毎朝、大陸側からヴェネツィア本島へ通っている友人から、
 「この色を見て!」
 と、メッセージが届いた。携帯電話で撮った写真付き。地上に近い空は沈んで黒い層を成し、そこから薄い層を一枚ずつ剥がすように流れていく雲。海峡は波を立てるのも忘れて、深い緑色で空を見上げている。
 慌てて表に出て見上げると、幻想的な色が層になってヴェネツィアを覆っていた。特殊効果の映像を3Dで観るようで、背中がぞくりとする。空は雲に引きずられて刻々と色を変え、ときどき雲間から金色の光が差し込んだかと思うと、真っ黒な影が水面を急速に走り抜けていく。
 美し過ぎて、怖ろしい。見とれているうちに魂を抜かれて、水の中に引きずり込まれてしまうように思い、ヴェネツィアを後にした。

©Alba Postiglione
 

 ヴェネツィアのあるアドリア海から、陸路をミラノ経由でイタリア半島を跨ぐように越えて南下すると、そこはリグリア海だ。ぐいと照度が上がり、日は白く薄い色に光っている。リグリア海の青さでもまだ思いは足りず、さらに西に向かって一心不乱に走る。 
 リアス式海岸を縁縫いするように走るこの道の一部は、古代ローマ時代に建設されたアウレリア街道である。現在の国道第一号線だが、今でも人々は畏敬の念を込めて<アウレリア街道>と旧名で呼ぶ。ローマ帝国が、港と港を、つまり軍事や商いの拠点を結ぶために計画的に造設した。物資はもちろん、統治者からの指令が往路を行けば、帰路には下々からの陳情や報告が上ってくる、伝達の要となった。
 道は、さまざまな時代のイタリア半島の波乱万丈を運んできた。
 車を駆りながら、携帯電話がある今と、伝令が走りに走って書簡を届けたいにしえの時代との、通達の重さの違いを考える。一刻も速く、見聞きしたことを漏らさず正確に、と伝えることに体を張った先人たちを思う。

 イタリアを抜け、フランスへ。
 突然、目の覚める青が広がる。
 ヴェネツィアからミラノを経て山岳地帯を抜け南仏へと下りたのは、ヘミングウェイだった。重なる飛行機事故のあと心身ともに打ち砕かれ、ヴェネツィアに長期逗留して休養していた彼がある日、
 「さあ!」
 と、車で旅に出た。
 昔のガールフレンドたち、山間の食堂の野卑な味、酔いどれてしどけて、ルーレットの興奮、闘牛と血の臭い……。
 甘く切ない追憶を、順々に遡っていく道程だった。
 アウレリア街道は、過去と現在も繫ぐ。

©UNO Associates INC.


 砂浜には、仮設の食堂が店開きしている。
 ビーチサンダル履きもいれば、麻のスーツにストローハットもいる。コーヒーを前に新聞を広げる客。その隣では、早々に<今日のメニュー>を注文し、冷えたロゼワインで待ち時間を楽しむカップルもいる。
 「ごゆっくり」
 メニューに目を泳がせていると、紫色がかった黒オリーブの実が差し出された。親指の爪ほどの大きさで、イタリア最西端の一帯で獲れるオリーブの種類と同じだ。国は違っても、オリーブで繫がっている。小粒で薄い肉付きだが引き締まっていて、キレのいい味だ。細かく刻まれた香草やニンニク、鷹の爪が和えてある。噛み締めると、アウレリア街道越しに見てきた緑の芳香が口いっぱいに広がる。

©UNO Associates INC.


 復活祭を控えた日曜日に、平和の象徴としてオリーブの枝をカトリック信者たちは贈り合う。今でも一帯のオリーブは、アウレリア街道を上って法王庁にも献上されている。そこかしこにオリーブの木々が、枝を張り銀色の葉を揺らしている。
 視覚芸術家ジャン・コクトーが失意のどん底にいたころ近くの漁師町で過ごし、再び生きようという気持ちになる。祝して創り上げた礼拝堂を、向かいの広場からオリーブの木が静かに眺めている。
 画家アンリ・マティスの墓は、ニースの北部の高台にある。青い空に明るいオレンジ色の外壁が映え、晴れ晴れしく、マティス美術館は外観がすでに芸術作品である。

©UNO Associates INC.


 その墓と美術館の間に、広々とした公園がある。オリーブの木だけが植わる。木と木の間は悠々として、自在に枝を広げ、緑色の木陰には幼子が、犬が、学生が、老夫婦が思い思いに過ごしている。
 簡素で、それ以上の何も付け加える必要のない、満ち足りた空気が流れている。
 ごろりと寝転がると、オリーブの枝葉の間に果てなく青い空がある。

 海沿いのアウレリア街道から山側へ北上し、アルプスの尾根沿いに行くともう隣国だ。その道をオリーブの実もオイルも、塩もワインも運ばれていった。
 黒くて小さなオリーブの実が、真っ黒に日灼けして街道を、道なき道を懸命に走っていく伝令の姿に重なる。