2016年夏号の小特集「漱石を読もう!」では、「漱石アンケート 私のベスト3」と題して、漱石作品をどう楽しんできたのか、たくさんの方に教えて頂きました。ここでは誌面とはまた別の11名の方々のお答えをご紹介します(敬称略)。

質問(1)
漱石作品のうち、「私のベスト3」を決めるとしたらどれですか?
その理由も教えてください。

質問(2)
若い読者に一点薦めるならどれですか?

質問(3)
個人的なエピソードがあれば教えてください。

 

尾崎真理子さん(読売新聞編集委員)

(1)『明暗』ちょうど100年前、「朝日新聞」に連載された小説ですが、かつて、これほど複雑微妙な人間心理を書く作家、読む新聞読者が存在したという事実を思うたび、ため息が出ます。
『行人』妻の不機嫌、生活費の工面、係累絡みの厄介事。どれもあまりに世知辛く、小さく切実。だからこそ、時を超えて生き続ける人間がそこにいます。
『文鳥・夢十夜』大庭みな子さんの『オレゴン夢十夜』(1980年)に感動。続けて漱石の『夢十夜』を読みました。当然、しばらく眠れなくなりました。

(2)『三四郎』自分の輪郭をまだつかみかね、卑小感に苛まれている若い人に。明治期の、向学心にあふれる青年たちの思考回路と行動様式をこの作品からひと通り知っておけば、以降、何らかの「落ち着き」を得られるのではないか、と思います。具体的に参考になることは、あまりないでしょうけれど。

(3)漱石というと反射的に江藤淳氏を思い出します。1999年7月、66歳で自死されましたが、それは30余年にわたって書き継いできたライフワーク『漱石とその時代』第5部が、あと百数十枚で完結するはずの時期でした。脱稿後のインタビューを申し込んでいただけに、大きな衝撃を受けました。それにしても小島信夫、丸谷才一、吉本隆明、大岡信の各氏……そろってぶ厚い、それぞれの漱石論を著されています。名を成した後、最も個人的に取り組みたかったテーマが、「生涯、愛読してきた漱石について、自由に考え、書いてみること」だったように思われてなりません。

 

内田洋子さん(ジャーナリスト、エッセイスト)

(1)『硝子戸の中(うち)』硝子越しの情景は、走馬灯のよう。にやにや鳴く猫、矢来の坂、鐘、竹藪、提灯、栗饅頭、耳語(みみこすり)など、五感を刺激される描写は、何度読んでもため息もの。「どうかこうか生きている」は、いつも力強いエール。
『吾輩は猫である』タイトルでまず、ノックアウト。視線の動いていく速度や高低の移り変わりが、ズームアップやスポットライトを駆使した舞台を観るよう。
『坊っちゃん』人、場所、物、物言いと振る舞い……。お手本と憧憬の凝縮。

(2)『こころ』日本で最も読まれている本、としてイタリアの高校生、大学生によく贈る。ほぼ同時代のイタリアにも、デ・アミチス著『クオレ』(=こころ)が。同じ題名で書かれた二国の名作は、それぞれの地に暮らす人の真髄と時の連れてくる大切なものを照らし出す。

 

青木千恵さん(書評家)

(1)『坊っちゃん』エンタメの原点。勧善懲悪が気持ちよい。
『夢十夜』短編の原点。文章が素晴らしくうっとりします。
「私の個人主義」『漱石文明論集』(岩波文庫)「私の個人主義」が好きです。

(2)『坊っちゃん』永遠の青春小説だから。若いときに読んでいちばん覚えている漱石作品なので。
 
(3)子規と漱石を調べに、愛媛県松山市を訪ねたことがあります。路面電車が走る街に2人の足跡が残されていて、遠い時代の人ですが、街の雰囲気とともにあたたかいイメージを抱きました。会ってみたい日本人です。

 

板垣麻衣子さん(朝日新聞文化部記者

(1)『文学論』イギリス留学の「もっとも不愉快の2年」のあいだに文明批評の視点を研ぎ澄ませ、日本近代文学の開祖たらんと決意が痛々しいほどにじんでいて、涙なしには読めません。特に前文(序文)。
『倫敦塔・幻影の盾』上とほとんど同じ理由で、イギリス留学時の漱石の煩悶が、小説を書く悦びに昇華されていく様にしびれます。
『三四郎』下記の通りです。

(2)『三四郎』「日本より頭の中のほうが広い」は、やはり高校時代に読み、深く胸にきざまれています。こういう審美的な喚起力のあることばを浴びるのが、若者にとっては大事なことだと思います。

(3)取材の一環で、漱石のイギリス留学時代の下宿をたどったことがあります。2年間、下宿代を削るため貧しい地域に居を移しましたが、『漱石日記』と合わせてたどると、感慨深かったです。ロンドンというメガポリスで感応した不愉快から、「近代人の苦しみ」をいち早く察知し、文学というかたちにしてくれた漱石に、頭が下がる思いです。

 

菅野綾子さん(東京糸井重里事務所)

(1)『こころ』中学生で読み、インパクトがあった。タイトルのせいで、感動ストーリーだと思いこんでいた。
『三四郎』あかるく前向きなので好きです。
『草枕』ほれぼれするような「真実」がちりばめられている。

(2)『坊っちゃん』先生の話なので身近に感じられると思う。“こうありたい”でも“こうでしかいられない”という、希望と運命を両方抱えて自分で生きていくことを考えるチャンスになれば。
 
(3)質問1にも書きましたが、ファンシー好きでおセンチな中学生が初めて出会った漱石が『こころ』でした。なんでこの話のタイトルが『こころ』なの!!と、父や友人に嘆いてまわりました。忘れられない物語です。

 

大井浩一さん(毎日新聞編集委員

(1)『こころ』友情と恋愛が交差し、悲劇に至る圧倒的迫力。
『それから』三角関係をめぐる悲劇が独特の淋しさを漂わせる。
『行人』そんなに起伏がない長い物語なのに面白く読まされる

(2)『こころ』多くの人が高校生ぐらいまでに読むでしょうが、未読ならこれが一番ショックを受け得る作品と思われる。先生とKとの悲劇に至る過程は一度読むと忘れられない重さがある。

 

海老沢類さん(産経新聞文化部記者)

(1)『坊っちゃん』文章のリズム感。平明かつ奥深い小説。
『こころ』内面を記述する筆の見事さに驚いた。
『文学論』難解だけど、何度読んでも新たな発見がある。

(2)『坊っちゃん』「文学」って格式ばっていて取っつきにくいと思っている人には最適。無類に読みやすく、面白く、自分が成長するにつれて読み方がどんどん変わっていく懐の深い小説。

 

高津祐典さん(朝日新聞文化部記者)

(1)『明暗』 日常を切りとりつつ、批評性が高い。冒頭の手術の場面は出色。
『坊っちゃん』キャラクター小説としても純文学としても青春小説としても優れた唯一無二の作品。
『文鳥・夢十夜』夢を描く小説は数多くあるけれど、これほど周到に作り上げた夢小説はないのでは?

(2)『三四郎』ラノベと本格文学をうまくつないでくれる作品になっている。
 
(3)小学生のとき、祖父母の家にあった『吾輩は猫である』を手にして、『ルドルフとイッパイアッテナ』みたいな話かと思って読みはじめたら、あまりに漢字がムズカシクて、渋面をつくるしかなかった。その様子を見て祖母が「こんな漢字もよめるなんてすごい」と孫を猫かわいがりしてきて、大いにとまどった。

 

樋口薫さん(東京新聞文化部記者)

(1)『吾輩は猫である』どの頁を開いても楽しく、考えさせられる。まさに無人島に持っていきたい1冊。
『行人』兄のいない私はこの本を読んで嫂(あによめ)がほしくてたまらなくなりました。
『坊っちゃん』西欧文明の前に翻弄され、破れていく日本の姿が描かれ、まさに100年後の今読むにふさわしい。

(2)『三四郎』自分もそうだったが、特に地方から上京した若い人に読んでほしい。草食系の受け身な主人公もどこか現代的だし、ラノベ感覚で未読の人でも楽しめるのではないでしょうか。

(3)高校時代、国語の教科書に載っていた『こころ』の「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という台詞がなぜかクラスで流行しました。振り返ってみると、この言葉につき動かされるようにして、今まで生きてきたような気さえします。
上京後、雑司が谷の漱石の墓に参ったこと、新聞記者になって「名作を食べる」という企画で坊っちゃん団子を取材したことも、良い思い出です。

 

中嶋廣さん(前トランスビュー社長)

(1)『吾輩は猫である』明治以降の文学史の中で、形式・内容ともに他の追随を許さず、傑出して独創的である。
『行人』小説家・夏目漱石も、数多(あまた)いる読者も、すべてかなぐり捨てて人間の孤独を追求している。
『心』(『こころ』はどちらかといえば誤り)先生の死は、友を裏切ったことも、明治天皇の大喪も、きっかけに過ぎない。その真相は謎のまま残る。にもかかわらず、『心』はすとんと落ち着くところに落ち着く。それが最大の謎である。

(2)『吾輩は猫である』上にあげた小説は、総じて古びていない。中でも『猫』は昨日、書かれたといっても通る。しかも学生が読めば、たちまち苦沙弥邸の末席に連なる気になれる。

(3)明治の文豪と一読者だったのが、元岩波の編集者・秋山豊さんと知り合うことができて、劇的に変わった。秋山さんは最新の『漱石全集』の編集者であり、そのときのことを、『漱石という生き方』『漱石の森を歩く』(トランスビュー)に描いていただいた。僕は、漱石と秋山さんが対話するのを、横でじっと聞いていたのである。

 

鵜飼哲夫さん(読売新聞文化部編集委員

(1)あえて、漱石の諧謔味が、生な感じで味わえる講演をあげたい。「日本の開化は皮相上滑りの開化」という講演「現代日本の開化」は、グローバル時代の今日でも胸に響く。そんな激変の時代にあって、「霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまった」漱石が、「自己本位」という言葉を発見するまでを語る「私の個人主義」からは、文豪の苦悩が鮮烈に伝わる。

また、2つ目に漱石門下の作家に与えた書簡をあえてあげたい。無暗(むやみ)にあせってはいけない。吾々はとかく馬になりたがるが、「牛になる事はどうしても必要です」「あせっては不可(いけま)せん。頭を悪くしては不可せん。根気づくでお出でなさい」という芥川龍之介、久米正雄宛ての書簡は、結果、成果を求めるに急な今日にあって一服の清涼剤。鈴木三重吉宛て書簡では、小説家である以上、「単に美という丈では満足出来ない」「命のやりとりをする様な維新の志士の如き烈しい精神で文学をやって見たい」とつづる。意外な漱石とも出合える。

『草枕』とかく住みにくいこの世を、少しでも豊かにするものが芸術であるという、漱石の決意表明がこの作品にはある。宮崎駿が愛読し、小泉今日子が同名の舞台で主演した。文語調でやや読み難く、明治は遠くなりにけり、だが、今日でも内容の新鮮さは抜群。

(2)『三四郎』九州の田舎から上京する三四郎が、女と出会い、先生や友とめぐり合い、熊本よりも、東京よりも、日本よりも広い世界、そして自分の頭の中の世界を考える。ひょんなことから名古屋で同宿した女性から、翌朝、「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と言われるシーンは、青春の一断面を描いて秀逸。

(3)昨夏、大岡昇平が復員後に住み、『俘虜記』を書いた明石で取材した際、漱石が1911年に「道楽と職業」の演題で講演した中崎公会堂が当時のまま保存されていることを知った。公会堂のこけら落としとなる漱石講演は、内田百閒も聴講している。昇平には『小説家夏目漱石』があり、なにやら機縁を感じた次第です。