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加藤文俊『おべんとうと日本人』(草思社)

お弁当の底力

 この1週間ほどは、本屋さんをずいぶんまわりました。雑誌リニューアルのご挨拶と応援のお願いを兼ねてです。“春うらら”の好天にも恵まれ、満開の桜をあちらこちらで愛でながら、慌ただしいけれども、気分の浮き立つツアーでした。幸い、雑誌の売行きも好調です。

 その中の1店、有隣堂アトレ恵比寿店を訪ねた時です。4月11日までの開催でしたが、店頭で「お弁当フェア」が行われていました。お花見を皮切りに、いよいよ行楽シーズンの到来です。新入学・進学の子どもたちに、これからお弁当作りを始めるお母さん(あるいはお父さん)も多いことだろうと思います。社会人になった自分用に、という人もいるかもしれません。それにしても、美味しそうなお弁当レシピ本の充実ぶりもさることながら、お洒落なお弁当グッズがこんなにたくさんあるなんて!
 ランチボックス、曲げわっぱ、おむすび型やキャラクターものまで、お弁当箱が、素材、形状、大きさなど選りどり見どりである上に、どれもがカラフルでファンシーです。まるでおもちゃか、文房具の売場みたいで、これも新しい書店の装いかと。

 お弁当包みにもいろいろきれいな柄が揃っていて、その日の献立や、お弁当を開くシチュエーションに応じて、あれこれ柄を選ぶ楽しみがありそうです……等々、お弁当ライフ門外漢は、いまさらながら社会勉強になりました。そして、ふと思い出したのが、しばらく前に読んだ本書です。さまざまな話題が盛り込まれた、まさにお弁当的な1冊ですが(本のデザインもかわいいお弁当箱ふう)、雑誌というものはお弁当によく似ている、と改めて認識し直すことになったのです。

 つまり、(1)お弁当はメディアである、(2)お弁当とは編集力の産物である――というのが、本書の伝える大きなメッセージです。お弁当が、作り手と食べる人の箱を介したコミュニケーションだとするならば、編集者と読者の誌面を通したコミュニケーションが雑誌だといってもいいでしょう。一例を挙げれば、「面白かった」という読者の声に顔をほころばせる編集者は、「おいしかった」と空っぽになったお弁当箱を受け取る作り手の表情に、どことなく似ていると思うのです。
〈私たちが、旅や遠出に食べものを携行すること自体は、古くからおこなわれていた。おべんとうの起源については諸説あるが、荒川浩和の論考には、「弁当(辨當)」という語は、本来「分ち當(あ)てる」「備へて用に當てる」の意味であると書かれている。「弁当」がことばとして現れるのは一六世紀末だが、類似の語はすでに平安時代に見られていたらしい。「分ち當てる」とは、つまり細かく区分けすること。仕切りのある器は、私たちにとって馴染みぶかいおべんとう箱のイメージである〉
 
 
 本書第1章の書き出しです。そこには、「目的別弁当の歴史」という表が添えられていて、弥生時代、旅・労働に出かける際に携行するものとしてお弁当の歴史が始まり、安土桃山時代に遊山・舟遊び用、江戸期に芝居用・幕の内や通勤用腰弁当、やがて明治になって通園・通学用、昭和に入って外食用(松花堂弁当)など、用途が広がります。

 そして日本のお弁当文化は、限られたスペースの中に、いろいろな種類のおかずを小分けにして整然と詰め、食材のバラエティも見栄えも彩りも実に細やかな神経が行き届いているところに特徴があります。「BENTO」がいまや国際語になっているのは、ただ単に昼食をパックして携行しているわけではないからです。世界の携行食に比して、「日本人の性格や美意識などを色濃く映しながら、独自に進化」し、いまなお進化し続けているからに他なりません。

 もちろん作り手の可処分時間や、段取り力の違いはありますが、幕の内や松花堂弁当、さらにはお節料理のお重などを“極北”としながら、作り手の思いをこめ、創意工夫し、時には遊び心を加えながら、無償の情熱がお弁当づくりに傾けられていることは驚異的といってもいいでしょう。丹精こめた盆栽づくりにも匹敵するミクロコスモスへの集中です。

 一世を風靡した李御寧(イー・オリョン)さんの『「縮み」志向の日本人』(講談社学術文庫)が説くように、「詰める」ことは日本人にとっての重要な美意識であり、私たちは気持ちや想いを凝縮させることに価値を見出し、「詰めることができないものは、つめられないもの、すなわち『つまらないもの』」になりました。

 工業デザイナーの榮久庵憲司氏は、『幕の内弁当の美学』(朝日文庫)のなかで、日本人の美意識やものづくりなど日本的発想の原点を、「幕の内弁当」の成り立ちに見ています。「異質なものを貪欲にとりこんで、それぞれの特性をすべて活かす」という「幕の内弁当」の美学こそが、日用品やクルマ、住宅など、日本のデザインに通底していると見なします。
 
〈『幕の内弁当の美学』のなかでとくに興味ぶかいのは、「幕の内弁当」に凝縮された美意識を、「まにあわせの芸術」として性格づけている点だ。「まにあわせ」とは、つまり臨機応変ということ。即時即興的な判断で、「時と場と、材料の入手の難易、コストとのみあい、そしてタイミングといった条件に、時間的に、質的に、量的にまにあわせる術」だという。これは、まさにおべんとうづくりの現場に求められる姿勢を、的確に表しているのではないだろうか〉
 
 日常生活では予期せぬことが起こります。思い通りにことが運ばないケースのほうが多いくらいです。その時に、臨機応変に身を処して、「むしろ創意工夫の契機だととらえること」こそが重要なのだと本書の著者は語ります。「カワイイもの・ちいさいものに対する愛好精神と、それらを巧みに組み合わせようとする『編集力(臨機応変の術)』があれば、多くのことは乗り越えられるはずだ」というのです。

 われわれが日常的に行っている雑誌編集の現場も、これと瓜二つの光景を繰り広げています。限られたページ数の中にどれだけ「異質なものを貪欲にとりこんで、それぞれの特性をすべて活かす」かに心を砕いています。そして、想定したシナリオの変更に「まにあわせ」の判断で対処しながら、結果として、作り手の思いや愛情を詰め込んだパッケージを読者のもとに届けます。それを味わい尽くしてもらいたいと願いながら――。

 さらにもう一つ。お弁当はメディアである――ということに関して言うと、本書で初めて出会った名文があります。それは2001年、香川県綾川町の滝宮小学校で始まった「弁当の日」という試みがもたらした成果です。「弁当の日」は今年3月26日時点で、全国1807校で実施されているといいますから、この文章もよく知られているのかもしれません。私は初めてだったので、驚きました。

「弁当の日」の大切なルールは、「親が手伝わない」「子どもだけ(自分)でつくる」ことだそうです。献立作り、買い出し、調理、弁当詰め、片づけまで、全部やるのは子ども自身。「子どもが早朝に厨房に立ち、あれこれと試しながら手を動かすことこそが、『弁当の日』が目指す『学び』の源泉だ」という考えが基本にあります。

 もっとも昨今は、「子どもの貧困」が深刻な社会問題になっています。この試み自体に異論がないわけではないようです。持ち寄ったお弁当を子どもたちがお互いに「見せっこ」する中で、それぞれの家庭環境の差が露呈してしまう――実際、お弁当を作って持ってこれない児童が、その日に学校を休むという事態も起きています。
 
〈これに対して、「弁当の日」をはじめた竹下和男(滝宮小学校校長・当時)は、「『弁当の日』に欠席したという事実は、その子が社会(親や教師、地域の大人たち、そして仲間たち)に突きつけたメッセージ」なのだと言う。子どもたちのおべんとうづくりを介して、大人たちを成長させる。それによって、健やかな家庭環境をつくろうという呼びかけでもあるのだ〉
 
 私が「まいった」と思って読んだのは、この竹下先生が平成14年度の卒業生に贈った言葉です。「弁当の日」を2年間経験した最初の卒業生。合計11回の弁当づくりを自分でやった子どもたちに向けたメッセージです。引用するととても長くなるのですが、あえて以下に掲げます。
 
 
〈食事を作ることの大変さがわかり、家族をありがたく思った人は、優しい人です。
 手順良くできた人は、給料をもらう仕事についたときにも、仕事の段取りのいい人です。
 食材がそろわなかったり、調理を失敗したときに、
 献立の変更ができた人は工夫できる人です。
 友達や家族の調理のようすを見て、ひとつでも技を盗めた人は、自ら学ぶ人です。
 かすかな味の違いに調味料や隠し味を見抜けた人は、自分の感性を磨ける人です。
 旬の野菜や魚の、色彩・香り・触感・味わいを楽しめた人は、心豊かな人です。
 一粒の米、一個の白菜。一本の大根の中にも「命」を感じた人は、思いやりのある人です。
 スーパーの棚に並んだ食材の値段や賞味期限や原材料や産地を確認できた人は、賢い人です。
 食材が弁当箱に納まるまでの道のりに、たくさんの働く人を思い描けた人は、想像力のある人です。
 自分の弁当を「おいしい」と感じ「うれしい」と思った人は、幸せな人生が送れる人です。
 シャケの切り身に、生きていた姿を想像して「ごめん」が言えた人は、情け深い人です。
 登下校の道すがら、稲や野菜が育っていくのをうれしく感じた人は、慈しむ心のある人です。
「あるもので作る」「できたものを食べる」ことができた人は、たくましい人です。
「弁当の日」で仲間が増えた人、友達を見直した人は、人と共に生きていける人です。
 調理をしながら、トレイやパックのゴミの多さに驚いた人は、社会をよくしていける人です。
 中国野菜の安さを不思議に思った人は、世界をよくしていける人です。
 自分が作った料理を喜んで食べる家族を見るのが好きな人は、人に好かれる人です。
 家族が弁当作りを手伝ってくれそうになるのを断れた人は、独り立ちしていく力のある人です。
「いただきます」「ごちそうさま」が言えた人は、感謝の気持ちを忘れない人です。
 家族が揃って食事をすることを楽しいと感じた人は、家族の愛に包まれた人です。

 滝宮小学校の先生たちは、こんな人たちに成長してほしくって2年間取り組んできました。
 おめでとう、これであなたたちは「弁当の日」をりっぱに卒業できました〉
 
 
 この式辞にはいま世界で、日本で問題とされているテーマが、ぎゅっと凝縮されているといっても過言ではありません。雑誌編集者を奮い立たせる“お弁当力”を見せつけられた気がします。

 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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