Kangaeruhito HTML Mail Magazine 682
 
“終(つい)の棲家”を求めて
 
 阪本順治監督の映画「団地」を観てきました。このところ団地をテーマにした原武史さんの著作(*)や、団地を舞台にした小説、漫画などが目立ちます。映画では、是枝裕和監督の「海よりもまだ深く」を先日、面白く観たばかりです。

 1950年代半ばから70年代にかけて各地に造られ、高度成長期の先進的な住まいとして庶民の憧れの的であった団地――2DKの間取りにステンレス流し台のあるキッチン、デコラテーブルに椅子、内風呂、水洗トイレ、シリンダー錠ひとつで外界から遮断される西洋式住居。加えて、台風などにもビクともしない堅牢な建物がもたらす安心感。時の皇太子夫妻が視察に訪れるなど、輝かしい時代のシンボルであった団地は、いま半世紀を経て、老齢期を迎えています。

 ここで育った子どもたちは、独立するとともに、団地を離れて行きました。住人は高齢化し、エレベーターがないので、最上階はほとんど空き室になりました。独居老人の「孤独死」対策、介護問題が課題です。図らずも、少子高齢化の世相を如実に反映しているのが、いまの団地の姿です。

 私自身は、一度も団地に住んだ経験はありません。けれども、「昭和の子」として団地がまばゆい存在だった時代の空気を吸って育ちました。サラリーマンのベッドタウンであり、周辺の地域社会とは一線を画した小宇宙。モダンなライフスタイルがもたらす新しい感覚と生活のリズム。コンクリート造りの人工的で無機質な空間は、星新一、眉村卓、光瀬龍などのSF小説に似つかわしく、「ウルトラマン」など特撮テレビドラマにうってつけの近未来イメージをかきたてました。

 その団地が、時代とともにどのような変遷を遂げ、いまどういう表情を見せているのか、無関心ではいられません。

 阪本順治監督は、静かに余生を送りたいと願った夫婦が、移り住む先として団地を設定しています。人生の終着点にふさわしい、“終(つい)の棲家”のひとつとして――。

 主人公の藤山直美、岸部一徳夫妻は、最愛の息子を不慮の事故で亡くしたことをきっかけに、老舗漢方薬局を廃業して団地に引っ越します。人の目や街の喧噪を逃れ、いわば時間が止まったような空間で、ひっそり暮らしたいと願ったからです。

 とはいえ、人の匂い、世間との関わりを完全に断ったわけではありません。植物図鑑を片手に裏山を散策するのが楽しみの夫(岸部)は、漢方薬局時代の生薬(しょうやく)をそのまま部屋に抱え込んでいます。どうにも捨て切れない様子です。妻(藤山)は近くのスーパーにレジ係としてパートに出ています。知り合いが来ればついつい話し込んでしまい、店長からは「あんたのとこだけは列が長くできてしまう」と小言を食らうことがしばしばです。「どんくさい」要領の悪い仕事ぶりを、本人も自覚しています。

 映画の冒頭は、浜村淳(関西では人気のパーソナリティー)のラジオ番組が流れる中で、丁寧にハタキをかけながら掃除に余念のない藤山直美の姿が窓越しに映し出されます。いまどきハタキ! それもなんだかバカ丁寧に、楽しげにハタキをかけている様子が、不思議な印象を与えます。そこへ、一人の若い男性が訪ねてきます。以前からの顧客で、これまで調合してもらっていた薬をどうしても欲しいと言って、彼らの居場所を探しあててきたのです。背広にネクタイ姿の、一見ごく平凡なサラリーマン風ですが、どこか普通ではありません。

  「五分刈りです」(=ご無沙汰です)、「効果きしめんです」(=効果テキメン)といったオヤジギャグまがいの言いマチガイを、大真面目な顔で連発します。動作もどこかぎこちなく、明らかにヘン。にもかかわらず、それを平然と受け入れている夫婦もどこか奇妙です。いったい何が始まるのか。物語にいきなり引き込まれます。

 周りの団地住人と積極的に接するつもりはなかった二人ですが、たまたま成り行きで夫が自治会の会長選候補者に推されます。いったんその気になりかけたところが、あえなく落選。その上、不愉快な出来事が重なったために、「僕はもう死んだことにしてくれ!」と言うなり、床下の収納庫に引きこもります。

 裏山にしょっちゅう出かけていた夫の姿を、もう2ヵ月以上、誰も一度も見ていない。妻は相変わらず、スーパーの勤めに通っている。周囲は次第に不信の目を光らせます。

 噂好きのオバさんたちは、夫の失踪の裏に“事件”の匂いを嗅ぎつけます。もう殺されているのではないか。細かく切り刻んでゴミに混ぜて処分しているのではないか……。ついにはテレビの取材陣が妻に直撃インタビューを試みます――。

 ビール箱をひっくり返した上に腰を下ろし、4人の主婦がペチャクチャあらぬ妄想を膨らませます。いかにも旧来の井戸端会議のノリですが、まことしやかな噂を無責任に拡散させていく様は、いまのSNS現象と基本的には変わりません。「団地てオモロイなぁ。噂のコインロッカーや」と犯人扱いされた妻は呟きますが、これは人間社会につきまとう業のようなものでしょう。
 


 さて、半ば世捨て人のようにして静かな生活を望んだのは、一人息子の死が決定的でした。冒頭、丁寧にハタキをかけていたのは、息子の遺品を集めた部屋の一角だと分かります。息子のありし日を思い出し、涙にくれる妻を見て、「つらいのはお前だけと違う」という夫は、飄々とした見かけだけに、心に負った深い傷、哀しみをより一層感じさせます。

 そこへ思いがけない形で降ってわいた殺人疑惑。一体どうなることだろう、というところまでが前半です。ここから先は奇想天外な結末に向かって大きく物語が展開するだけに、後は見てのお楽しみ、という他ありません。

 世をはかなんだ夫婦が夢見た団地暮らしは、適度な人との距離感でした。けれども、人あるところに噂は絶えず、落語の長屋を縦にしたもの、という団地の定義はそのまましぶとく残っていました。

  一方、かつては無機質で画一的と見えた空間には、年とともに樹木が育ち、隣には緑豊かな裏山があります。そこへ日課のように出かける夫は、ある日、団地の子と出会います。父親のDVに耐えている孤独な少年は、「ガッチャマン」のテーマソングをいつも歌い、裏山で“誰か”を待っています。何か超現実的な出来事が起こるのは、たいてい郊外の山や森の中でのこと。あの「未知との遭遇」や「E.T.」もそうでした――。

 面白いのは、後半、例の奇妙な顧客から「5000人の同胞のために」といって、大量の漢方薬を注文された夫婦が、それを二人で懸命に調合する場面です。漢方薬といえば、生薬を煎じるくらいのイメージしかありませんが、二人は丸薬を一個一個手作りします。材料を混ぜ、適量のはちみつを加え、粘土みたいに捏ね、棒状に伸ばしたものを特殊な器具を用いて小さく切り分け、可愛らしいコロコロ状の薬に仕上げます。
 


 大変な作業を夫婦で黙々とこなしていくのですが、そこはかとないユーモアをもっとも感じるのがこの場面です。汗水たらして漢方薬を作る二人ほど、いとおしく、微笑ましく、人の営みが切なく見えることはありません。そして、この重労働の見返りに、夫婦の最大の願いを実現しましょうと、妙な客は言い出すのです。

 思えば、藤山直美主演で16年前に撮影された阪本監督の名作が「顔」(2000年)でした。引きこもりの姉(藤山)が、母親の葬儀の夜、自分を罵倒する妹を衝動的に殺し、逃亡生活を続けていく物語。圧倒的な藤山直美の存在感と、社会の吹きだまりでうごめく人々のリアリティー。「人生こんなはずでは……」という感覚と、「生まれ変われるものならば」という詮ない夢だけが、主人公の表情に表われては消えていく骨太の映画でした。

 今度の「団地」もまた、「こんなはずでは」の感覚は基調として流れています。最愛の息子さえ生きていてくれれば……。なぜあの子が死ななくてはならなかったのか。この思いに耐えているのが主人公たちです。

 息子なしでは生きている甲斐もない。会えるものならまた会いたい。人は死んでどこへ行くのか。自分たちが死ねば、ふたたび息子に会えるのか。そういう思いがにじみます。

 是枝監督の「海よりもまだ深く」の中でも「こんなはずじゃなかったよなぁ」というセリフが印象的です。「あなたはなりたかった大人になれた?」という問いが作品の根底に横たわります。そういう問いかけを生む舞台としての団地もまた、「なりたかった姿になれなかった存在」ではないか、というのが是枝監督の認識です。

 「海よりもまだ深く」では、台風一過の翌朝の風景が鮮やかです。前夜の大雨がウソのように止み、水に濡れた芝生の緑が朝の光に輝きます。晴れ渡った空が抜けるような青さです。コンクリートが前景化していた空間が、50年を経て、自然を引き寄せ、身近に感じさせる場所に変貌しています。これは両作品に共通する特徴です。

 かつての生活への郷愁も2作品に通じています。「昭和」の匂いにあえてこだわった阪本監督は、夫婦二人の夕食のテーブルに、いまどき瓶ビール(!)を立たせています。ラベルこそ見えませんが、これはやはりキリンでしょうか。そして夫婦のご馳走といえば、トンカツ、すき焼きの“定番”らしく、床下に隠れている夫を観念させようと、「美味しいトンカツがあるのに」と妻は上から呼びかけます。
 


 団地の中にそびえ立つ、ロケットのような給水塔。阪本映画では「どついたるねん」(1989年)の通天閣以来、おなじみのイメージともいえますが、過去から現在、近未来へとつなぐ、そして天と地との通路として、魅力的な表情を見せてくれます。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
写真(C)2016「団地」製作委員会
有楽町スバル座、新宿シネマカリテ他、全国公開中
 
*『団地の時代』(重松清氏との共著。新潮選書)、『滝山コミューン一九七四』(講談社文庫)、『レッドアローとスターハウス――もうひとつの戦後思想史』(新潮文庫)、『団地の空間政治学』(NHKブックス)など。

 
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