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脇田直枝『広告は、社会を揺さぶった――ボーヴォワールの娘たち』(宣伝会議)

 広告はどこまで先を行ったのか

 1978年4月から、雑誌ジャーナリズムの片隅に身を置いてきました。幸せだったな、と思う理由のひとつに、勢いのある広告が時代の空気を揺さぶったり、人の心をどこかへ運んでいくさまを、いつも感嘆しながら見物できたということがあります。本書は、女性の生き方に関わる戦後70年の広告の変遷を、とくに1970年代以降を中心に読み解いています。懐かしさに濃淡の差はありますが、時代を映す鏡として、さまざまな思い出がよみがえります。ある世代以上にとっては、願ってもない記憶の引き出しとなるはずです。

 何より私が惹かれたのは、表紙を飾っているのが、1980年の西武流通グループの広告だったからです。あの当時に受けた印象もさることながら、この広告ができていく途中経過を、ほんの数年前に教えられたのがとても勉強になったのです。

 「いま、どのくらい『女の時代』なのかな。」――新聞の全10段広告でした。
 

 使われたのは、結婚式の写真です。新郎は羽織袴、花嫁は文金高島田に打掛姿。金屏風の前に立ち、仲人夫妻にはさまれて、来賓、親族、友人たちに挨拶をしている場面です。

 コピーライターは糸井重里さん。「不思議、大好き。」(1981年)、「おいしい生活。」(1982-83年)、「ほしいものが、ほしいわ。」(1988年)など、糸井さんのコピーとともに、西武百貨店が毎年話題の広告を打ち出していった最初期の作品にあたります。上記のキャッチフレーズの下には、とても長いボディコピーが書かれています。
 
<「女の時代」という言葉は、すっかりなじみの深いものになってきましたね。もともと、これは、あまりに長く続いた男性中心の社会に対する「?」として誕生してきた言葉です。
 男性がいる。そして同じ数の、同じように大切な女性がいる。この当り前の事実を、社会が、やっと真剣に考えるようになってきた。
 だから、「女の時代」は、まだやっと幕が開きかけたところ。ほんとうのものにするためには、この言葉を支え、育ててゆく多くの手が、知恵が、しくみが必要なはずです(後略)>
 
 さて、本書の成り立ちを、著者は次のように述べています。
 
<広告はジャーナリズムではない。しかし世の中の人心は広告の影響で揺れ動く。女の時代でもないのに女性もおだてられてその気になっていき、男性はとりあえず様子見を決め込んでいる内、大勢は女性上位を容認する風向きになっていったのである。(中略)
 今日私たちが在るのは、三つの大きな波のおかげである。第一の波は1945年の婦人参政権の獲得、第二の波はアメリカの1970年代のウーマン・リブ運動、第3の波は男女雇用機会均等法の成立である。
 これを書いている2015年は戦後70年。男女雇用機会均等法成立30年。私が広告業界に身を置いてきた年月の中で、コツコツと女性の立場を理解し主張してきたクリエーターたち、それをバックアップしてくれた広告主があった。それらの企画や言葉が少しずつ社会を動かす手助けになってきた、その軌跡を紹介したいと思った>(初めに)
 
 それに続けて、先ほどの広告――「いま、どのくらい『女の時代』なのかな。」――を改めて見た時、著者は「衝撃を受けた」と語るのです。
 
<2015年の今使える広告じゃないか。つまり、35年前と状態はあまり変わっていなかったということである。当時は全く「女の時代」になってはいなかった。まだ入り口だった。なのに「どのくらい」とは西武の進歩性をアピールしたかったのだろうか>
 
 今年はウーマノミクスの安倍政権のもと、女性活躍推進法が施行されました。しかし、女性の活躍をことさら政府が強調しなければならないのは、まだ「女の時代」が思うようには進んでいないことの証左でしょう。本書には、糸井さんが特別エッセイを寄稿しています。「堤清二さんの記憶とともに。」という短い文章です。
 
<この広告については、特別な思いがあります。実は、このキャッチフレーズは、もともとはこれではありませんでした。また、いまでは珍しいくらい長いボディコピーも、キャッチフレーズの変更にともなって書き直したものです>
 
 業界の人たちには有名な話なのかもしれませんが、私は2年半ほど前まで、まったくこの「書き直し」の経緯を知りませんでした。たまたまこのメールマガジンで「安部公房と堤清二」という文章を、2013年12月5日に書きました。その年に没後20年を迎えた安部公房さんの旧邸を訪問し、解体される直前の様子を撮影したのが11月27日でした。撮影を進めながら、安部さんの盟友だった堤さんのことを話題にしていました。堤さんの訃報に接したのは、その翌日です(亡くなったのは25日でしたが、その日に発表)。
 


 この時のメルマガには、いろいろな読後感が寄せられました。1980年の広告をめぐるやりとりを、糸井さんに教えられたのもその時です。

 もっとも、それまでに糸井さん自身は「ほぼ日刊イトイ新聞」にこの経緯を書いていました。「ある没になったコピーの思い出」という文章で、これはいま読み返しても、好きな文章です。堤さん、糸井さんの表情がいきいきと伝わってきて、厳粛な気持ちに誘われます。

 「人材、嫁ぐ。」

 これが最初の案でした。書いて「没になった」コピーです。その頃は一般的な風潮として、仕事をしている女性が結婚すると「寿退社」などと呼ばれ、退職するのが当たり前でした。しかし西武流通グループでは、それではあまりに惜しいので、「再就職」の道をひらき、職場へのカムバックを歓迎しよう、という新たな人事制度を作り始めていました。

 だから、「人材」なのです。職場のお飾りの花――「おんなのこ」ではなく、能力を備えた「人材」として女性を正当に位置づけ、いつでも戻って来てくださいという意味で、この広告案が用意されました。そして、それを堤会長にプレゼンテーションする場がセットされました。以下、糸井さんの文章です。
 
<その日のプレゼンテーションの場も、
おおむね和やかに始まった‥‥のかもしれない。
忘れている。
いつものように、「いいですね」と言うかと思ったら、
むっとしたように堤さんは、押し黙った。
制作者であるぼくらのほうではなく、
社内の重役や、宣伝部の責任ある人のほうを見る。
「女性が結婚をするとか、出産するという
 ことは、
 その人の人生にとって、
 もっとも大切なことですよね」
言葉遣いはていねいだったけれど、
この人は、怒ったときほどていねいになる。
「その女性は、ひとりの個人として、
 結婚という大切な人生の門出を迎えたんですよね」
そうです、としか答えようがない。
しかし、誰も口をはさめないままだった。
「最も喜びに満ちた、ひとりの女性の、
 大切な人生のイベントを‥‥
 仕事が大好きで生産性やら効率やらのことばかり
 考えている西武百貨店のお偉い方々は、
 『ああ役立つ人材が嫁いで行く』というふうに
 見ているんですか?
 ひとりの人間として祝福されるべき結婚式の
 花嫁姿を目にして、人材が嫁ぐと考えているんですか」
語調はだんだん激しくなっていった。
「こんな、企業の論理を、
 女性たちに押し付けるようなことが、
 ぼくらのやりたかったことなんですか!」>
 
 場は凍りついたはずです。堤さんの怒りの激しさは、想像できます。堤清二という個性を抜きにしてはとても語れません。ここからさらに、いろいろな解釈もできるでしょう。ただ、この場面のポイントは、「仕事のよくできるキミには、ほんとうは嫁いでなんかほしくないんだよ」と本音が見え隠れする、そういう企業勝手なコピーでいいのか、という本質的な問いかけです。

 「あのときの、堤さんの、あの怒りようは、その後のぼくの考え方に、ずいぶん大きな影響を与えている。企業の依頼でコピーを書くという仕事をしてきて、あの時あんなふうに、自分の考えの根源が問われるのだとわかって、ほんとうによかったと思っている」と糸井さんは書いています。「ぼくにとっても、没になって助かった」「一度も忘れたことのない会議の思い出だ」と。
 


 ……ここまで書いてきて、ずいぶん枚数を費やしたことに気づきます。ただ、36年も前に、こんな真剣なやりとりが広告をめぐって行われていたという事実が、非常に貴重だと思うのです。無条件に感動するのです。以下、印象深い広告をいくつか挙げてみます。

 「女の記録は、やがて、男を抜くかもしれない。」(1980年、伊勢丹)

 1979年、国際陸連公認の初の女子マラソン、第1回東京国際女子マラソンが開催されました。優勝は英国のジョイス・スミス選手で、2時間37分48秒。36歳で走り始めたという日本の市民ランナー村本みのるさんが、2時間48分52秒で7位に入賞します。

 女性には体力的に無理だと考えられていた42.195キロの女子マラソンのその後の隆盛、そして日本の女子選手の活躍は言うまでもありません。「やがて、男を抜くかもしれない」――「かもしれない」という控えめなフレーズに、「心の中の静かな驚きと感嘆の呟き」が見事に凝縮されていないか、と著者は語ります。

 「なぜ年齢をきくの」(1975年、伊勢丹)、「甘えずに生きていきたい」(1976年、伊勢丹)、「彼女が美しいのではない。彼女の生き方が美しいのだ。」(1977年、資生堂)などは、コピーライター、土屋耕一さんの一連の仕事です。改めて感じ入ります。

 そして1985年、「男女雇用機会均等法」が成立。翌年、施行。このあたりから「プロの男女は、差別されない。」(1986年)、「いい仕事をした人が、いい顔になるのは、なぜだろう。」(1986年)といったリクルートの広告が目立ち始め、「女だって、女房が欲しい。」(1985年、NTT)、「ある日、日経は顔に出る。」(1995年、日本経済新聞社)、「日本人初の女性総理は、きっともう、この世にいる。」(2006年、奈良新聞社)といった流れにつながります。

 その一方で、「亭主元気で留守がいい」と唱和する「タンスにゴン」(1986年、大日本除虫菊)が余裕の生まれた女性たちの笑いを誘い、やがて「美しい50歳がふえると、日本は変わると思う。」(1996年、資生堂)が登場します。あるいは「育児をしない男を、父とは呼ばない。」(1998年、厚生省)や、「育児するいい男を、イクメンと呼ぼう。」(2007年、イクメンクラブ)が現われてきます。まさに広告とともに時代の移り変わりが見て取れます。

 本書の副題には、もしかすると解説が必要かもしれません。ボーヴォワールとはフランスの作家シモーヌ・ド・ボーヴォワール。彼女の代表的著作である『第二の性』(1949年)の有名な一文――「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」という主張が、その後のフェミニズム運動を牽引します。その問いかけに呼応するように、広告はどのように社会のタブーに挑み、女性の生き方を拡げてきたか――具体的な事例とともに、その歩みを振り返り、新しい時代への期待をにじませます。
 

 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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