優れたごちゃごちゃ、題して、うじゃうじゃ

 スペクタクルというのは、何も絶景や巨大なものだけを言っているわけではないのだった。見応えがある場所や、見てびっくりするものに出会うことがスペクタクルさんぽの目的である。今回も前回に引き続き、神社仏閣にあるすごい彫刻を見にいくことにしたい。

 房総半島の社寺彫刻界には、波の伊八と並び称されるもうひとりの名工がいる。
 その名も後藤義光。
 後藤義光は、波の伊八に遅れること半世紀余の文化12年(1815)、安房国朝夷郡北朝夷村(現在の南房総市)に宮大工の長男として生まれた。幼い頃から彫刻の才能を発揮し、28歳のときに手掛けた横須賀市の浦賀にある西叶神社の装飾で一躍その名を轟かせたという。南房総を中心に、神社仏閣の社殿やお堂だけでなく、神輿(みこし)や山車(だし)にも多くの彫刻を残しており、2015年には館山市で生誕200年祭が催された。その際、義光の神輿が一堂に会したらしい。
 2015年って、去年ではないか。
 まったく知らなかった。
 そういう大事な話は先に教えてほしいものだ。
 んんん、たぶんネットには載っていたのだろう。だが知らないものを検索する人間はいないのであって、そういうときは私の肩をポンポンと叩いて、今度後藤義光という彫り師の祭りが館山でありますよ、それはそれはたいした彫刻なんですよ、と誰かがきっちり口で伝えてくれないといけない。しかもその誰かは、知らない人だとキャッチセールスと思うから、それなりに親交がある人でないといけない。そうしないと館山にそんなスペクタクルなものがあるとは気づきようがないのである。
 「船橋から先は秘境だと思ってました」
 シラカワ氏にいたっては房総半島で起きていることなどどうでもいい感じだ。
 この連載を通じてだんだんわかってきたが、どうやらスペクタクルは、われわれのよく知らないところで密かに進行しているのであった。
 きっとこうしている間にも、われわれの知らないスペクタクルが、どこかで大々的にもりあがっているにちがいない。誰か知っている人がいたら、ぜひ私の肩をポンポンしてほしい。
 まあ今さら去年のことを悔やんでもしょうがないので、義光の社寺彫刻を中心に見てまわることにしよう。
 まず資料を読んでみると、義光彫刻の特徴について、荒仕上げの中にやさしさがある、木目を巧みに生かした美しさ、などとどうとでもとれる美辞麗句が並んでいた。それはそうなんだろうが、具体的にどのへんがすごいのか書かれていない。思えば、武志伊八郎信由が波の伊八と呼ばれているのに対し、後藤義光のほうは後藤義光のままである。
 シラカワ氏も、
 「後藤義光……会社にいそう」
 とかいってピンときてないようす。
 たしかに監査役とか、執行役員とかにいそうな名前であるが、社長ではない気がする。なんとなくだけどそんな気がする。
 そしてこの後藤義光、なんと、二代三代と、引田天功みたいに何人もいるのだった。
 芸事の世界ではよくあることで、伊八もそうだったが、それならもうちょっと華のある名前というか、ありふれてない感じの名前のほうがいいのではないか。せめて初代義光には何か通り名がほしい。○の義光とかっこよく呼びたいではないか。

 名前の件はひとまず措き、われわれが最初に訪ねたのは、館山市の山中にある小網寺である。ネットで検索したら彫刻が濃そうだった。
 小網寺は人里離れた森の中にある。車を降りたとたん、ウグイスなどさまざまな鳥の鳴き声が聞こえて、のどかな雰囲気に包まれ、突然なんかいろいろめんどくさくなった。このままここで昼寝したい。
 だが、そんなことを言っていては話が進まない。
 山門をくぐって境内に入ると、大きくて重たそうな屋根の小網寺本堂がそびえていた。その軒下の暗がりに、見えるぞ、見える見える、彫刻が蠢いているのが。

遠目からも、蠢くような彫刻がよくわかる


 近づいてみると、正面の大きな虹梁(こうりょう)に松をあしらい、その上に龍の親子がのっていた。

 


 すごい存在感だ。見ただけで、どっしりとした圧力のようなものが伝わってくる。
 親子龍は、伊八の龍と同じように、ぐいぐいもりあがって梁の厚みをはみ出していた。この大盛りの立体感が名彫刻の証なのだ。伊八の龍もそうだった。
 んんん、こんな寂しい森の中にこれほどのスペクタクルが埋もれているとは。房総半島侮れん。
 親子龍のほかにも、スズメや亀や鯉などさまざまな生きものが彫られていた。柱の上の手挟と呼ばれる部分には鳳凰の姿もある。そしてなぜかこの鳳凰の目つきが妙に怖い。

目つきの怖い鳳凰。


 よく見ると鳳凰だけでなく、スズメも亀も目つきが鋭く、怒っているかのようだ。これが義光彫刻の特徴なのか。

 
スズメも亀もみんな怖い。


 「にらみの義光ですね」シラカワ氏がさっそく通り名を考えた。
 「メンチ義光」とスガノ氏も対案を出す。
 たしかにそのぐらい厳しい目つきだ。
 一方で私は、最初にこの本堂を見た瞬間のうじゃうじゃ感も気になった。
 社寺彫刻を気にするようになってから、神社仏閣にも彫刻がごちゃごちゃと豪勢なところと、シンプルなところがあるのを知った。当然、シンプルより、ごちゃごちゃのほうが見応えがあるわけだが、ごちゃごちゃと彫刻が過剰なところでも、彫りが丁寧なところとそうでないところ、盛りあがっているところと平板なところなど、内容は多種多様であることがだんだんわかってきた。
 興味がなかった頃はどこも同じように見えたごちゃごちゃだが、今では名工の手による彫刻を見れば、ごちゃごちゃのなかにも繊細さと力強さが感じられる。
 もちろん伊八も義光も優れたごちゃごちゃだが、その味わいは微妙にちがって、主と従をはっきりさせメリハリのあった伊八に対し、義光は隅から隅までごちゃごちゃな感じがする。容赦なくすべて彫刻で埋め尽くしたようなごちゃごちゃ。もうごちゃごちゃを通り越して、うじゃうじゃ。そのぐらいのしつこさを感じるのである。
 波の伊八に対抗して、うじゃうじゃの義光と呼びたいほどだ。
 かっこいい感じがしないというなら、埋め尽くしの義光。びっしり義光。全部義光。やたら義光。んんん、もう少し考える。

百態の龍

 小網寺に次いで向かったのは杉本山観音院である。観音堂に義光の彫刻がある。
 お堂自体は小さいが、その軒下に溢れんばかりのうじゃうじゃ。モチーフは小網寺と同じように中央に龍、周囲にスズメや亀のほか、天女などが彫られていた。

杉本山観音院でも、うじゃうじゃぶりは健在。


 ここの彫刻をひと目見て感じたのは、中央の龍が目立たないことだ。
 これが伊八なら龍がぐいぐい迫ってくるだろう。けれども義光の場合は、龍以外に左右の獅子や獏も目立っているし、梁に彫られたつる草のような波のような模様も目立っている。普通なら背景としてあまり目立たないはずの模様が、もりもりに盛りあがっているのである。
 義光、それは模様だ。そんなに力いっぱい彫ってどうする。とつっこみたいぐらいだった。
 どおりで龍が目立たないわけだ。
 まさに、うじゃうじゃの義光。
 だがまあ、それはそれで恐るべき力量である。

後藤義光の銘と寄付人の名前が刻まれている。義光81歳で、このうじゃうじゃぶりはお見事。


 次に訪ねたのは、応神天皇を祀る旧安房国総社、鶴谷(つるがや)八幡宮。
 向拝に彫られた傑作「百態の龍」は、義光が手掛けた彫刻のなかでもとくに有名で、義光彫刻の房総半島における代表作となっている。房総で義光といえばまずここであり、かの生誕200年祭もこの地で行われた。
「生誕200年祭来たかったなあ。御神輿ひとつぐらい見られないかなあ」
「ここは期待できそうですね」
 などと言いながら本殿に参拝し、そのまま上を見上げて目を見張った。向拝天井が格子状に区切られ、そのひとつひとつに龍が丸く彫られている。

 

 
龍の形はすべて違っている。


 これが「百態の龍」か。
 中央の龍はとりわけ大きく、そのまわりを54の龍が埋め尽くしていた(名前は「百態の龍」だが実際は54態だそうだ)。
 龍はどれも丁寧に彫られ、名彫刻ならではの3D感もさることながら、緻密な生々しさがあった。まるで鰐かトカゲのようにぬるぬるしていそうに見えるのだ。質感にリアリティがこもっている。
 先代宮司の酒井さんにお話をうかがったところ、これらはケヤキを彫ったもので、ケヤキという木はすぐにひねくれるのだが、義光の彫ったものはよじれやヒビが出ないとのこと。
 なるほど、そういうこともあるのか。私などはただ見た目でああだこうだ言っているだけだが、造形以外にも彫り師による技量のちがいが出るらしい。
 虹梁の下に逆巻く波の彫刻を見つけた。
 義光の波は伊八のように写実的ではなく、うねうねと曲線がのたくってこれも蛇か何かのようだった。このような波は私も他で見たことがあり、波というのは一般的にこういうふうに彫るものなのかもしれない。そう考えると、伊八の波はやはり独創的だったということだ。
 ならば、義光には波ではない何かで伊八を圧倒してもらいたいところ。
「伊八の特徴が波に表れているとすると、義光の特徴が表れているのはどこですか」と尋ねてみた。すると、
「龍です」
 と即答であった。
 私は面喰ってしまった。
 たしかに「百態の龍」は見事だ。
 だが波の伊八の龍三体もよかったので、どっちが上かと考えると難しい。迫力でいえば失礼ながら龍三体が上じゃないかと思えた。それに対し、義光の龍は本物の動物っぽくてかわいいのである。
 龍の義光といわれても、なんだか少々ピンとこない。いや、上手いんだけども。
 あるいはまだ見ていない彫刻にものすごいものがあるのだろうか。ひょっとして神輿や山車にヒントがあるんじゃないか。そんなことを考えた。
 生誕200年祭を見逃したのが残念だ。次の300年祭は忘れないようにしよう。
 酒井さんは祭りの話もしてくださった。それによれば、かつては祭りで神輿を勇壮にぶつけ合っていたが、今はぶつけないよう気をつかっているとのこと。せっかくの彫刻が壊れてしまうからだ。
 「昔は祭りのあとに、若い衆が欠片(かけら)を拾い集めていたもんです。自分たちでくっつけないと、直しに出したら500万はかかりますから」
 祭りの最中は、おんどりゃああ、って暴れ馬のようだった若い衆が、あとでちまちま欠片拾ってるところを想像すると、なんだかほほえましい。
 後にネットで義光の神輿を検索してみたところ、なかなかいい彫刻の写真をいくつか見つけることができたのだが、それを見るかぎり義光の神輿彫刻の特徴は彫りのユーモラスさにあるように感じられた。龍はそれほど目立っていなかったような気がする。
 が、実際に目で見たわけではないので、明確には判断できない。そもそも写真で見るのと実物を見るのとでは印象が全然ちがうことは、今回の旅で何より実感したことである。
 われわれは酒井さんにお礼をいって鶴谷八幡宮を後にした。
 シラカワ氏が、
 「伊八はアーティストで、義光は職人という感じがします」
 と言って、なるほどその感想はわかる気がした。

実在の動物のような龍

 われわれはさらにいくつかの寺社に立ち寄って彫刻を見た後、金谷から三浦半島の久里浜まで、東京湾フェリーに乗った。
 最後に向かうのは、横須賀市浦賀にある西叶神社だ。
 関係ないが、このとき驚いたのは、シラカワ氏の発言だった。
 彼女は、もの心ついてはじめてフェリーに乗ったというのだ。
 「すごいスペクタクル!」とうれしそうである。
 たしかに車が船に飲み込まれて海を渡るのは、それなりにスペクタクルなことなのかもしれないが、この歳になってフェリーが珍しいとは意外なことを言うものであった。
 「フェリーなんて、日本中にあるじゃないですか」
 「でも乗る機会ってあんまりなくありません?」
 そういうものだろうか。ずいぶんな喜びようで、デッキで海を眺めているかと思ったら、気がつくと後部甲板を所在なく歩き回っており、それもいつの間にかいなくなって、前方で風に当たっているかと思えば、最後は船室のシートでぐっすり眠っていた。子どもか。
 浦賀に着いて少し走り、西叶神社に到着すると、ここも一見して、社殿軒下がうじゃうじゃしているのがわかった。
 この頃になると私も、軒下がうじゃうじゃしていると気持ちが乗ってくるようになった。賽銭を投げて手を合わせたら、上を見上げて、んんん、ナイス龍! とか思いたい。逆にあっさりして何もないような寺社は、参拝するのもめんどくさいぐらいだ。

神社でもうじゃうじゃ。


 西叶神社の社殿彫刻は、すべて初代後藤義光20代の作品である。義光の出世作であり、向拝正面に龍、格子天井には28態の龍が、さらに社殿天井には74面の花鳥など、全体で230もの彫刻があると言われている。
 宮司の感見(かんみ)さんに案内をお願いすると、蟇股(かえるまた)にある小さなフクロウや、社殿側面の妻飾に彫られた力士像など、意外に気づかない逸品をいろいろ教えてくださった。そこらじゅう義光でいっぱいだ。

フクロウは「不苦労」とかけてあるのでは、と感見さん。
重たそうに屋根を支えている力士像。


 社殿内にも特別に入れてもらい、天井の花鳥を見せていただく。梅にウグイス、桃にモズ、栗にカケス、柊(ひいらぎ)に九官鳥などなど74の彫刻が圧巻。なかにヤツガシラという鳥が彫られていて、当時はまだ知られていなかったはずの鳥なのに義光がどうして知ったのか謎だとのこと。異国の図鑑でも見たのだろうか。
 義光がここを彫っていた当時、浦賀は要港として大いに栄えていた時期で、豪商も多く、異国の文化も流れ込んでいただろう。ヤツガシラはそんな時代の空気を象徴しているのかもしれない。
 ところで格子天井のうち4枚だけ彫刻がない。あえて完成させないという意味だったのではないかと感見さん。

左上から3枚と(1枚置いて)左下の1枚が彫られていない。


 似た話は飯縄寺の伊八彫刻でも聞いた覚えがある。伊八は左右の龍のうち右側だけ銘を彫らず空欄のままにした。後でまた来て直す、という意味だったのではないかとご住職がおっしゃっていた。
 どちらも、それだけ力を入れた作品だったということだろう。
 そんな西叶神社の彫刻で、私が一番強い印象を受けたのは、向拝正面の虹梁の上に蠢く龍である。
 義光の龍はふくらみがあり、ひげなどを見ても、線のように細く削った伊八と比べて太い。ときにそれがエッジが立っていないと見えるときもあるが、この虹梁上の龍は、そのふくらみに生々しさ、体温のようなものを感じた。
 中央から左に龍の尻尾というのか体の最後の部分が彫られてあり、その筋肉がふたつに割れている。そこに生きもののリアリティを感じる。
 巨大なムカデにも見えて、ちょっと気持ち悪いぐらいだ。

画像をクリックすると大きくなりますので、ぜひ中央から左にかけての筋肉のリアリティをご覧ください。


 龍といえばふつうは勇壮だとか凶暴といったイメージがあるが、もし本当に存在したらそれは蛇やトカゲの仲間だし、人によっては気持ち悪い、さわれないといった感覚を抱くはずで、義光の龍は、そこまで感じさせる生々しさがある。想像上の生きものである龍が、まるで実在するふつうの動物のように彫られているのだった。
 その後室内に保管されている脇障子の彫刻も見せていただいた。これがまたうじゃうじゃと彫りに彫った逸品で、西叶神社の義光は勢いがすごい、と専門家が評価するのもわかる気がした。
 んんん、いいものを見た。

 結局、初代義光の特徴はなんだったのだろうか。
 目つき?
 うじゃうじゃ?
 それとも、龍?
 決定打が出なくて悔しいが、逆に言えば、何でも彫れたのが義光だったのではないか。そしてあらゆるものに血肉を吹きこんだ。メインの龍だけでなく、模様にまで。
 肉の義光。
 そんな名前で呼びたい気もしてきたが、それじゃ肉屋なので却下。
 体温の義光はどうか。なんかちがうな。
 生々しい義光、リアル義光、実存的義光……わからなくなってきた。
 ともあれ波の伊八と後藤義光。房総半島の旅はスペクタクルであった。

参考文献:若林純『寺社の装飾彫刻 関東編下 千葉・栃木・茨城・神奈川』(日貿出版社)