紙から液晶ディスプレイまで

 夏場、生い茂る庭の草刈りに、手を焼いているのは筆者だけではないだろう。一見頼りない姿をした草が、引き抜こうとするとなぜあんなにも強靭なのか。手のひらにできたいくつもの豆を眺めながら、生命の力強さを改めて思い知る。

 地面から生えたまま、逃げることも獲物を追うこともできない植物は、生き延びるためにさまざまな仕組みを生み出してきた。強烈な風にさらされても倒れたりちぎれたりしない、強くしなやかな繊維は、彼らの依って立つ大きな柱のひとつだ。

 植物は、その姿形もライフサイクルも、生きている生活環境も驚くほどさまざまだが、強い繊維質、葉緑素による光合成システム、寒冷や乾燥に耐える種子という形態の3つは、多くの植物が共通して持っている。これらは植物が進化の過程で編み出した「三大発明」といってもよいだろう。

 植物の繊維の強靭さは、セルロースとリグニンという2つの物質によっている。人体でいえば、前者が骨格、後者が筋肉に当たる。植物がこの惑星の表面を覆い尽くすまでに繁栄するために、このコンビネーションが大きな武器になったことは間違いない。たとえば樹木の重量の40~50%は、セルロースが占めている。このため、セルロースはこの地球上に最もたくさん存在する有機化合物であり、世界の植物たちによって年間1000億トンが作り出されるといわれる。

毎年1000億トンのセルロースが植物によって生み出されている。(Sascha Grabow/Wikipedia Commons)


 この膨大に存在する有用な物質を、人類が活用してこなかったはずもない。実のところ、我々の身の回りはセルロースだらけといってもよい。前述のように、木材の主成分はセルロースだから、建材や燃料として最も古くから人類の近くにあった素材といえる。麻や木綿などの布もほぼ純粋なセルロースだから、衣類としても重要だ。いわゆる食物繊維も大半はセルロースであるし、医薬の錠剤にもセルロースが利用される。

 セルロースに化学的に手を加えたものも、広く利用される。いわゆるアセテート繊維はその代表だし、かつてよく用いられたセルロイドもセルロースから作られる。酢酸セルロースと呼ばれる物質は、写真フィルムや液晶ディスプレイにも欠かせないから、ハイテク製品にもセルロースは不可欠なのだ。

セルロイド製のキューピー人形


 しかし、最も身近なセルロース製品といえば、やはり紙ということになるだろう。本やノートなど情報を書き記すメディアとしてはもちろん、障子などの建築材料、ダンボールや包装紙などの梱包材料、紙コップや牛乳パックなどの容器類、コーヒーフィルターや紙おむつ、ティッシュペーパーなどの日用品に至るまで、我々が紙製品のお世話にならぬ日は一日たりともない。人類史上最大の発明品は何か――という問いにはさまざまな答えがあり得るだろうが、紙は間違いなくその有力候補のひとつに入ってくるだろう。

紙の発明者

 紙は、古くから広く使われている物には珍しく、発明者の名や発明の年までがはっきりしている。その名は蔡倫(50? - 121年?)、後漢の宦官(かんがん)であった人物だ。蔡倫は中常侍という、宦官の中でも幹部級の職を務めた後、尚方令というポストについていた。これは、皇帝の用いる御物を作る立場で、いわば宮廷の工房を取り仕切る立場だ。

後漢の宦官だった蔡倫


 蔡倫は発明工作に極めて長けた人物で、彼の作る器械類は精密さに定評があったという。生まれもった才能と、手間暇を惜しまず試行錯誤に打ち込める立場が結びついたことが、歴史的なイノベーションを生み出したのだろう。

 西暦105年、彼は樹皮や麻の切れ端、破れた漁網などを原料に、薄く丈夫な紙を発明した。時の皇帝である和帝に初めてこれを献上したところ、帝は大変に喜び、その才能を賞したと史書にある。

 それまで記録媒体として主に用いられていたのは、木材あるいは油を抜いた竹を束ねた、木簡あるいは竹簡であった。これらがかさばり、扱いにくいものであったことはいうまでもない。紙は、文字を書きやすい上に、薄くスペースを取らない。巻いたり束ねたりすれば、コンパクトに情報を集積できる。それまでと比較にならぬほど、利便性が向上したのだ。

戦国時代の楚の竹簡(上海博物館蔵)


 もっとも、蔡倫以前の時代に、紙がこの世に存在しなかったわけではない。これまで発見された最古の「紙」は、甘粛省天水市で出土した麻紙で、紀元前179~142年ごろのものと推定されている。文字が書かれた紙としては、前漢の宣帝(在位前74 - 48年)時代に作られたとみられる「懸泉紙」が最も古いものだ。

 また、エジプトのパピルス(カヤツリグサの茎の皮を置き並べ、圧搾してシート状にしたもの)など、中国以外でも紙に似たものはすでに発明されていた。ただしこれらは質も悪く、極めて高価なものであった。

カヤツリグサの茎を圧搾して作られたパピルス


 蔡倫の功績は、身近な材料や廃棄物を元に、低コストで紙を創り出したことにある。しかも、彼の紙は薄く丈夫で、それまでの紙とは同列に語れないほど高品質だった。まさに破壊的イノベーションというべきものであった。

 では蔡倫の紙の製法は、どのようなものだったのだろうか? まず、麻のぼろ布をよく洗い、灰と共に煮る。これは、アルカリで加熱することで不純物を分解除去する効果がある。これを臼で叩いた上で水に分散させ、網を張った木の枠ですくい上げる。これをよく乾燥させることで、紙ができ上がるのだ。この製法は、2000年近くを経た現代の製紙法と、基本的に変わるところがない。これを考えれば、それ以前に類似物があったとはいえ、蔡倫こそが紙の発明者であると言い切って差し支えないだろう。

セルロースの強さの秘密

 なぜ紙は、かくも薄く丈夫なのだろうか。その原料であるセルロースを、化学の目で見てみよう。セルロースは、多数のブドウ糖分子が長く一直線に連結した構造を持つ。いわばブドウ糖でできたチェーンだ。植物の葉が光合成によって作り出すブドウ糖を、そのまま原料にできるわけだから、大変に効率よく量産が可能だ。

セルロースの構造図(作成・佐藤健太郎)


 ブドウ糖分子は、いくつものヒドロキシ基(水素と酸素1つずつから成るグループ)を持つ。セルロース分子全体では、何千という水素と酸素を持っていることになる。この水素と酸素は互いに引きつけ合って、水素結合という結びつきを作る。これは、通常の原子同士の結合(共有結合)の10分の1ほどの強さでしかないが、多数集まればなかなか馬鹿にできない力を発揮する。

 この水素結合によって、隣り合ったブドウ糖同士、あるいは異なる鎖のブドウ糖分子が引きつけ合い、結びつくことによって、非常に丈夫な繊維を形成する。セルロース繊維には、他の分子や分解酵素が入り込む隙間も少ないため、長い時間の経過にも耐えて安定に存在し続ける。千数百年も前に作られた仏像を、変わらぬ姿で拝むことができるのも、この強靭なセルロース繊維の力あればこそだ。

 ブドウ糖を多数連結した化合物は、セルロースだけではない。アミロース、すなわちデンプンも、ブドウ糖が長くつながってできている。平面的な絵で描いてしまうと、両者には何の変わりもない。しかしセルロースとアミロースの性質は、天と地ほども異なる。紙や木綿を食べることはできないし、ホカホカのご飯を着るわけにも、字を書くわけにもいかない。

アミロースの構造図(作成・佐藤健太郎)


 セルロースとアミロースの相違点はただひとつ、ブドウ糖分子のつながりかたにある。セルロースはブドウ糖がまっすぐ直線状につながっていくのに対し、アミロースではらせん状に連結しているのだ。セルロースは直線的なので束になりやすく、隙間の少ない繊維になる。

 一方、アミロースのらせんはゆるく巻いており、他の分子の侵入を受けつけやすい。このためアミロースは比較的分解されやすく、消化酵素などの作用で容易にブドウ糖単位までバラバラにされてしまう。これは、栄養源としてぴったりの性質だ。植物は、最も生産しやすいブドウ糖をもとに、茎や幹など自らの体を形作る最高の「建築材料」と、種子や果実など次世代へ残す優れた「エネルギー源」の両方を作り出しているわけだ。自然のたくみの見事さに、舌を巻かずにはいられない。

洛陽の紙価

 紙の長所は、情報を記録し、伝え、残すことに向いている点だ。秦の始皇帝は「焚書」を行ない、征服した各国の歴史書や儒教の経典など、自らにとって都合の悪い書物を全て焼き払おうとした。紙の発明以前のことだったから、これら書物は木簡などに記されたものであり、焼くことで情報を消し去ることは簡単なことだった。

 紙がとても火に弱いことは変わりないが、より多量に安く生産できる媒体であるため、情報をコピーし、分散保存することも容易になる。これによって一冊や二冊を焼いても、情報を消し去ることができなくなったのだ。コストダウンによって大量生産が可能になった媒体は、情報のあり方そのものを変えてしまったといえる。

 紙の登場は、文化の面にも大きな影響を与えている。もともと漢字は、牛馬の骨や亀の甲羅に刻まれる文字(甲骨文)として生まれたが、木簡と筆の普及によって篆書や隷書へと変化していった。紙が生まれた後漢時代には、現代の我々にもなじみ深い楷書や行書が生まれ、多くの能筆家が登場するようになる。そして紙質の改善が進んだ東晋時代には、書聖と呼ばれた王羲之(303 - 361年)が活躍し、書道は芸術の域へと高まっていった。

之の行書『蘭亭序』


 また、保存や持ち運びがしやすい紙という媒体は、文化の伝播を容易にする。西晋時代の文人であった左思(252?-307年?)は、「三都賦」と題する詩文を十年がかりで完成させた。これは評判を呼び、人々が争って筆写したため、洛陽は紙不足となって価格が高騰したという。いわばベストセラーが誕生したわけで、ここから「洛陽の紙価を高からしむ」という故事が生まれている。

 「科挙」もまた、紙の普及なくしては成立しなかった制度だ。科挙は一般から才能のある者を選抜し、国家のために働く官僚とするための試験を指す。家柄にとらわれず、在野の賢人を拾い上げられる点で画期的な仕組みであったが、それだけに競争は激しく、倍率は3000倍に及んだこともあった。

科挙の様子(宋時代)


 試験は「論語」「孟子」など、いわゆる四書五経から出題されるから、受験者は合計約43万文字にも及ぶこれら古典と、その注釈を暗誦しなければならない。不正行為も少なからず行われたようで、数十万文字をびっしりと書き込んだカンニング用の下着が現存している。勉強のためにも、試験のためにも、膨大な紙が必要であったはずだ。

 科挙という制度は、隋の文帝が6世紀末に開始して以来、20世紀初頭に至るまで続いた。多くの有名な政治家たちが、科挙をくぐり抜けて宮廷で地位をつかみ取り、歴史を動かしてきた。紙と筆という優れた筆記用具の存在なくして、これほど大規模な人材登用システムは存在し得なかったことだろう。

後編へつづく