周知のとおり、為政者の統治システムに組み込まれて受容された仏教は、その後政治的保護の下、「鎮護国家」の思想と実践に体系化される。したがって、仏教そのものの思想的展開には、最澄・空海の登場まで見るべきものがない。鑑真による戒律の整備、唐から留学僧が移入した教学を基礎として成立した『南都六宗』、行基の多方面にわたる活動、景戒の編集による『日本霊異記』などは、この時期の仏教の諸様相を伝えるが、いずれも個人名と共に後世に継承されるような独創的思想を生みだしたわけではない。
 しかしながら、最澄(七六六~八二二年)の以下の言葉は、「聖徳太子」以来久方ぶりの、日本(八世紀初頭には「日本」の名称が東アジアで定着したと思われる)における自覚的仏教者の述懐として、特筆されるべきだろう。

最澄像(一乗寺蔵 平安時代)


 奈良東大寺で具足戒を受け、国家公認の僧侶となった直後、彼は突如として比叡山入山を決意して言う。

 「悠々たる三界(さんがい)は純(もは)ら苦にして安きことなく、擾々(じょうじょう)たる四生(ししょう)はただ患にして楽しからず。牟尼(むに)の日久しく隠れて、慈尊の月未だ照さず。三災の危きに近づきて、五濁の深きに没む」
 「伏して己が行迹(ぎょうせき)を尋ね思ふに、無戒にして竊(ひそ)かに四事の労りを受け、愚癡にしてまた四生の怨(あだ)と成る。この故に、未曾有因縁経(みぞういんねんきょう)に云く、施す者は天に生れ、受くる者は獄に入ると。(中略)明らかなるかな善悪の因果。誰(いずく)の有慚(うざん)の人か、この典(のり)を信ぜざらんや」
 「ここにおいて、愚が中の極愚、狂(おう)が中の極狂(ごくおう)、塵禿(じんとく)の有情(うじょう)、底下(ていげ)の最澄、上は諸仏に違(い)し、中は皇法に背き、下は孝礼を闕(か)けり」(『願文』)

 二十歳前後と推定される青年による、深刻な無常観と痛切極まりない内省の吐露は、ある意味、仏教者としての彼の思想的出発点と言うべきであろう。すなわち、この言葉は、「ありのままでよい」とするアニミズム的世界観と正反対の、いわば、仏教をテコとした実存の自覚(「無常」としての自己)が述べられているのであり、もはや単純な「鎮護国家」仏教の担い手とは言えない。
 彼の思想的成果として有名なものの一つは、『守護国界章』などに見られる、法相宗(唯識教学を基礎とする宗派)の僧侶との「三一権実(さんいつごんじつ)論争」がある。
 これは、衆生は皆、法華経の説く教えに乗じて悉く成仏し等しく悟りを得るとする「一乗」の思想を掲げる最澄と、あくまで「声聞」「独覚」(共に「小乗」)「菩薩」(「大乗」)は悟りの境地に格差があり、皆が皆成仏できるわけではないと主張する、法相宗の徳一との間で繰り広げられた大論争である。
 論争そのものは、当時の日本における彼らの教学理解の水準を示すものと言えようが、思想的には最澄がそこで独創的パラダイムを提示しているわけではなく、涅槃経の仏性思想を導入して、自分の主張を根拠づけている。

大乗戒の導入

 最澄における前代未聞の思想的独創性は、戒律についてのアイデアに示される。
 一般人が仏教を学ぶ共同体(サンガ)に参加する場合、その共同体の持つルールを受け容れなければならない。そのルールが戒律である。
 このとき、釈尊以来上座仏教においては、在家の信者ではなく、正式な教団の修行者になろうとするなら、具足戒(男性は二百五十戒、女性は三百四十八戒)を教団から授けられなければならない。
 大乗仏教が興起すると、その教団にも独自の戒(大乗戒)が成立する。大乗仏教は在家者の成仏を保証することが思想的テーマであるから、その戒律も具足戒とは異なり、僧俗共通の戒とされる。
 したがって、大乗仏教の修行僧は、最澄以前には、具足戒を受けた上で、さらに大乗戒を受けて、正式の僧と認証されたのである。そして、この制度は基本的に国家に管理されていた。
 日本の場合は、まず東大寺に国立の授戒式場(戒壇)が設けられ、後にもう二ヵ寺に建立された。出家して僧侶を志す者はすべて、これら三ヵ寺で受戒しなければならなかった。奈良時代のいわゆる「南都六宗」体制の基礎は、まさにそこにあった。
 最澄が行った画期的転換は、具足戒を捨てて大乗戒のみを採用し、それによって国立戒壇とは別の大乗戒壇を創設したことであった。

 「論じて曰く、『十重四十八軽戒、以て大乗の大僧戒となす』とは、梵網経に説く所なり。故に天宮師(引用者註 天台宗第四祖慧威尊者)の云く、梵網の大本に拠らば、凡そ大心を発して菩薩戒を稟(う)くるを並に出家の菩薩と名づくることあるべしと。
まさに知るべし、十重四十八軽戒、以て出家の大僧戒となすことを」(『顕戒論』)

 しかしながら、この「大僧戒」は、一切衆生の受けるべき戒でもある。

 「謹んで梵網経の下巻を案ずるに、(中略)これ一切の仏の本源、一切の菩薩の本源、仏性の種子なり。一切の衆生皆な仏性あり。一切の意識色心、これ情、これ心、皆な仏性戒の中に入り、当当に常に因あり。(中略)これ一切衆生の戒にして本源自性清浄なりと。明らかに知んぬ、大乗の別解脱戒はこの戒最尊なることを」(同前)

 この転換の意義はおよそ二つである。
 第一に、大乗戒壇創設の勅許を得て、自前で僧侶を養成できるようになった結果、最澄の比叡山延暦寺僧団(天台宗)は国家管理から相対的に自立した。このことが日本仏教の特色たる「宗」派成立の基礎を築き、その後の日本仏教の多様な思想的展開を準備する。
 第二に、一切衆生が成仏し得るという法華経の一乗思想を土台に、僧俗共通の大乗戒のみによる実践というアイデアを打ち出したことは、在家者の立場をより肯定的に評価して、ついには「ありのままでよい」という主張に連なっていくであろう。
 この「ありのままでよい」を「ありのままが真理である」という理論に転換したのが、空海の密教思想である。それはいわば、『古事記』的アニミズムの、形而上学的理論化なのだ。つづく

引用文献:『日本思想体系 最澄』(岩波書店)