【考える本棚】
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 三田完『当マイクロフォン』(角川文庫)
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 名物アナ、型破りの人生
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 NHKラジオの「にっぽんのメロディー」って覚えてるかい? 年長の友人に尋ねられました。先日、一緒に食事をした時です。きっかけは、小泉今日子さん、キョンキョンの朗読がとても良かったと、私が話したからでした。

 いまわの床にあって、最後に一曲だけ聴くことができるなら、あなたはどんな歌を選びますか?――久世光彦(くぜ・てるひこ)さんが、いわば人生の歌のベスト・ワンを自らに向かって問いかけながら、14年もの間、雑誌に連載した「マイ・ラスト・ソング」という名エッセイ。

 歌にまつわる思い出や、歌の生まれた時代の空気、歌った人、歌を作った人、その曲を愛した人たちの面影を追ったこのシリーズは、いまでも時々拾い読みしたくなる私の愛読書のひとつです。

 その久世さんのエッセイを再構成し、小泉今日子さんの朗読と、浜田真理子さんのピアノの弾き語りというライブ公演が、2008年からほぼ毎年開かれています。今年の「マイ・ラスト・ソング2016~歌謡曲が街を照らした時代」を、5月6日に聴きに行きました。その小泉さんの朗読が素晴らしかった、と話したところで、冒頭の質問を受けたのです。

 正直、すぐには思い浮かびませんでした。しばらく説明を聞きながら、ああ、きっとあの番組だろうな、と見当をつけました。タクシーに乗っていて、何度か耳にしたNHKラジオ第1放送の夜の長寿番組です。

 その時、本書のことも教えられました。なんとも変わったタイトルです。「にっぽんのメロディー」の名物アナウンサーであった中西龍(りょう)――本書の主人公が、番組内で自分のことを「私」とは呼ばず、「当マイクロフォン」と名乗っていたのにちなんでいます。「当マイクロフォンには娘がおりませんが、〈花嫁の父〉などという言葉を耳にするだけで、鼻の奥がつんとなるのを抑えることができません」といったように――。

 さっそくYouTubeにアップされた「にっぽんのメロディー」を聞きました。山田耕筰(こうさく)作曲の「赤とんぼ」のメロディーをバックにして、ゆったりとした独特の抑揚で、導入部の口上が述べられます。

〈唄に思い出が寄り添い、
 思い出に唄は語りかけ、
 そのようにして
 歳月はしずかに流れていきます。
 ……こんばんは、中西龍でございます〉

 低く落ち着いた声で、ラジオに聞き入る一人一人に優しく語りかけるような口調。聴取者からの便りが読み上げられ、戦前から戦後初期にかけての歌が2曲かけられます。そして、ふたたび「赤とんぼ」が流れ始めると、中西の独特の俳句鑑賞が披露され、「それではまた明晩。お休みなさい」の静かな挨拶で閉じられます。

 毎晩9時45分から10分間の放送でした。これが1977年から1991年までの14年間、多くの日本人の耳を捉えて離しませんでした。

 何よりも語り手の個性的な話芸の力が見事です。“当マイクロフォン”は、自らの「信条」を次のように述べています。「信条――私は中西アナウンサーであるより、許されるぎりぎりのところまで、中西龍個人でありたいと希います。また他のどのアナウンサーにも似ていたくないと思います」。

 若き日に実況中継した高校野球の鹿児島県予選。「球審が高らかにプレイボールを宣したのちも、実況担当の中西アナウンサーは球場内の試合には眼もくれず、しばらくはあらかじめ用意した原稿を読みつづけ」ていたといわれます。そして、グラウンドの一投一打にはお構いなしに、選手やその家族のドラマを淡々と、丁寧に語ります。

〈バッターボックスに立つ安藤悠太君は二年生。お父さんの源太さんはカツオ漁船の船長として一家を支えておりましたが、昨年船が転覆事故に遭いまして、享年四十七、いまだ春秋に富んだ年齢で惜しくも他界しました。将来の夢はたくましい漁船の船長になってお父さんをしのぐ漁獲高を上げることという安藤君。せがれよ、がんばれ――大空から、亡き父上も熱い声援を送っていることでしょう。三塁側応援席では、亡き父の源太さんに代わり、枕崎港で働きながら一家を細腕で支えているお母さんのフミさんが懸命に声援を送っております。安藤君の得意な科目は地理だそうでありまして、とにかくいまは勉強と野球にひたすら精進するのが親孝行です――とのこと。
 ……しかしながら、安藤君はつい先ほどセカンドゴロでダブルプレイとなり、鹿児島水産初回の攻撃はツーアウト。塁上にランナーはいなくなり、夏の浜風が砂を巻き上げるばかりでございます〉

 後々まで、これが伝説となって語り継がれます。一方、中西スタイルが逆目に出たケースもありました。宮田輝という稀代の司会者を得て日曜昼の人気番組だった「NHKのど自慢」を、宮田交代の4年後に中西が引き継いだ時でした。

〈合格の鐘が鳴ると合格者と一緒に泣いてしまう。また、出場者の家庭環境のことなどことこまかにインタビューするので、番組後半になると時間が足りなくなり、あとの出場者たちはワンコーラスの半分も唄えなくなってしまう。
 全国の『のど自慢』ファンの胸には、この番組を長く担当した宮田輝の流麗な司会ぶりが刻まれている。中西龍が張り切れば張り切るほど、視聴者は違和感を感じた。
 男が泣くなんて見苦しい。顔が良くない。インタビューで司会者が喋りすぎる……。苦情の投書があいつぎ、レギュラーわずか半年で龍は大阪転勤の発令を受け、栄えある『のど自慢』司会者の座を降りることになった〉

 己の流儀を貫く中西の生き方は、成功すれば大当たり、しくじった時は大失敗と、明暗がくっきり分かれました。上司との関係も同様で、サラリーマンとしてはジェットコースターのような激しい浮き沈みを味わいます。1953年にNHK入局。初任地の熊本はわずか1年3ヵ月の勤務。鹿児島に異動。2年で旭川へまた異動。日本列島の南の端から北の最果てまで直線距離にして約1700キロという転勤は、「協会創立以来の最長不倒新記録」と当時の職員のあいだで話題になりました。その後も富山、名古屋を転々とし、1965年にようやく東京へ。ここで運気をつかんだと思いきや、先の「のど自慢」の挫折によって、70年には大阪転勤を命じられます。

 ただ、めまぐるしく職場環境は変ろうとも、語りにかける情熱だけは、若い頃から徹底したものがありました。鹿児島時代、“中西節”に感嘆する後輩に対し、「アナウンスの要諦は、他人様(ひとさま)と違うところで切ることですよ」と断じています。句読点の場所で単純に切るのでは、人の情感に訴えるアナウンスにはならない――これは学生時代からあらゆる芝居を見たすえに中西が体得した確信でした。

 また独自のスタイルを確立するために、日頃の鍛錬を怠らず、新聞の株式市況の数字を読み上げて、滑舌(かつぜつ)の練習に励みました。アクセントや間合いの記号が赤や青のインクで書き込まれた台本を、いつも念入りに下読みしました。歌わずに淡々と、正確に語れ――「歌うな」というNHK主流の指導方針には同調せず、心をこめて「歌う」ナレーションをめざします。

 長男が熱を出した時のエピソードがふるっています。「あたまガいたい」と幼な子が苦しげな表情を浮かべます。

〈龍の眉がきっとつりあがる。
「……頭ガ痛い、じゃない。頭が痛い、でしょ。鼻濁音をちゃんと使いなさい。はい、もう一度いって」
「……あたまガ痛い」
「違う。頭が痛い、だ。アナウンサーの息子として恥ずかしいぞ。さ、もう一度!」
 龍の口調が険しくなり、ついに子供はぐずりだした。妙子が呆れ顔で城をあやす〉

 大阪転勤で不遇をかこった時代、新人アナウンサーとして中西の“薫陶”を受けたのが山根基世さんでした。ところが、この養育係の職場研修らしきものは、もっぱら夕方以降に始まります。アナウンス技術の講話などは一切なく、自分の過去の女性遍歴や、上司、先輩たちへの恨み言、日頃の鬱憤をぶちまける独演会が続きます。酔いがまわるにつれて、上半身が揺れ始め、ついにはめそめそ泣き出すというパターン。手に負えない甘ったれではありますが、それでも語り手の信念だけは揺らぎません。

「基世ちゃん、アナウンサーは決してブリキのロボットになっちゃいけません。あったかい血の通った人間でなくてはね。ジャーナリストはごますりじゃダメです。ひとりの人間として高い識見をもってなきゃあ、いけません」

 さて、これだけ強烈な個性の持ち主ですから、逸話はまだまだ尽きません。あとは本書でじかに味わっていただくのがいいでしょう。たとえば、女性遍歴の破天荒ぶりは、「うわ、ほんまかいな」(解説の久米宏氏)というほど起伏に富んだ物語です。なにしろ初任地の熊本に、足抜けさせた30歳の枕芸者を、東京から「妻」として帯同する派手なデビューに始まって、女性との縁は波乱続きです。

「鬼瓦みたいな顔」だと自ら認め、激情にまかせて女性に暴力をふるうこともままありますが、胸に溢れんばかりの詩情を湛え、マイクロフォンに向かう時と同様に、誠心誠意の語りかけに裏表はありません。感激屋で、何につけマメであるのも才能です。苦界の女性にも、良家の子女にも、なぜか惚れられてしまいます。

「これから苦労するのは目に見えている。……もう一度よく考えたほうがいいよ」――婚約を決めた女性に、旧知の生方惠一アナウンサーが念を押すように忠告します。すると、妻となる女性はきっぱりと首を横にふるのです。「わたしがついていないと、あのひとはダメになっちゃうのよ。大丈夫、心配しないで、生方さん」。

 後に彼女は、栄転が決まって舞い上がる夫を諭します。

「おめでとうございます。でもね、しょせん龍さんは悪党づらなんだから、あんまり顔を売ることは考えないほうがいいんじゃないかしら」

「出世や顔が売れることを考えて、無理していい子になっちゃダメ。世間に媚びずに、龍さんは日本一の語り手になればいいの。それを認めない放送局だったら、それまでのことじゃない」

「好きなように仕事やってればいいのよ。他人には真似のできないような仕事を。大成功もあれば大失敗もある――それでいいじゃない」

 本書は、中西龍というあくの強い男の人生絵巻と、彼を慕う年少の芸能番組ディレクター(著者を彷彿とさせる)との友情物語が、ふたつ縒り合さるように展開します。それが主人公の光と影を、時代の変遷の中に鮮やかに浮かび上がらせます。

 物語の半ば過ぎ、取材で訪れた先の僧侶が、「人間は生きているうちに、たっぷり業(ごう)を積んでおかんと」と中西に向かって語る場面が出てきます。本書はまさしく「業」をたっぷり抱えながら、それでも愚直な生き方を貫いた異端児に捧げられたオマージュです。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)