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髙橋秀実『人生はマナーでできている』(集英社)

マナーとは生き方

 最近、ウェブ制作の現場などで、「トンマナ」という言葉をよく耳にします。ひとつのウェブサイトのデザインや雰囲気に全体的な統一感を持たせるために、「トーン(調子)」と「マナー(方法、流儀)」をどう整えるか、といった議論をする時などに使われます。「トーン&マナー」だから「トンマナ」。初めて聞いた時は、何が「トンマなのか」とギョッとしたものです、本当に。

 ウェブサイトにはそれぞれの個性が求められます。ですから、この場合のマナーとは、横並びで守らなくてはならない決まり(ルール)ではなくて、そのウェブサイト「らしい」特徴、個性を発揮するための独自のスタイルを意味します。

 同様に、本書の「マナー」もいわゆるマナー本――礼儀作法の指南書のそれではありません。本書のモチーフを著者は次のように述べています。
 
<巷のマナー本などを読んでみると、「○○の時は○○してはいけません」などと書いてありますが、これはマナーではなくルールです。「○○の際には、通常○○するものとされています」というのもマナーというより前例にすぎない。みんなそうするからそうしましょう、という一種の同調圧力ともいえるわけで、となるとマナーとは一体、何を指すのでしょうか>

<考えてみれば「電車の中で大声を出してはいけない」というのはマナーではなくルールである。ルールは従うべき掟だが、マナー(manner)とはそれぞれの「やり方」。ルールを破った時、あるいは破りそうな時にどう振る舞うか。それこそがマナーではないだろうか>
 
 まだモヤっとしたイメージしか浮かばないでしょうが、これを具体的な例に即して考察したのが本書です。おじぎする、時間を守る、満員電車に乗る、挨拶する、身を清潔にする、食べる、会議する、結婚する、レディ・ファースト、踊る、笑う……人と交わりながら生きていく上で、私たちが日常的に繰り返すさまざまな行為があります。それを「マナー」という観点から見つめ直し、その本来の意味やあり方を考えようとします。

 こう書くと何だかしかつめらしく聞こえますが、そこは著者がヒデミネさんですから、肩の力を抜き、自虐ネタをふんだんに織り交ぜながら、軽妙に展開しています。テーマに合わせて、それぞれの専門家を取材したり、自らが“実験台”にのぼってみたり、その場その場で交わされるやりとりが絶妙な面白さ。少し例を引きましょう。
 


 義弟の「婚活」に関わったという経験をふまえながら、結婚という行為を考えます。取材先の一人として、ある結婚相談室を主宰する「この道21年になるベテランの仲人」さんが登場します。

 「会員の皆さんは思慮深く真面目な方が多いですから、慎重に考えてしまう」――だから、失敗のリスクを恐れたり、次第に「目が肥えていく」ために、考えれば考えるほど「断る方向にいってしまう」というのです。結婚が目的だったはずが、「婚活」自体が目的化するのです。
 
<「女性は相手に対して『どこか頼りない』『物足りない』と必ず言うんです。そんなもん、全員頼りなくて物足りないですよ。物足りないから残っているんだし、そもそも男は物足りないくらいがちょうどいいんですよ。物足りるとうるさいでしょ」
――おっしゃる通りだと思います。
私は同意した。物足りないから文句も言えるのだ。しかしこれは結婚生活をしばらく送ってみなければわからない境地で、「実際はどのようにアドバイスされるのですか」とたずねてみると、彼女は即答した。
「この人を逃したら一生の不覚! これを逃したら孤独死!」
ほとんど脅しだが、それくらいでないと目が覚めないそうだ。
「『誰と結婚しても同じよ』とも言いますね」
――同じ、なんですか……。
「要するに、相手の問題じゃないということです。相手が変わればまた別の問題が出てくるわけですから。相手のせいにするんじゃなくて自分の問題として考えなさい、と言いたいんです」>
 
 結婚のマナーなどというと、結婚するために必要な心構えや立ち居振る舞いなどを想像しますが、「結婚する」という行為自体が、それぞれが生きるためのひとつのマナー(やり方)です。言い換えれば、結婚するためには○○したほうがよい、というのはマナーのマナーであって、この○○に気を取られ始めると、次々と○○が現われて、肝心の行為(=マナー)がどんどん後退してしまいます。
 
<私たちは「マナー」と聞くと、状況に合った行為と考えがちです。まず状況があり、それに行為が見合っているかどうかをチェックしたくなる。しかしそれぞれの行為が状況を生み出しているわけで、行為が先にある。行為を掘り下げることこそがマナーを知ることではないでしょうか>
 
 さて、著者の実人生が色濃く投影されているのが、「匂い」の章です。清潔感を問う際に、現代人がことのほか神経質になっているのが、匂いです。中学生時代に「牛乳臭い」「酸っぱい匂いがする」などと同級生の女子に言われたという著者は、「今にして思えばイジメられていたのかもしれないが……むしろどこか自分の個性として受け入れていた」といいます。
 
<そして個性を伸ばすように大学時代も「足が臭い」「今、おならしたでしょ」などとよく言われ、結婚してからは妻に「納豆臭い」「おしっこ臭い」「けもの臭い」、ついでに「貧乏臭い」、挙げ句に「生ゴミ臭い」とまで指摘されており、しまいには役所に通報されそうなのである>
 
 加えて近年、とみに気になるのが「加齢臭」。2035年には3人に1人が、2060年には2.5人に1人が65歳以上の高齢者になるわけで、その中の一員として、「若者への財政負担も心配だが……世の中を加齢臭まみれにしてしまうのではないだろうか」と気をもみます。

 「そんなに臭いのか」――そう思って、玄関のスニーカーの靴底におそるおそる鼻を近づけます。加齢臭が染みついていそうな「枕」に顔を埋めます。肌着と靴下を3日間替えずに着用して確かめます。迫真の描写に、ページから匂いの矢が放たれてきます。

 こうして展開されていく考察は、やがて「匂うのは生きている証し。匂いを交わすことで私たちは共に生きていく」と総括されますが、この章はとくに力がこもります。

 夫が妻を「エスコート」する、という男のマナーを知るために、社交ダンスを習うところも果敢です。アルゼンチン・タンゴの教室に通います。世界的なダンサーである日系アルゼンチン人の先生の熱弁に耳を傾けます。

「タンゴはコモ・ラ・ヴィーダ。なんていう、そう、人生なんです」

「日本人、オープンじゃない。なんていう? パッションがない」

「のほほんと生きているとパッションは出ません」
 
<「パッション出すために喧嘩します」
唐突に切り出すカルロス先生。
――彩子先生と喧嘩するんですか?
「もちろんしますよ。彼女を怒らせるために。とにかくパッション。パッション入れる。タンゴはパッションの中での表現。まず最初に男がパッションを出す。それをきっかけに女性もパッションを出す。それがタンゴです」
 その言葉を胸に私は自宅に帰り、早速、妻の手を取った。そして「これが本場のアルゼンチン・タンゴだ」と言わんばかりに背中に右手を回すと、彼女は背筋を伸ばしポーズを決めた>
 
 「笑いヨガ」に通って著者が出会う、笑いのマナーにもこれは通じます。基本は「motion creates emotion」。おかしいから笑うのではなく、笑うからおかしい気持ちになる。「つまり動作が感情を引き起こす。心を浄化して笑うのではなく、笑うことで心を浄化させる」のです。
 


 本書の「はじめに」で、ひとつのエピソードが紹介されています。著者が乗り合わせた電車の中で、けたたましく泣き叫ぶ小さな男の子がいました。咎(とが)める母親を無視して、金切声をあげて泣き続けます。その時、祖母とおぼしきアメリカ人(?)女性が、子供の肩を抱き、ニッコリ微笑(ほほえ)んで声をかけました。「Put a smile on your face」。

 すると驚いたことに、その瞬間、子供は泣き止み、本当に笑ったというのです。それを受けて、著者は述べます。
 
<……欧米では子供を叱る時に「マナーを守れ」ではなく、こう言うらしい。
「Watch your manners」
自分自身のやり方をよく見なさい>
 
 つまり、日々のマナー(=やり方)がその人の生き方です。そうです、その意味で「人生はマナーでできているのである」と。

 「マナー語りのマナー知らず」では困ります。肝要なのは、「しきたりを受け流し、適宜に生きる」バランス感覚。世間知を真に受け過ぎてもいけないし、疑ったりバカにするのも誤りで、要は「適当に聞いていればよい」と説いた吉田兼好の『徒然草』こそ、実は元祖マナー本だったのではないか、というのです。

 かつてフランスのモラリストたちが試みた人生省察が、著者の頭のどこかにあるのかもしれません。平成日本に置き換えて、本来の人間性探求に挑んだエセー(試み・企て)が、本書だということもできそうです。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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