夏がなかなか訪れないイタリアで右往左往している。居ても立ってもいられない気分なのは、各地で農業を営んでいる友人知人がいるからだ。この長雨に加えて、突風が吹く日もあれば、急降下する気温で雹(ひょう)が降るときもある。
 「閉めていた鎧戸までもが、ボコボコに凹んでしまってねえ」
 北イタリアの山麓に住む友人が、電話口で途方に暮れている。広く玉ねぎや葉野菜、果樹を栽培しているが、すでに被害は深刻、という。
 シチリア島のオレンジ、プーリア州のオリーブ、小麦粉にアーティーチョーク。各地のブドウはどうなのだろう。ワイン‥‥‥。
 天を見上げる友人たちの様子と果物と野菜が、交互に目に浮かぶ。

©UNO Associates INC.


 「イタリアの腹を見てきたらどう?」
 外回りからミラノに戻り、近所のバールに立ち寄ると、客の一人がそう言った。三十代半ばか、というその男性は南部イタリアの出身だ。彼が店に通い始めた頃、独特のイントネーションが耳について、郷里を尋ねたことがある。プーリア州の内陸部だった。
 大学時代に私がイタリアへ来たのは、そもそも南部について調べるのが目的だった。その青年が知らない昔の南部事情を私が話し、私の知らない現況を青年から聞いた。タイムマシーンに乗って、時空を往来する気分だった。以来、青年と会うと、店に立ち寄るわずかな時間分だけ、南部への小旅行を楽しんできた。

 第二次大戦直後に刊行された、『キリストはエボリにとどまりぬ』(カルロ・レーヴィ著 1945年 Einaudi刊)というノンフィクション小説がある。エボリは、イタリア半島南端近くの寒村だ。最果ての地。イエス・キリストですらエボリを前に立ち尽くした、というほど世の中から忘れ去られた、寂しいイタリアの背景を説いた。南北の格差が激しい半島には、国外はもとより国内にすら知られない、<イタリアの恥部>が存在した。
 「今でもほとんど変わっていません。でも、変わらない、ということを見るのもまた意味があるのではないですか」
 青年の故郷には、まだ行ったことがなかった。かつてエボリへ向かうとき、遠距離バスで内陸を走り抜け、すぐそばを通っただけだった。一帯の景色が、行けども行けども同じだったのを覚えている。見渡す限り赤い耕地が広がり、悠々として時が止まっているようで、集落も道路も人も動物も見えなかった。天と地のあいだを地平線に向かって、えんえんと走り続けたのを思い出す。

 ミラノからバーリまで、空路で一時間少し。問題はそこからだ。直通の鉄道はない。乗り継ぎ地点から先、日曜には電車が走らない。長距離バスはあるにはあるが、運行時刻も走行路線もよくわからない。何事も経験、と鉄道を試したら、目的地に着いたときには、空港に降り立ってから三時間も経っていた。

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 三時間分の車窓からの光景は、外海を船で行くのとよく似ていた。
 窓には、一面の緑。左に右に揺れる麦の波間を電車は一直線に走った。遠方になだらかに延びる丘にはオリーブの樹々が繁り、緑は濃淡を交えて、潮の流れや深さが変わるように見えるのだった。
 昼下がりの車内は高校生たちや中年、初老の地元の人たちばかりで、乗客は一駅ごとに入れ替わり、乗り降りのたびに青い香りが流れ込んでは出ていった。
 「病気? 害虫? 心配ないねえ」
 共に終点まで残った初老の男性に、オリーブやブドウが悪天候で損傷を被っていないか尋ねると、窓の上方を見上げながら肩を竦めて答えた。
 窓の下半分は緑、上半分は青。
 麦とオリーブの樹々の間を抜けて空へと上っていく風を、赤い大地が眺めている。
 日は天地を照らし、草陰すら明るい。

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 三時間は長かったのかどうか。
 気が付くと、頭が空(から)っぽになっている。
 イエス・キリストが立ち尽くしたのは、荒寥とした情景のせいではなかったのではないか。
 <変わらないことの意味>
 青年がミラノの喧騒に溺れず、泰然としている理由を見たように思う。