夕刻の水田。
 

 私は野菜を(特に生で)食べるのが好きではない。今でこそ、健康のことを考えて半ば義務感に苛まれつつも食べるようにしている。しかし、幼い頃は絶対に食おうとはしなかった。こんな青臭くて不味いもの食うくらいなら、いっそ舌を噛んで自害するほうが余程ましだとさえ思っていた。当然ながら、当時の両親はそんな私のワガママを許さず、どうにかして野菜をこのガキに食わせようと四苦八苦したようである。

 たしか、まだ幼稚園にも上がらないくらいのころだったろうか。ある日の朝食に、食べた事のないブロッコリーが出た。当然、食わず嫌いの私はこれの摂食を辞退しようとしたが、問答無用で却下された。どうしても食いたくないとぐずる私に、母親の方だったと思うが、「ちゃんと食べたら、外にいるカエルがお祝いしてくれるから」と私を諭した。引くに引けず、私は意を決してその緑の禍々しい固形物を口に入れた。長時間、自分の口にそんなものを入れておきたくなかったので、味わいもせず数回甘噛みしてからひと思いに飲み下してしまった。その瞬間だ。タイミングを見計らうかのように、庭先から高らかに一匹のアマガエルの声がしたのは。雨が降るでもない、晴天の朝だったにも関わらず。母親は、あくまでも苦肉の策で言っただけだろうし、カエルも気まぐれで鳴いたに過ぎない。偶然に偶然が重なっただけなのだが、あれ以来私はカエルが好きになったように思う。

 私は昔から、カエルに慣れ親しんで育った。思い返せば、思い出の要所要所に必ずカエルの存在がねじ込まれてきたように思う。幼少期に育った静岡の家のそばに、廃車となった汽車の置いてある公園があった。この園内の芝生を横切る、幅の狭いアスファルト遊歩道には、等間隔になぜか小穴が空いていた。それを覗き込むと、いつでも必ず何個かの穴にアマガエルが隠れていて、指を突っ込んで追い出して遊んだ。小学生の時、群馬の僻地に移り住んだが、ここは周囲が広大な水田地帯だった。畔を歩くと、次々にトノサマガエル(と当時は思っていたが、これは近似種トウキョウダルマガエル。関東地方には基本的に真のトノサマガエルは分布しない)がロケットのように田んぼにダイブし、見ていて爽快だった。そして大学生になり、成人になった今でも、私は路でカエルを見ると何かちょっかいを出したくて身体が疼く。初夏に少し山の方へ行くと、湿った沢の石組みの隙間から犬のような声で鳴くタゴガエルの歌が聞こえる。彼らの声質は人のそれに似るため、大抵の人ならば傍で真似してくぐもった声を喉から出すと、カエルもそれに反応して答えてくれる。夜の森では楽しい遊び相手だが、知らない人がこの声を聴いたら、大興奮でテレビの心霊特番に投稿してしまうかもしれない。

水中に沈むタゴガエル。
 

 大学生時代、自身の研究対象であるアリの巣の共生生物を集めるべく、同じ研究室の友人とともに初夏の西日本を縦断したことがあった。ある日の夜、大分の山あいにある寺院に泊めてもらった。そこはすぐそばに水田があり、沢山のトノサマガエル(これは本物)が鳴いていた。行ってみると、カエル達は多くの個体が水の張られた田んぼの「沖」のほうに陣取っているようで、手の届きそうな岸辺には殆ど見当たらなかった。トノサマガエルのオスは、頬の両側を大きく膨らませて鳴く姿がかわいい。どうにか間近でその顔が見られないかと、岸辺をひたすらウロウロしていたところ、ただ1匹だけ比較的近い所にいるオスを見つけた。ただ、それでも岸から2mくらいは離れた所にいたため、間近でじっくり見るには至難な状況だった。こいつを、自発的にもっと手近に寄せてやろう。私は悪巧みを思いついた。 

鳴くトノサマガエル。
 

 繁殖期のトノサマガエルのオス達は、それぞれが田んぼの一定範囲内(だいたい半径1m位だろうか)に縄張りを構え、そこを死守する。他の個体がそれを侵すと、オスはそれが何者かを確かめるべく接近する。侵入者がメスであれば、オスはそのままその背中に取り付いてめでたくカップル成立となり、他の個体に干渉されない産卵場所へ移動する運びとなる。しかし、ライバルのオスが侵入者だった場合、その場でオス同士の激しい戦いが始まる。トノサマガエルの戦いは、取っ組み合いの相撲だ。相手の正面から飛びかかり、上から押さえつけて相手の顔を水中に沈めたほうが勝ち。エラで呼吸するオタマジャクシの時と違い、カエルの大多数種は肺(そして皮膚)で空気中の酸素を使って呼吸する。顔面を長時間水中に突っ込まれると、カエルでも溺れてしまうのだ。負けた方は慌てて逃げ出し、勝った方はその場で勝ち鬨(どき)を上げるが如く、「クルルックルルッ」と高らかに鳴く。

 2匹のオスが対峙したとき、あからさまに両者で体格に差がある場合は、戦うまでもなく小柄な方がいそいそと逃げ出す。体格が互角であれば、実力行使で優劣を決する。ただ、同じサイズの2匹のカエルを野外で端から見て、どちらが侵入者であるかを識別するのは至難だ。だから、組み付き合った後逃げ出す方が常に侵入者であるか否かは、よくわからない。いずれにしてもはっきり言えるのは、縄張りを構えたオスにとって、侵入者の挙動に対して警戒を怠らないことは非常に大事ということだ。

 カエルの目は、物体の動きには敏感だが、物体の形状を識別する能力は低い。オスのカエルは、縄張りの範囲内で自分と同じくらいのものが動く様を見れば、正体を確かめずにはおれず寄ってくる訳だ。私は、長い木の枝をその辺から持ってきて、先端に落ち葉を10cmほどの塊にして引っ掛けた。この枝の先端で、カエルから1mほど岸辺寄りの水面をパシャッと数回叩いた。すると、カエルがそちらに向き直った。しめた、このまま寄ってくるかと思ったが、意外にもカエルはただ向き直っただけで、次のアクションがない。色々試したところ、どうやら水面を叩く際、その枝の先端を懐中電灯で照らしていたのが良くなかったらしい。暗いから懐中電灯を点けていたのだが、まともに灯りで枝を照らしてしまうと、さすがのカエルも単に枝が上下しているだけだと分かってしまうらしい。カエルもそんなに馬鹿ではない。そこで、直に灯りを当てず、懐中電灯の端っこの薄暗いところで照らしつつ水面を叩いてみた。そうしたら、カエルは暗い中で何かよからぬものが蠢(うごめ)き、縄張りを侵犯していると思い込んだらしい。まんまと騙されて寄ってきた。そのまま水面を叩きながらどんどん岸辺に誘導し、私は目の前でトノサマガエルの鳴く様を堪能できたのだった。

鳴くシュレーゲルアオガエル。
 

 フィールドにおいてカエルは、虫と違って知的な駆け引きを出来る格好の遊び相手となる(虫も虫で面白い観察対象だが)。虫に比べて外見が人に似ていて親しみを持ちやすい、というのもあるかもしれない。あらゆる脊椎動物を骨格標本にした時、骨の通った尾がないのは人を含む高等なサル、鳥類、そしてカエルだけなのだ。そして、カエルは虫よりもはるかに賢く、それなりに考えて接しないとしばしば観察の難しいケースがある。早春、長野の郊外にある水を引き入れる直前の水田に行くと、地中からクリリリックリリリッと、カスタネットとも木琴ともつかぬ綺麗な声が聞こえる。シュレーゲルアオガエルだ。彼らは本来水田近くの森に住むが、冬眠明けのこの時期に繁殖のため水田へとやってくる。最初に来るのはオスで、湿った畔の土に潜って部屋を作り、そこで鳴く。水が引き入れられる頃の雨の晩、一回り大きな体格のメスがやってくる。運よくペアになると、彼らは地中にメレンゲ状の泡を作ってその中に産卵する。卵が孵る頃に泡が溶け、オタマジャクシは泡とともに目前の水田へ流れ込むという寸法だ。

 生息地での個体数は決して少なくないシュレーゲルだが、フィールドで高らかに歌うオスの姿を見るのはかなり難しい。地中に隠れて直に姿を見せない個体が多いのはもとより、きわめて警戒心が強く、人が近寄るとすぐ鳴き止んでしまうためである。面白いもので、一度鳴き止むといくらその場で息を殺して待っていても一向に鳴き出さない。こちらがあきらめてそこから数メートル立ち去ると、途端に鳴き始める。敵がすぐそばで待ち伏せているということを、何らかの方法で察知できているらしいのだ。そのため、このカエルの所在を特定するには、少々頭を使う必要がある。まず、鳴き声の方向に近づいて鳴き止んだら、その場で足踏みしてだんだんその足踏みを小さくし、止める。こうして、人がそこから立ち去ったように、カエルに見せかけるのだ。これをひたすら繰り返しつつだんだん声の出所に近づき、ここだと思った場所に指を突っ込むと捕まえられる。シーズン半ばになると、こんな面倒なことをせずとも地中から上半身を乗り出して鳴く姿を見られるだろう。

鳴くニホンアマガエル。
 

 シュレーゲルの声に勢いがなくなり始める初夏、今度はそれにとって代わるようにすさまじい数のアマガエルの合唱が始まる。アマガエルも、オスはトノサマガエルほどではないにせよ狭い縄張り(半径10cm内外だろうか)を持って、そこでひたすら喉の下を風船のように膨らませて「グワッグワッ」と鳴き続ける。1匹1匹の声はグワッグワッだが、それが集団で鳴くとゲコゲコゲコゲコ……という大きな波となり、聞く者の鼓膜を弥(いや)が上にも揺さぶる。しかし、水田の畦に座ってその合唱に耳を澄ませていると、理由は分からないがある時突然一斉に鳴き止む。何か大きな物音がしたとか、大きな動物が近寄ってきたとか、そういう要因がなくても、それまで盛んに鳴いていたカエルたちが1匹また1匹と黙り、ついには水田に完全な沈黙が訪れる。この沈黙は、だいたい4、5分ほどで打ち破られる。ある瞬間、1匹が様子をうかがうように「グワッグワッ……」と鳴くと、途端に周囲の個体が1匹また1匹とつられて鳴き始め、再び大合唱の波となるのだ。

 実は、私はアマガエルの声を精巧に真似でき、これにより黙っているアマガエルに誘いかけて鳴かせられるという、就職その他には一切役に立たない特技を持っている。コツは、口を「エ」の発音時の形にして、なおかつ喉を引き締めた状態で「アッアッアッ……」とえずくように発音すること。アはチンピラが「ぁあ?」と因縁をつける時のように、やや尻上がりに言う。これを、息が続かなくなるまで大声で言い続ける。

 突如静寂が訪れた夜の水田で、一人高らかに「アッアッアッ…」とやり、それにつられて周囲のカエルたちがぽつぽつ鳴き始め、これが次第にビッグウェーブとなっていく様を聞く。さも自分がカエル界の「福山雅治」となった気分に酔いしれる。

 健全なる独身青年の幸せなひととき。

ヤマアカガエルのペア。
(撮影・すべて著者)