンダー(神秘さや不思議さに目を見はる感性)に目を凝らしていきます。
 福岡さんは、第一作『ドリトル先生アフリカゆき』では登場しなかったスタビンズ少年が『航海記』に颯爽と現れ、その後の物語で、終始語り手となることに注目します。少年の視点というフィルターを通すことでドリトル先生の魅力は増し、物語全体に深い味わいが生れてきます。ドリトル先生とスタビンズ少年が雨の中でぶつかり、初めて言葉を交わす『航海記』のシーン。イギリス取材の旅を通して、福岡さん自身とスタビンズ少年は徐々に重なっていきます。
 井伏鱒二の翻訳はすばらしいものです。言葉遣いが少々古く感じられる部分はあるものの、超えることは容易にできないでしょう。ですがあえて新訳に挑戦してみたい――福岡さんの思いはそこでクライマックスに達します。それは、描写が叙情的で美しいからという理由だけではなく、少年がすばらしい大人に出会い、未知の世界の扉を開くという、普遍的なテーマがそこに集約されていると福岡さんが考えたからです。何度も英語を読み、日本語を考え直す、その作業をともにしながら、福岡さんとはこんなことを話しました。もしかして、作者のヒュー・ロフティングは、ドリトル先生のような大人に出会ったのではないだろうか? 
 8歳で寄宿舎に送られたロフティングは、スタビンズ少年と同様に孤独を感じ、そんな中でドリトル先生のような人に実際に出会ったのではないか。
 皆さんの少年、少女時代はどのようなものだったでしょう。「誰にもわかってもらえない」という不安を抱え、大人への階梯で感じる自己嫌悪やもどかしさに思い悩む。そんなときにドリトル先生に出会えたら? この特集に流れる音楽にじっと耳を澄ませば、忘れていた音色がきっと蘇ってくるにちがいありません。