第4回を迎えた今年の河合隼雄 物語賞・学芸賞は、いしいしんじさんの『悪声』(物語賞)と武井弘一さんの『江戸日本の転換点 水田の激増は何をもたらしたか』(学芸賞)に決まり、7月8日に京都で授賞式が行われました。

 

 『悪声』は、人と異形の境界を超え、生きとし生けるもの森羅万象が響きあう壮大な物語です。選考委員の上橋菜穂子さん、小川洋子さん、宮部みゆきさんの意見は最初からほぼ一致して、揉めることなく『悪声』の受賞が決まったそうですが、一方で、お三方とも読み通すのが苦しかったというのです。その理由を、選評で上橋さんはこう記します。

 「『悪声』は猛烈に読みづらい物語なのだが、この読みづらさに『悪声』の本質が潜んでいるような気がする。(中略)正直に――人間にできる、ぎりぎりの正直さで――この世と、そこに生まれた万象とが、生まれ、交わり、流れ、消えていくすべてを、作者にとって、できうる限りの最高の表現をもって書こうとしたら、こういう物語が生まれるのではないか。そんなことを三人で語り合ううちに、ひょい、と誰かの口から飛び出した「物語の原液」という表現こそ、『悪声』を評する最適な言葉であるように思う」

 「ええ声」を持っていた「なにか」は、いかにして「悪声」となったのか。作者のいしいさんが「受賞のことば」で、「ものがたり」の核心を語ってくださっています。

 

 学芸賞に決まった『江戸日本の転換点』は、新田開発により、耕地が激増して収穫量が増え、社会が豊かになる一方で、農業が深刻な矛盾を抱えることになった江戸時代の情勢を、「農書」を丹念に分析することで描き出した労作です。選考委員の岩宮恵子さん、中沢新一さん、山極寿一さん、鷲田清一さんは、著者の武井さん(琉球大学法文学部准教授)が読み解いた「農書」から立ち上る水田で働く人々の姿がいかに生き生きしているかを絶賛しました。選評で中沢新一さんは記します。「江戸期の農村をテーマにした本はたくさんあるが、本書のように、水田で働く『百姓』の考えていたこと、感じていたことを、生き生きと再現できたモノグラフは、まず前例がない。人間のことが活写されているだけではない。水田で働いている百姓の動きは、物陰からそれをじっと凝視している動物や昆虫や魚たちによっても、鋭く観察されている。その生き物の目までが感じ取れるのだ」。

 ところで武井さんは、江戸時代を研究するためだけに本書を書いたのではありません。「あの事件がなかったなら、『江戸日本の転換点』という本は書けなかったと思う。2011年3月11日に発生した東日本大震災のことだ」。武井さんによる「受賞のことば」の書き出しです。未曾有の災害を目の当たりにして、遠い沖縄の地で研究者として何ができるのか――考える中から武井さんは、危険にはデンジャーとリスクの2種があり、リスクはヒトの行為が生じさせた危険であることに着目します。そして、日本の歴史上、社会全体がリスクにさらされたことはあったのかを専門である江戸時代で検証。その結果、新田開発という経済成長により日本社会が深層で抱えたリスクを明らかにしたのです。では、そのリスクに対して人々はどのように立ち向かったのか。どうやら次の研究テーマはそのあたりにつながっていきそうです。

「世界を読み解き、人々を支える生き生きとした物語を創出した著作」を顕彰する河合隼雄賞。今年もまた、世界を深く読み解く良書が選ばれました。