川のすべてを1時間半で

 三浦半島に面白い森があるらしいので、いくことにした。
 小網代(こあじろ)の森というのである。
 私はこの森を『「奇跡の自然」の守りかた』という本を読んで知った。
 タイトルからもわかるように、この本には小網代の魅力と同時に、自然保護に取り組む際の画期的な手法が書かれており、とても興味深かった。ひとことで言うと、開発に賛成しながら自然を守るという逆転の発想だが、その中身については本連載の趣旨とは関係ないのでここではとくに触れない。
 厳密にいえばその手法によって森が守られたのだから関係ないことはないけれども、その話は大変ドラマチックで面白すぎるため、ここで紹介すると読者は相対的にこの後の私の話が面白くなく感じられ、こんなものを読むよりその本を読もうと考える危険性があるので割愛する。
 そういうわけで自然保護の手法については横に置き、ではこの森自体、何が魅力かというと、東京のすぐそばにありながら、川の源流から海に流れこむまでのすべての自然が開発されずに残っている点である。
 ふつうは川といえば、たとえ辺鄙な地方であっても、途中にダムができたり、町や村ができたり、河口近くは車道が横切ったりしていて、まったく開発の手が及んでいない川などめったにない。
 小網代の森には、短い川ではあるが、浦の川が流れており、そこに森と湿原、そして干潟が広がっていて、流域全体が保護されている。文字通り都会に残された奇跡の自然なのだ。
 ありがたいことに、森の中には木道が設けられ、1時間半もあれば流域の生態系を全部見て回れるらしい。
 流域全部を1時間半!
 アマゾン川だったら一生かかっても流域全部は見られないだろう。それに比べて、なんてお手軽なんだ。お手軽すぎるのではないか。
 いったいどんな森なのか。
 そして川の最初から最後まで全部見るのはどんな感じか。
 散歩にいってたしかめてこようと思う。

 ある週末、夏まっただなかの猛烈な太陽のもと、私は京急電車に乗って終点の三崎口へ向かった。三崎口は三浦半島の最奥にある駅だ。
 横須賀に親戚がいるので、京急はこれまでにも何度か乗ったことがある。今回あらためて車窓を眺めてみると、三浦半島の地形は非常に見応えがあることが判明した。
 山あり谷あり、トンネルあり崖ありで、それがころころと入れ替わる。一瞬目を離したら、まるで風景が変わってたりして、そこらじゅう高低差の宝庫だ。これは相当なスペクタクルではないか。
 だがいちいち目移りしていては話が進まない。途中下車してうろつきたい気持ちを抑え、満を持して三崎口に到着した。ここでシラカワ、スガノ両氏と待ち合わせだ。
 小網代の森は、日中は自由に出入りできるが、今回は「アカテガニ放仔(ほうし)観察会」に申し込んである。夏の間、アカテガニが水辺で産卵(正確には産卵ではなく放仔というらしい)するところを見学するのだ。これは日没の時間帯に行なわれるので、観察会に参加しなければ見ることができない。
 なんでもアカテガニは陸上に生息する種類だそうで、それが夏の大潮のときに水辺にやってきて、お腹に抱えたゾエアと呼ばれる幼生を大量に海へ放つのだそうだ。これが放仔である。
 似たような光景はテレビのネイチャー番組で見た気がするけれど、実物は見たことがなかった。そんな本格的なことは、熱帯あたりのどこか知らん場所でやってるのだと思っていた。それがこんな東京近郊で見られるとは。知らん場所どころか、親戚ん家のそばである。親戚の家のそばでそんなグレートネイチャーなことが行われていたとは、世の中わからないものであった。
 そもそも森にカニがいるという時点で、尋常じゃない感じがする。
 森に棲んで海まで歩くカニ。
 沢ガニなら山で何度も見たことがあるけれど、あれが海まで出かけるとは考えにくい。沢ガニはずいぶん山奥にもいるから、交通機関でも利用しないと海まで行くのは無理だ。
 一方、アカテガニは海なしでは生きられない。ならば海のそばで暮らせばいいものを、わざわざ森の奥で暮らす不思議。
 この森とカニという組み合わせも、今回の見どころである。

奇跡の森に入る

 三崎口駅の改札でシラカワ、スガノ両氏と合流すると、待ち構えていたボランティアガイドの人たちに、他の参加者とともにグループ分けされ、バスで小網代の森まで案内された。
 参加者は総勢100名近くもおり、すっかり人気のイベントになっているようだ。
 バスを降りたところは、なんでもない道路で、道沿いには家が建ち並び、この近くにそんな広大な森が隠れているとは想像もできなかった。地図によれば森はすぐそこにあるようなのだが、まったくその気配が感じられない。
 ところが信号を渡り、家と家の間をいくと、道は狭い下り坂となって、突然森が現れた。
 バス道路は三浦半島の尾根部分にあり、森はそこから海へ向かう斜面に展開していたのだ。
 このことは、小網代の森には開発の手が入っていないと言っても、開発が森の縁ぎりぎりまで及んでいることを示している。森が、道路や住宅で縁どられている形だ。

小網代の森全体図


 そして、われわれが今立っているのは森の最奥、源流部ということになる。
 森の入口で参加者にイベントの趣旨と注意事項が言いわたされた。
 マムシやスズメバチ、そして熱中症に注意するようにとのことだ。
 私は話を聞きながら、山の端に住宅が建っているのを見あげ、奇跡の森の源流の上に家、というへんな風景を噛みしめた。
 もしどこからか探検隊がやってきて、源流を目指してあがってきたら、森の最奥であの家とバス道路を発見することになる。神秘の森の奥深く、大地の神か森の王にでも出会うかと思ったら、あるのは住宅。無人島に上陸したらコンビニがあった、みたいな片付かない気持ちになるのではないか。
 そもそもあそこに住んでいる人は、自分の家が奇跡の自然の源流の奥というグレートアドベンチャーな場所に建っていることを理解しているのだろうか。家の表側はとくに緊張感もないバス道路だから、わが家の重要性に気づいていない可能性がある。今すぐにでも訪ねていって、ことの重大さを告げてやりたい気分だ。
「源流の一番高いところは標高約80メートルあります」
 ガイドの人が教えてくれた。配水塔が建っているそうだ。
 ぎりぎりまで住宅や配水塔
 この森の内部がまったく開発されずに残ったのは、まさに奇跡というほかないのだった。

 われわれが森に入ったのは、引橋入口と呼ばれる場所で、標高49・7メートルと表示されていた。ここから海まで木道沿いに下る。
 のっけから130段の階段があり、みるみる森の懐に入っていく。木道の両側には、コナラやクヌギなどの木が大きく育って、つる植物がからみ、地表もすべて緑で覆われていた。住宅とバス道路がすぐ上にあるとは思えない深い森だ。
「いきなりジャングルみたいですね」
 鬱蒼とは、まさにこのことだった。

太い蔓(つる)が木の幹にからまりながら、一緒に伸びている。


 小網代の森は総面積約70ヘクタール。東京ドーム15個分の広さだそうである。大きく3つの谷があり、われわれが歩いているのは中でも最大の中央の谷。といっても谷の幅は広くなく、両側の大木の枝葉が空を覆い尽くしている。
 川のはじまりを見てみたかったが、どこに川が流れているのか草に隠れて見えなかった。
 海から源流まで、と聞いて誰もが思い浮かべるのは、その最初の一滴を見てみたいということではないだろうか。だが、実際に森に入ってそれを見つけるのは至難の業だ。
 以前趣味で沢登りをしていた頃、沢を登るたびに最初の一滴を見つけようとしたが、たいていうまく見つけられなかった。はじまりに湧き水や池でもあればわかりやすいけれども、ほとんどの場合、どこからともなく滲み出た水があちこちから漠然と集まってきて川になるのであって、ここが最初の一滴と特定するのは困難なのである。
 そんなわけで小網代の森を流れる浦の川のはじまりも、うやむやであった。
 ガイドの人がときどき立ち止まっては、木や草や虫について説明してくれる。白い花の咲くクサギや、カラスザンショウといった木々にアゲハが集まること、アゲハはモンキアゲハ、カラスアゲハ、ジャコウアゲハ、アオスジアゲハなどがやってくること。私はまったく昆虫に詳しくないので、それが珍しい種類なのか普通の種類なのかはわからないが、たしかにそこらじゅうにアゲハが飛んでいた。


 私が面白く見たのは、やはりカニである。途中の土壁にいくつもの穴が開いていて、アカテガニの巣だということだった。

アカテガニの巣


 この日は夕刻の放仔にむけて、ほとんどのカニが出払っていた。
 ここから海まで1キロぐらいあるというから、ここに住むのが本当に適切なのか疑問を呈せざるを得ない。通勤時間長すぎるだろ。
 あと不思議なのは、放仔するのはメスなのに、なぜオスまで出払っているのかという点である。
 メスをエスコートしているのだろうか。
「オスはね、メスが放仔のあと海からあがってくるのを、そばで待ち構えているんです。身軽になったメスをつかまえて、すぐまた交尾するんですね」
 なんとまあ。
 いかにもオスの考えそうなことであった。

出遅れた?カニもちらほら。

 
 さらに歩いていくと、源流から海までの全流域が見られるという言葉通り、途中、森の植生がだんだんと変化していくさまが、はっきりわかった。
 源流部では巨木に覆われ鬱蒼としていた森に、徐々に沢が姿を現し、その縁にシダが繁っていたかと思うと、別の沢が合流。そのあたりから幹が細めのハンノキが目立つようになる。さらに新たな沢が合流して谷が広くなると、中央に光が入って湿地となり、最後は海に注いで干潟となる。
 普通の川なら何日もかけなければ見られない変化が、ここでは1時間半。この風景のめくるめく移り変わりのせいで、まるで何時間も歩いたような、長い旅をしたような気持ちになったのである。

アカテガニ人生劇場

 気がつくと海だった。
 湾の奥なので水平線は見えないが、入江に停泊するたくさんのヨットが見える。それがなければ沼か湖と思ったかもしれない。
 ここで『「奇跡の自然」の守りかた』の著者のひとり柳瀬博一さんがおられたので挨拶した。柳瀬さんはアカテガニの入った小さな水槽を並べ、参加者の質問に答えておられた。
 柳瀬さんの話によれば、この河口付近の干潟には60種類のカニがいるそうだ。
 カニ60種類!
 カニがそんなにバラエティ豊かな生きものだったとは。日本中合わせてもせいぜい37種類ぐらいかと思っていた。
 アカテガニは日本全国どこにでもいる珍しくないカニだが、干潟の減少により、数は昔よりだいぶ減っているらしい。
 名前の通り、成長すると赤く色づくのが特徴で、背中に半円を描く線があり、そのせいで甲羅全体が笑った顔のように見える。本人はとくに笑ってないとは思うが、おかげで一見すると話がわかる奴のように感じられる。

かわいい。


 シラカワ氏とスガノ氏は、かつて種子島でカニの大移動を見たことがあるそうだ。
「レンタカーで走っていたら道路にいっぱいカニが歩いていて、ブチブチ潰してしまいました」
 シラカワ氏がカジュアルに言った。断末魔のカニの叫びが聞こえてくるようである。
 以前テレビで見たときも、カニの大群が海に押し寄せてゲルマン民族大移動みたいになっていたけれども、今われわれのまわりにそんな気配は微塵も感じられない。1キロも上流の穴からのこのこ歩いてくるとすれば、もう海べりに来ていないとスケジュールに間に合わないと思うのだが、カニはいったい何をしているのか。
 実はこの日は中潮で、本来は大潮のほうがカニはたくさんやってくるのだという。残念ながら、この夏はうまいぐあいに大潮の週末がなく、中潮のこの日に観察会が設定されたらしい。カニも中潮で気が乗らないのかもしれない。
 今日の日没は18時40分。日が暮れて暗くならないと警戒して放仔しないので、柳瀬さんの読みでは、だいたい19時5分頃がピークになるとのこと。
 本当にカニはやってくるだろうか。
 日没の少し前から、参加者は長靴にはきかえ、海に入って待つことになった。カニは陸から来るので、そこにわれわれが立っていては警戒して海に近づけない。よって、人間は海の側で静かに待たなければならない。しかも動くとカニが逃げてしまうので、動かずに待て、とのことだった。
 長靴を履いて干潟に入り、波打ち際から1メートルぐらいのところで浜を向いて静止する。
「あ、いますいます」
 シラカワ氏が小さく指さすほうを見ると、幅にして1メートルあるかどうかの砂浜のむこう、大きな岩とブッシュの間に、小さなカニが抜き足差し足で歩いていた。われわれより先にきて水際の草むらで待機していたらしい。
 その数何千匹といいたいところだが、3、4匹である。茶色のような灰色のような地味なカニだ。大きさも小さく、まだ大人になりきっていない。それでも海を目指してくるということは、小さくてもお腹にはゾエアを抱えているということである。
 カニはなかなか水際にやってこなかった。慎重に慎重に、少し歩いては止まり、また少し歩いては止まり、もうすぐだと思ったら急に戻ったりした。
 数は増えてきたと思っても10匹ぐらい。大半は草むらの陰からこっちの様子をうかがっている。もっと大群が押し寄せるのを期待していたが、やはり中潮では気乗りしないのか。

おっかなびっくりやってくるアカテガニのメスたち。


 やがてどんどん空は暗くなり、ライトで照らさないとカニが見えなくなってきた。それでも海に入るまではライトで照らさないよう指示されている。驚いて逃げてしまうからだ。
 アカテガニはだいたい1回のお産で4~5万匹のゾエアを放つそうだ。

ゾエア


 1匹のメスはひと夏に平均3回放仔するので、1匹あたり約12~15万のゾエアが放たれることになる。これをだいたい3年くりかえすとメスとしての役割は終わる。ということは、1匹のカニが放つ子どもは36~45万匹という計算になるが、このうち生き残ってカニになるのは、たったの2匹。
 45万分の2だ。
 なんという過酷な生存競争だろうか。逆に言えば、今見えるカニたちは、みなそのロト6並みの確率を生き抜いた個体なのだ。
 面白いのは最終的に子供の数は人間とほぼ同じという点だ。動物はどんなふうに子どもを産んでも、生き残る数はだいたい同じなのかもしれない。
 やがて勇気あるカニが水辺に到達し、おお、ついに放仔するか! と思ったらしなかった。また戻ってじっと何か考えている。陣痛でも待っているのだろうか。カニにも陣痛はあるのか。
 と、別の個体がやってきて水に入り、おお、いよいよだ! と思ったらまた戻っていった。
 紛らわしいわ、やるやる詐欺か!
 そう思い始めた頃、1匹の小さな個体がテテテテと海に入ったかと思うと、ハサミをふりあげて小刻みに体を震わせ、小さなツブツブを大量に海に解き放った。
 おおおお!
 これが放仔か。

カニの前の水に浮いているように見えるツブツブがゾエア(画像をクリックすると拡大されます)


 スガノ氏によると、私には見えなかったが、海の中には小魚が待ち構えていて、放仔されたゾエアを片っ端から飲み込んでいたという。あらら。
 ふざけんな魚、とカニも思ったことだろう。そういうときこそオスたちが身を挺して魚を撃退するべきではないかと思うのだが、オスはといえば、安全な草むらのなかで、放仔を終えたメスが戻ってくるのをただじっと待っているのだった。情けないぞオス。
 1匹が放仔すると、勇気をもらったのか、他のカニも果敢に海に入るようになった。そしてハサミをふりあげて、ぶるぶるぶると小刻みに体を震わせる。
 ふりあげたハサミで、寄ってくる魚の頭をどついたらどうかと思う。じゃなかったらオスをどついたらどうか。
 海に放たれたゾエアは、運が良ければ生き延びてメガロパに成長し、それがだんだんカニとなって、だいたい1ヶ月ぐらいすると帰ってくるそうだ。そして陸にあがると、誰も頼んでいないのに、はるばる森の奥へと分け入るのだ。

メガロパ


「大潮のときはもっといるんですか?」
 近くにいたガイドの人に尋ねてみた。
「多いときはもう草の下が真っ赤になるぐらいやってきます」
 おお、そういうときに見てみたいぞ。
 それだけでなく、あの森のなかから歩いてくるところも見てみたい。こんな小さな姿で1キロも歩くのは相当な冒険だと思うからだ。私の散歩よりそっちの散歩のほうがスペクタクルだろう。
 最終的に10匹ぐらいの放仔を見物して陸にあがった。
 なかなか見られないものが見られて満足だ。こんな本格的な森と本格的なカニの人生が手軽に見られるとは、東京近郊も捨てたもんじゃないのであった。
 ふりかえるとヨットハーバーにおしゃれな灯がともっていた。

※小網代の自然観察に関しては、NPO法人小網代野外活動調整会議のホームページをご参照ください。