【考える本棚】
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 嵐山光三郎『漂流怪人・きだみのる』(小学館)
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 規格はずれの怪人“きだドン”との旅
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 1枚の写真が「スルスルっと動きだした」ところから、本書の追想は始まります。著者が書斎の片づけをしていると、古い手紙類のあいだから、それはすべり落ちたのです。セルフタイマーで撮影された記念写真には、4人の老若男女が写っています。

 中央に、石の道標に背をあずけて立っている謎の美少女ミミくん、当時7歳。彼女と手をつないで並んでいる、好奇心の塊のような、やんちゃそうな口ひげの男。著者、28歳です。その前にしゃがんでいる優しそうな青年は、カメラマンの柳沢信さん。道標に手をかけ、ふちなしのベレ帽をかぶり、ヨレヨレのズボン、セッタばき、腰に白いシャツを巻いた、長身の、いかにも曲者(くせもの)ふうの老人が、本書の主人公であるきだみのる氏、75歳。いまから45年前の写真です。

 著者は当時、平凡社の雑誌「太陽」の編集部員。開高健の『人とこの世界』(河出書房新社。現在、ちくま文庫)に登場するきだみのる氏に惚れこんで、彼の連載ルポルタージュを企画します。日本の小さな村々を訪ね歩き、写真と旅日記で構成する1色グラビア8ページの企画。先の写真は、長野県・伊那の山中を訪れた際のもので、取材はいつもこのユニットが “きだドン”を中心にした旅一座のように、各地を巡っていたのです。

〈きだみのるをヒトコトでいえば、自由を追い求める漂流の小説家である。社会学者であり、海の冒険、女性との恋、古代ギリシャ哲学者の饗宴を愛し、獰猛な舌で食べまくり、ひきしまった明晰な文章。(ママ)官能の閃きと、人並みはずれた腕力と意志で人間の正体をさぐった。自由の代償は死、という諦観がある。文壇の外にいて、親しくつきあった小説家は開高健と檀一雄。規格はずれの怪人物である。(中略)
 私がきだみのるに出会ったのは晩年の五年間であった。停滞と沈澱を嫌うきだみのるは流浪生活を完結させるために定住せず、家から去り、妻から去り、文壇から去り、空漠の彼方へむかって歩みつづけていた。そこにミミくんがいた。自分をとりまく縁者から遁走しつづけていたきだみのるが唯一別離できなかったのがミミくんであった〉(あとがき)

 きだみのる(1895~1975年)は、戦前、本名の山田吉彦でファーブル『昆虫記』(全10冊、岩波文庫)を完訳し、その後1934年、39歳の時にフランス政府給費留学生として渡仏。パリ大学でマルセル・モースに師事し、社会学と民族学を学びます。同じ教室には岡本太郎がいました。

 やがてパリ大学を中退。1939年、外国人の入国はご法度のフランス領モロッコへと旅立った山田吉彦は、帰国後、その見聞録『モロッコ紀行』(1943年)を戦時下の日本で刊行します。そして戦後は、疎開していた東京・南多摩郡の恩方(おんがた)村(現在の八王子市西部)をフィールドワークの素材に選び、「日本人の根底にひそむもの」を究明しようと試みます。

 負けることが自明の戦争に突入し、しかも敗れた後は一転して、熱狂の対象をマッカーサーに移しかえた「無節操で、矜持がない」日本人。占領軍を解放軍だといって歓迎する日本人とは何者なのか? 

 得体のしれない日本人とは、すなわち自分自身のことであると、村の人間模様を観察し、分析、活写したのが、『気違い部落周游紀行』(1948年)です。この時初めて、きだみのるの筆名が使われます。これが同年、毎日出版文化賞を受賞し、ベストセラーとなって、さらには1957年、松竹で映画化されてヒットします。この“日本人原論”とも言うべき作品が、きだの文名を高めます。

 ところで、そのきだみのるが亡くなった時、たまたま私は、『気違い部落』の舞台となった恩方村のある八王子市内に下宿していました。市内といっても、駅から最短コースを自転車で飛ばしても15分はかかるという町はずれ。都心の大学に通うには、不便この上ない場所でした。大学に顔を出すのは月のうちの数回で、「あいつは八王子に隠遁したらしい」と言われる一方で、八王子と聞いて「気違い部落のあたりですか」と尋ねる人の多いことに驚かされました。そして決まったように告げられたのは、村の実態をあまりにあけすけに書いたため、きだは結局恩方村に居づらくなって、最後は「追われた」ようだということでした。

 そんな縁に結ばれて、手に取ってみたのが『気違い部落周游紀行』(現在、冨山房百科文庫)です。その後、中央公論社に入社すると、きだ最晩年の力作『人生逃亡者の記録』(中公新書、1972年)の担当者などから、きだの常識はずれのエピソードを聞いて、興味をかき立てられました。ところが、本書を読むまでは、これほど桁はずれの怪人とは、さすがに想像してもみませんでした。欲望のおもむくところに身を委ね、日常の「格子なき牢獄」から遁走し続けて、ここまで徹底して「自由」を求めた強烈な魂だとは知りませんでした。

「太陽」編集長に同行を求め、著者が最初にきだを訪ねる場面が出てきます。八王子のある劇団の宿舎に間借りして、ミミくんと二人で暮していました。受付で来意を告げた時のそっけない応対から、どうもこの一座のつまはじき者らしい、という直観が走ります。

〈階段を上って、細い廊下を歩くうちに、玉ねぎや肉の腐った臭いがした。甘くすえた異臭で、ババイチ(註・編集長)が「生ゴミの捨て場かな」と鼻をくんくんならした。(中略)
 おそるおそるドアを開けた。すると異臭がひとかたまりになって襲ってきた。呼吸が苦しくなり咳きこんで、逃げだしたくなった。目がチカチカした。その異臭の奥に、ねぎ、キャベツ、トマト、ニンニクが積んであった。固くなってふたつに折られたフランスパン、みかんの皮、牛乳パック、ラム酒、広辞苑、週刊新潮、フランス語の本、長靴、ゴムゾーリ、書き損じた原稿用紙、万年ぶとん、電気スタンド、トランジスタラジオなど、家庭用品と雑誌と食料が混然一体となって散らばっている。
 そのゴミの上に、きだみのるは白髪の坊主刈りで入道のように坐っていた。これほど散らかし放題の部屋を、はじめて見た。野菜や、カビのはえた干物、塩辛の空きビンなどがゴミため場のようにばらまかれていた。カレーライスの皿が食いちらかしたまま、置いてあった〉

 圧倒された様子が手に取るように分かります。引用された別のエッセイでは、次のように描かれます。

〈人は西行や芭蕉や山頭火や、ランボーのことを漂泊の作家として慕っている。しかし放浪の実態は、きだみのるを見てもわかるように、汚くたくましく嫌がられるものなのである。きだみのるはゴミ入れ用のビニール袋に、他人の家のおひつから素手でつかんだ米飯をおしこんで持ち歩いていた。そのすえた飯のにおい。大男のきだみのるが、煙草のやにだらけの、ゴボウのような指で飯をつかみ、私に食えとさしだした夏、あれはたしか長野の山奥だった。きだみのるは、昔の無宿渡世人が嫌われ者だったように、どこの村へ行っても嫌われ者であった。それはきださんが長く住んでいた恩方村で選挙に立候補して、最下位で落選したことでもわかる。村人は先生と呼んでも一票も投票しなかった。それこそ、きだみのるが書いた村のルールだった〉

 きだみのるへの敬愛と愛惜が痛いほどに伝わってくる名文だろうと思います。よく「処女作には、その作家のすべてが含まれている」とか、「作家は処女作に向かって成長していく」と言われますが、似たような意味で、編集者にとって若き日に出会った強烈な個性の持ち主が、その後の人生を左右するケースがしばしば見られます。決定的な出会いの裡にすべてが始まり、そこへ向かって仕事の成熟が遂げられていくような――。

 著者にとってきだみのるとは、まさしくそうした本質的な、真剣勝負の相手だったと思います。作家に転じた嵐山さんがこれまで好んで取り上げたテーマ――文人、食、漂泊、旅、芭蕉、深沢七郎、不良中年……等々を列挙してみても、それぞれの背景として、あるいはそれらを貫く背骨のように、陰で貢献していたのは、きだみのるではなかったのか――本書を読んで思いました。

「性格はあけっぴろげだが、自分の過去を語ろうとしない」偏屈な老人が、旅の時間を過ごすにつれ、徐々に警戒心をとき、秘密を話すようになっていく様子も劇的です。そこで語られる大杉栄、伊藤野枝、甘粕正彦、辻潤といった人たちのエピソードにも興味がつきません。

 また本書のおトク感のひとつは、料理人であるきだドンが披露する独自メニューの紹介です(浅生ハルミンさんのイラスト入り)。豚アバラ肉のスペアリブ料理、ミョウガの玉子とじ(ミョウガ入りのオムレツ)、日本そばの焼きそば、馬肉のタータル・ステーキ、きだみのるサラダなど。料理ができるまでのスリル、その味わい、そして食する時のきだドンの表情がありありと伝わってきます!

〈きだドンは二本しかない前歯を使ってゆっくりと味をたしかめ、うっとりとした声で「うめえ」と唸り、「こんなの食ったら鼻血が出らあ」といった〉

〈ミミくんは、玉子かけご飯を食べるように箸でかきこんで食べた。好きな料理を食べるときのきだドンとミミくんは、天空から舞い降りた天狗のようにほほえむのだった〉

 さて、謎の美少女ミミくんは、本人はその事実を12歳まで知りませんでしたが、きだの実の娘でした。人妻との間に生まれた、きだ68歳の時の子で、未就学のまま、きだの放浪生活の道連れとなりました。やがて10歳になり、小学校教育を受けるため、岩手県の分校の教師の家に預けられます。

 その教師が、後に三好京三の筆名で「子育てごっこ」という小説を書き、それが1977年、直木賞を受賞します。モデルが、きだみのるの連れ歩いていた少女だということはすぐに話題になりました。1979年に映画化され、監督の今井正氏と作者の対談が行なわれた時、記事を担当したのは私でした。ところが、じかに聞いたはずの話の内容をすっかり忘れているのが不思議です。

 数年を経た後、作家の養女となったミミくんと養父の間に確執が生れ、“美談”は一転、大スキャンダルとなりました。衝撃を受けると同時に、いやそれ以上に「やはり」という思いが湧いたことも事実です。本書ではかなり抑制されて記されていますが、実際はどう決着するのか分からないくらいの事態に発展したのです。それもこれも、きだみのるという特異な個性の厄介きわまりない遺産といえなくもありません。

 晩年のわずか5年の付き合いとはいえ、28歳の青年編集者がよくこの難儀な連載をやり遂げたものだと感心します。その得がたい体験からは無傷で逃げられるはずもなく、著者のいまなお鮮明な記憶はその証左です。

 その意味で、本書は著者にとって、これまでの集大成であるとともに、原点の確認でもあるはずです。これを機に、新たな何かが始まる予告かもしれません。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)