Kangaeruhito HTML Mail Magazine 673
 
 映画「スポットライト 世紀のスクープ」の臨場感
 
 深夜、ひとりでウイスキーを飲みながら、何度も繰り返し見た映画のひとつに「大統領の陰謀」(1976年)があります。米紙ワシントン・ポストの2人の若手記者ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタイン(映画ではロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマン)が、時のニクソン政権の闇の真相に迫ります。

 現代アメリカ・ジャーナリズムを語る際に、決して欠かすことのできないウォーターゲート事件報道。1972年6月、米大統領選のさ中に、ニクソン共和党政権に対抗する民主党選挙本部(ワシントンD.C.のウォーターゲート・ビル内)に、5人の男が盗聴器を仕掛けようと侵入し、現行犯逮捕されます。当初は小さなローカルニュースと見えたこの事件が、やがてホワイトハウスが組織的に関与した大スキャンダルとなって全米を揺るがし、ついにはリチャード・ニクソンが、米国史上で初めて大統領としての任期中に辞任するという異例中の異例の事態に発展します。

「三流のコソ泥」(ホワイトハウス報道官)事件として黙殺されそうになったネタを、それだけに終わらせなかったのが、ワシントン・ポストの記者たちでした。
 
〈ウッドワードもバーンスタインも、ワシントン・ポストにおいては名のある大記者ではなく、比較的キャリアの浅い、日本の社会部記者にあたるような存在だった。この二人がワシントン市内で起きた単なる押込み強盗事件の背景を執拗に追いかけていくうちに、その背後に存在していたものが洗い出され、ついには大統領辞任という歴史上前代未聞のできごとを起すことになる。その過程は、いかなる推理小説よりもスケールの大きな足で書かれた推理ドラマである。それが詳細に日本に伝えられたのは、ニクソン辞任後に二人が書いた「大統領の陰謀」が翻訳刊行されてからである〉(立花隆『アメリカジャーナリズム報告』文春文庫)
 
 この共著を映画化したのが冒頭の作品で、両記者の地道な取材活動の積み重ねが、やがて一大スクープとなって結実していくさまが、リアルに、スリリングに描き出されています。その感動を久々に思い出させてくれたのが、いま上映中の「スポットライト」です。過剰な演出を排した直球勝負の“ジャーナリスト映画”――。事実に即した緻密で繊細な脚本と、けれん味のないカメラワークが、緊迫感にみちた、後味のいい感動をもたらします。

 舞台は2001年のマサチューセッツ州ボストンです。主人公は、地元紙ボストン・グローブの4人の記者たち(男性3名、女性1名)。「スポットライト」というのは同紙の特集記事欄で、4人はひとつのネタをじっくり追いかけ、それを1年間にわたって連載するという調査報道を担当しています。
 

 1872年創業。ボストンで最大部数を発行する由緒正しい有力紙ですが、今世紀に入ってからは、全米の地方紙がそうであるように、次第に経営の基盤が揺らいできます。そこにマイアミから新任の編集局長が赴任してきます。ここから物語は始まります。

 親会社のニューヨーク・タイムズが送り込むのは、はたしてどんなタイプの人間なのか。興味と不安が編集局には渦巻きます。コストカッターが乗り込んでくれば、“金食い虫”の調査報道は、一気に存亡の危機に立たされます。

 ところが、この編集局長は違っていました。ボストンに何のしがらみもない(レッドソックスにも関心がない!)ユダヤ人。つまり、「よそ者」の新鮮な視点を持ち、生粋のボストニアンであれば見過ごしがちな問題点にも敏感でした。地元社会がタブー視する権威や聖域にも臆するところがありません。

 何より彼は、新聞はもっと読まれるべきであり、読まれるはずだ、という強い信念を抱き、そのためにはもっと読み応えのある記事を、と意欲を燃やしていたのです。

 着任早々の編集会議で、自己紹介もそこそこに、彼が下した指示は大胆でした。ボストン大司教区のあるカトリック神父が、30年の間に80人の児童に性的虐待を加えたというコラムを読み、この事件の調査を「スポットライト」に求めるのです。

 古株の編集幹部は難色を示します。「教会は強硬に反対する。うちの定期購読者の53%がカトリックの信者だ」と。すると、編集局長は動じることなく、「興味を持ってもらえるでしょう」と受け流し、「われわれが真実に迫るべきかどうか、問題提起したい」と結びます。
 

「スポットライト」チームを率いるデスクのロビーは、スタッフに命じます。「いつも以上に慎重に行動し、確実な情報をつかむまでは極秘に進めるように」――。いわば、会社の上層部に押し付けられたテーマです。記者たちは半信半疑で動き出します。ところが、次第に新たな自覚がめばえます。

 事件の裾野の広がりが想像をはるかに超えていたからです。被害者を探しあてて面談してみると、神父たちの“いたずら”の手口がいかに巧妙で卑劣であるか、その被害がいかに深刻であるか――それらが徐々に露見してきます。祈る(pray)のではなく神父の餌食(prey)となって、大きく人生を狂わされた人々の悲痛きわまりない現実が、胸をするどく抉ります。
 


「これは肉体だけではなく、魂への虐待だ。信仰を奪われ、酒やクスリに手を出し、飛び降り自殺した者もいる」――。これまで闇に葬られていた事件の根深さは、信じがたいものでした。関与したとおぼしき神父がなんと87人という衝撃に加え、それを教会が組織ぐるみで口止めし、隠蔽工作していた疑惑が浮上します。真相を突き止め、それを伝えることが、ジャーナリストの本分だと、記者たちの使命感に火がつきます。

 映画のつくりはいたって地味です。あえて劇的な要素を持ち込まず、事実の追及に徹した記者の姿をありのままに描きます。記者はひたすら地を這うような取材を繰り返します。関係者を探りあて、電話をかけ、訪ねて話を聞き出します。記録や資料を愚直に調べ、コツコツ材料を集めます。
 


「記事は足で書け」――夜討ち朝駆けのレッグワーク(足による取材)に徹する熱血記者。資料室で調べものに没頭する分析記者。聞き取りに長けた女性記者。個々の能力が際立つとともに、プロ集団としてのアンサンブルが発揮されます。

 記者たちの心にくいセリフも印象的です。被害者から痛切な過去の証言を聞き出した女性記者が、さらに踏み込んで質問します。「そこは言いにくいだろうけど聞かせて。こういう場合、言葉がとても重要なの。“いたずら”では不十分よ。正確に伝えなくちゃ」。

 判事に記録文書を求める熱血記者――。「記録保管所にある文書を入手したいんですが」「君の探している文書はかなり機密性が高いね。これを記事にした場合、責任は誰が取る?」「では、記事にしない場合の責任は?」

 思い出すのは、立花隆さんがウッドワード記者に初めて会った時の感想です。
 
〈三十四歳。若い。一見ごく当り前のアメリカ青年である。オレがあのウォーターゲート事件のウッドワードだぞ、というような気負いもてらいも全く感じさせない。人なつこそうな微笑を浮かべながら、淡々と率直に語る。人に警戒心を起させないタイプの人間である。この人に会ったら、取材されているとは思わずになんとなく話しているうちに取材されていた――ということになるだろう。彼のようなタイプは、初対面の人ともたやすく人間関係を作ることができて有利である。バーンスタインも、この点では彼と同じタイプである。彼らのこの性格が、ウォーターゲート事件の追及をあそこまで可能ならしめた主要な原因の一つだろう〉(前掲書)
 
 この映画の記者たちもスーパーマンではありません。とくに押しが強いわけでも、手練手管に長けているわけでもありません。誠意と実直さでぶつかります。ところが、取材は困難をきわめ、「二度と来ないで」と目の前でドアを閉ざされる場面も出てきます。地元社会に根をおろす教会の権力は絶大で、その秩序を脅かしかねない“蛮勇”は、町の有力者からは忌避されます。

 ロビーは古い友人の弁護士にどうしても確認を取りたい“事実”があります。パーティの席でそれを切り出した彼に対し、友人は険しい表情で忠告します。「これがかの有名な、鬼の新聞記者の顔か。パーティを楽しめ」「いいか、俺は神父だの何だのはどうでもいい。お前が困ることになる。近づくな」

 また別の友人からも釘を刺されます。「編集局長は手柄を立てたいだけで、出世してどこかに行ってしまうけれど、お前は行くところがない。記事を抑えろ」

 記者を突き動かしているのは、単純な正義感や反骨心だけではありません。彼らが手にしているのは両刃の剣です。人を刺すこと、そして身を切られることの痛みを感じつつ、それでも前に突き進む。そこがこの物語に説得力と深みを与えています。
 


 とりわけチーム・リーダーのロビーにはひとつの苦い記憶がありました。過去に重大な情報を得たにもかかわらず、ことの重大さを見逃していたのです。その悔恨が彼を苦しめます。自分が担当したその時の、古い記事を女性記者が見つけます。記事を差し出す彼女に、「それで?」とだけ、ぶっきらぼうに応じます。このシーンの意味が、やがて明らかになるのは、スクープ記事をどのように、いつ世に問うか、の大詰めの会議の場面です。ロビーはかつて自分が事件の一端を知りながら、追及しなかったことを告白します。

 そこで編集局長が語る言葉も印象的です。「私たちは暗闇の中を手探りで歩いている。そこに光が射して初めて正しい道が分かる」――。

 ボストンに赴任して間もなく、この編集局長はボストン大司教区に君臨するロウ枢機卿を訪ねます。迎えた枢機卿が、「教会と新聞は手を携えてこの町を発展させましょう」と語りかけると、彼は穏やかな口調ながら、きっぱりと言い切ります。「新聞はスタンド・アローン(独立独歩)の存在です」――。
 


 個々の神父を糾弾するのではなく、組織に焦点を絞るという方針も、編集局長の英断です。「スポットライト」もこの方向で動きます。「記事を早く出すべきだ。でないとライバル紙に抜かれるかもしれない」と記者が怒りをぶつける場面でも、リーダーのロビーはぶれません。「われわれの狙いは教会だ。全体像を暴け。でないと再発は防げない。組織的犯罪の証拠をつかむまで、記事にするのは待て」と。

 2001年9月11日。米同時多発テロ事件による一時中断を余儀なくされますが、取材は着々と進みます。そして、2002年1月6日、“世紀のスクープ”が放たれます。「スポットライト」編集室の電話が、朝から鳴りやむことはありません。

 その後もボストン・グローブ紙は、聖職者が関わった性的虐待に関する記事を約600本掲載し続け、2003年ピューリッツァー賞(公益部門)を受賞します。その余波はアメリカ国内の他の地域、ならびに世界中の国に及び、エンドクレジットには延々と、そのリストが流れます。
 

 ちなみに映画を観た後で知りましたが、「スポットライト」チームを統括したベテラン部長ベン・ブラッドリー・Jr.は、なんとウォーターゲート事件報道の時のワシントン・ポスト編集主幹の子息でした。父親は、映画「大統領の陰謀」では、ジェイソン・ロバーズが演じた不屈のジャーナリスト。ボストン近郊出身で、カトリック教徒として初の米大統領となったJ・F・ケネディとの親交は、よく知られるところです。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
Photo by Kerry Hayes(c)2015 SPOTLIGHT FILM, LLC
4.15(金)より TOHOシネマズ 日劇ほか全国ロードショー
 
*来週は休みます。次回の配信は5月12日です。
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