路地を抜けると、埠頭に出る。両手いっぱいのヴェネツィアと対面して、一日が始まる。海峡沿いに歩くと、対岸のサンマルコ広場も並んでついてくる。畏れ多く、しかし嬉しい。雨でも風でも、朝が待ちきれない。業務船舶を係留するための木の杭が、ところどころに突き出ている。空いた杭頭にカモメが留まり、じっと水面を見ている。目が合うと、クォーと甲高い声で鳴く。黄色の嘴が、明るい緑色の海峡に映える。

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 毎朝、コーヒーのあと本島側に渡る。決まった勤め先も予定も持たない私の、唯一の日課だ。水上バスが岸壁を船尾で軽く押し返すようにして弾みをつけ停留所を出ていくとき、ヴェネツィアの中でのもう一つの旅が始まるようで胸が高鳴る。毎日乗るたびに心が弾む。
 水上バスは、海峡を直進して渡らない。水の流れと並行になるように船体を定める。幅広の海峡の中央に向かってわずかに進み、たちまち舵を大きく右に切って、海峡の中央で大きくUの字を描き船首から停留所に入っていく。船がカーブを切るとき、それまでは船尾の向こうにあった風景がぐるりと回って視界に飛び込んでくる。歌舞伎の回り舞台を見るようだ。360度のヴェネツィア。
 ひと駅で本島側に着く。いわゆる海峡の渡し船だが、観光客なら5ユーロ(約610円)、住民なら1.5ユーロ(約183円)の運賃だ。「法外に高い」と不評だけれど、これほどの観劇がどこでできるだろう。下船するのが名残惜しく、感嘆したまま、艫綱(ともづな)をブイに投げかける乗務員が幕引きに思えてつい深々と礼をする。

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 本島のことをヴェネツィアに住む人たちは、<町(チッタ città)>と呼ぶ。
 朝、干潟から本島へ渡る乗客は、大半が学生や勤め人である。ひと駅なので、風雨が強くても船内席には着かず甲板に残る。同乗する人どうし、軽く挨拶を交わしたり世間話をしたりしている。どの人も訛りが強い。思えばこの町は、どの時代にも外からやってくる人を迎え入れては、また外へと送り出すことを繰り返してきた。たとえイタリアであっても、他都市の人ならここでは異邦人のうちである。普段使いの言葉で通じる相手が身内であり、それ以外は等しく異人なのだ。
 船のエンジン音と吹き抜ける潮風にかき消されて、隣の人たちの雑談は細切れにしか聞こえない。それでも新規の店舗の評判や何某氏の結婚式、開通したばかりの遠距離バスの乗り心地、市議会選の噂などが漏れ聞こえてくる。甲板で耳にした話を確かめようと思い立ち、本島に降りてから先の、その日の予定を決めることもある。
 本島へ着くと、直進してアカデミア橋を渡る。木造の太鼓橋でたっぷりとした幅を持ち、緩やかな曲線を描いて大運河に架かっている。長い橋は、渡るあいだにすっかり息が上がる。
 「ああ」
 息を切らして上ってきた人たちが頂点で一様に息をつく。
 そこからの眺めは、世界の名所の中で最も写真に撮られ絵に描かれるのだという。

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 たとえどんなに急いでいても、皆そこでいったん足を止めるのを物売りたちはよく知っている。頂点から数段下で欄干に寄りかかって立ち、自撮りの棒やらいかにも安物のプラスチック製の仮面、にわか雨が降ればビニール傘を、暑い日には帽子やサングラスを持って観光客に声をかけている。
 頂点でふと立ち止まると、ここでもまた水上バスの甲板のように地元の顔馴染みどうしがすれ違いざまに挨拶を交わして、橋のこちらとあちらに別れていくのである。
 「あら、おはよう!」
 一休みしていた私に声をかけたのは、ギャラリーに勤める知り合いの女性である。大陸側からバスで本島まで通勤している。足早に階段を下りかけて、
 「あれ、観ておくといいわよ」
 橋の前にあるアカデミア美術館を指して言い、じゃあ、と手を振って橋下へと去っていった。
 『アルドゥス・マヌツィオ展』。

 アルドゥス・マヌツィオは、1500年代初めのヴェネツィアで文庫版やイタリック書体を生み出して、ルネサンス時代の幕開けに大きく貢献したアイデアに満ちた出版人である。その没後500年を記念しての展覧会なのだ。
 ヴェネツィアのサン・マルコ広場をぐるりと囲む建物の中に、壮大な国立図書館がある。マヌツィオ本の初版も所蔵されていて、図書館利用カードを作り申請すれば誰でも原本を手に取って見ることができる。
 橋の頂から、あらためて絶景を眺める。大運河には、何艘もの船が悠々と浮かんでいる。
 アルドゥス・マヌツィオは自ら興した出版社の社標に、イルカが錨に絡まる図を使った。 
 <落ち着いて、急げ>
 一貫して変えなかった、彼の出版哲学である。
 展覧会のポスターを目にしてそれを思い出し、私は長く緩やかな太鼓橋を軽快に下りてみる。

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