日本伝来

 製紙技術は、やがて世界へと広がり始める。日本では、推古天皇の御代である西暦610年に、高句麗からの渡来僧である曇徴(どんちょう)が、紙を作ったというのが最も古い記録だ。もっとも、戸籍の整備など、紙を必要とする事業がすでに始まっていたことなどから、これ以前から日本に紙が伝わっていた可能性は高い。

 日本にはミツマタやコウゾなど、優れた紙の材料になりうる植物が存在していた。また紙漉きの際に、トロロアオイの根から得られる粘液(ネリ)を混ぜることで、薄く丈夫な紙が作れることが見出された。こうした風土と、工夫の積み重ねにより、和紙という独特の文化が成長していった。

 障子や襖など、紙を多用した建築は、日本家屋の大きな特色といえる。また、紙を折り曲げて花や動物などさまざまな形を作り出す「折り紙」も、日本を特徴づける紙の文化のひとつだ。他国でも折り紙は行われていたが、薄く丈夫な和紙は複雑な造形にも向いていたため、折り紙は日本で大きく発展した。現在でも、「Origami」という言葉は世界の共通語として通用する。

折り紙「バラ」(創作・川崎敏和/制作・佐藤健太郎)


 和紙の強さの秘密は、ひとつにはコウゾなどから得られる長い繊維にある。また、「つなぎ」となる粘液は多糖類が主成分で、セルロースと同様に糖類がいくつもつながったものだ。これらが水素結合によって互いに密接に結びつくことで、和紙特有の強靭さ、しなやかさが生み出されているのだ。

コウゾ(草花写真館/Wikipedia Commons)


 明治以降、機械漉きの洋紙の普及によって和紙の生産は激減していったが、その美しさと丈夫さから、今も工芸品として高い人気を誇る。日本の紙幣にもミツマタが用いられており、和紙の伝統が生かされている。

西へ渡った紙

 究極のメディア・紙は、西へ向けても旅を始める。そのきっかけとなったのは、西暦751年に起きたタラス河畔の戦いとされる。西方へ勢力を伸ばした唐軍と、勃興しつつあったアッバース朝のイスラム帝国が、現在のカザフスタン付近で激突した戦いだ。

 この戦いで唐軍は大きな被害を出し、イスラム側の史料によれば2万人が捕虜になった。この中に紙漉き職人が混じっており、彼が西方へ製紙法を伝えたのだとされる。これが正しいとすれば、この戦いは世界の文化史における重要な転換点になったといえる。

 紙に初めて触れたアッバース朝の人々は、すぐにその重要性に気づいたのだろう。紙の材料になりうる植物探しが始まり、製紙法が工夫された。794年には首都バグダッドに製紙所が建設され、行政文書や公文書に紙が用いられるようになった。10世紀後半にはエジプトへ、11世紀中ごろにはスペインへ、13世紀前半にはイタリアへといった具合に、紙は西へと広がっていった。数多くの文書が、知識が、聖典が、本という形で広がっていったことだろう。

「千夜一夜物語」も紙の写本で広まった(Wikipedia Commons)

印刷術の登場

 こうして拡大してきた紙の需要をさらに大きく押し広げたのが、印刷術の開発だ。筆写とは比べ物にならない速度で、同じ情報を大量にコピーする印刷という技術が、いかに画期的なものであったかはいくら強調しても足りないほどだ。

 意外なことに、世界最古の印刷物は日本にある。称徳(しょうとく)天皇が770年に、国家の安全を願って、陀羅尼(だらに:仏教における呪文の一種)を版に彫り、紙を乗せるか捺印するかの形で、100万枚も製造したものが、今も残っているのだ。また、活字を組み合わせて刷る、いわゆる活版印刷は、11世紀の宋で行われた記録がある。

 しかし世界的に有名なのは、15世紀の半ば頃にヨハネス・グーテンベルク(1398? - 1468年)が開発した印刷機だろう。彼は鉛などの合金で活字を作り、ブドウ圧搾機を改造した印刷機で、1450年ごろから印刷業を開始した。これによって、書物の値段は一挙に10分の1に下がったうえ、筆写につきものである写し間違えも駆逐されたから、正確な情報の普及への貢献は計り知れない。

ヨハネス・グーテンベルク


 ただし、グーテンベルク自身はこの印刷機の開発のために借金をし過ぎ、せっかく完成した印刷機は借金の抵当として貸主に取り上げられてしまったという。笑うに笑えぬ歴史の挿話である。

 彼の印刷技術で作られたもののひとつに、教会の贖宥状(しょくゆうじょう:免罪符)がある。教会にカネを払う代わりに罪の赦しを与えられるというこのやり方に、教会の堕落を感じ取った人は多かった。その一人が、ドイツの神学者マルティン・ルターであった。

 彼が、贖宥状の是非について論じた「95か条の論題」(1517年)を活版印刷で刷って配布したところ、その内容はわずか2週間でドイツ全土に、1ヶ月でキリスト教圏全てに知れ渡ったという。それまでとは情報伝達の速度が、圧倒的に変わったのだ。この怒りのうねりは、やがて宗教改革としてヨーロッパ全土を巻き込み、カトリックとプロテスタントの分離へとつながっていく。大量生産された薄い紙片は、文字通り歴史を変えたのだ。

印刷されたルターの「95か条の論題」

メディアの王者

 その後も、紙を用いた情報や知識の伝達は、世界の歴史と文化を大きく変えていった。現代の我々は、もはやその恩恵について考えることさえないほど、紙は生活の中に溶け込んでしまっている。

 20世紀後半になり、ようやく記録媒体の王者の地位を脅かすテクノロジーが登場してきた。ハードディスクを始めとした磁気記録媒体である。ハードディスクは、紙など比較にならぬほどの記憶容量とアクセス速度を誇っている。一軒の書店に並んでいる本の内容が、手のひらに乗るハードディスク1台に収まる日が来ようとは、夢にさえ思わなかった。

 これにより、紙もようやくお役御免――かと思いきや、そうはなっていない。世界の紙の生産量はなお伸び続けており、2012年には4億トンを超えた。扱える情報量が飛躍的に増えた分、それを閲覧するための紙の需要も増大しているのだ。さまざまな電子デバイスが発達してはいるが、特に複雑な漢字を用いる日本語においては、閲覧のしやすさにおいて紙を上回るものはいまだにない。良くも悪くも、日本で電子書籍が普及しない原因のひとつだろう。

 一方で紙は新たなテクノロジーと結びつき、これまでにない性質を持ったものが続々と登場している。ナノサイズのセルロース繊維を用いることで創り出された「透明な紙」は、コンピュータのディスプレイなどに応用が期待される。さらに、電気を通す紙や、半導体との組み合わせによってデジタル情報を記録できる紙さえ登場しようとしており、これらも普及すれば我々の生活のあり方を大きく変えていくことだろう。

透明な紙(大阪大学産業科学研究所・能木雅也准教授 提供)


 2000年の伝統を持つ紙は、テクノロジーの時代においてその王座を譲るどころか、なおその活躍の場を広げ続けている。人類はその歴史の中でさまざまな素材を生み出してきたが、紙こそはその最高傑作に挙げられてしかるべきだろう。

つづく