2012年3月末に一般社団法人エル・システマジャパンが発足すると、5月頭には相馬市との間で協定が結ばれるという驚く早さで事が進んでいった。タイミングも幸いした。震災から1年が経とうとしていたその頃、相馬市は復興プランを考えている最中だった。復興の新しい仕組みとしてエル・システマが受け入れられる素地がまさに生まれていたのである。相馬副市長の佐藤憲男は当時の状況をこう回想する。

「たまたま相馬市役所にエル・システマのことをよく知っている職員がいたんです。周りにも相馬出身のフルート奏者、岡崎明義先生の教え子で音楽好きなのが何人かいましてね。『これはいいことだから市としても受け入れる体制を作ろう』みたいな話になりまして。市長も言っていましたが、子どもたちのケアをどうするかというのが大きな課題だったので、将来にわたって継続的な取り組みができればという思いからエル・システマジャパンと協定を結びました。偶然が偶然を呼んでこういう形になった感じですね」

 数ヶ月前にマックウィリアムがかけてくれた言葉も菊川の背中を後押しした。オーケストラや合唱を皆と共に作り上げ、音楽を通して日々の困難を乗り越える力を育んでいく。そこに日本独自のやり方があっていいはずだし、扱う課題は被災地が抱える問題に限らないはずだ……。菊川自身、音楽が人びとの身近な場所にあって、困難を支えてくれるものだという実感は、ユニセフに移る前、ユネスコの南アフリカ事務所に勤務していた頃、何度も抱いていた。

 そんな中、思わぬ大物アーティストがエル・システマジャパンに援助の手を差し伸べた。ピアニストのマルタ・アルゲリッチが自身の演奏による震災復興支援チャリティーCDの売り上げ300万円を寄付したのである。10年以上前からエル・システマに注目していたKAJIMOTOの佐藤正治副社長(当時)の口添えで実現したものだった。立ち上がって間もないエル・システマジャパンは、ほぼこのお金だけで初期を過ごすことになる。

 そして同年9月16日、ベルリン・フィルハーモニーの室内楽ホールでIPPNWのチャリティーコンサートが開催された。実を言えば、私とエル・システマジャパンとのご縁も、1本の電話から始まった。このコンサートの少し前、ベルリン在住の音楽評論家、中田千穂子から「IPPNWが今回の公演のCDを作るので、ボランティアで写真を撮ってくださいませんか?」という依頼を受けたのである(戦後、被爆地の広島で生まれた中田は、公演に先駆けて挨拶を述べることになっていた)。この日、菊川と佐藤副市長もゲストとして呼ばれ、公演前に被災地の現状をベルリンの聴衆の前で話した。ハウバーの一言から始まったその公演の背景などつゆ知らずの私は、本番中カメラを構えながら、フルートのエマニュエル・パユやベルリン・フィル12人のチェリストたちなど豪華メンバーが奏でる演奏に酔いしれていたのである。この夜の収益金25,509ユーロ(当時のレートで約260万円)は、相馬子どもオーケストラの設立のために全額寄付された。

2012年9月16日、ベルリン・フィルハーモニーの室内楽ホールで行われたIPPNWのチャリティーコンサート。
 

「子どもたちのオーケストラが今まさに立ち上がろうとしていますが、いつか彼らとベルリンに来て、これだけ支援をしてくださったドイツの皆さまに報告できる日がくればいいなと思っています」と、菊川は当時現地のメディアの前でこう話した。3年半後、相馬の子どもたちが同じ場所でコンサートを行うことになるとは、そのときは想像すらしていないのだった。

(つづく)