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ロバート・L・スティーヴンソン『宝島』(新潮文庫)

悪役ジョン・シルヴァーの魅力
 
 小学2年生の夏休みだったと思います。早起きして、毎朝本を読もうと思い立ちました。町内のラジオ体操に出かける前と朝ごはんの後と、午前中の涼しい時間は、この新しい楽しみに没頭しようと決めたのです。
 
 それまで、いわゆる本好きの子ではありませんでした。午後は、もっぱら外で、あたりが真っ暗になるまで遊びまわっていましたから、子どもなりに何か一日のメリハリをつけたかったのかもしれません。心身ともに「育つ」ことが最大の“仕事”だったあの時期の、ごく自然な欲求として、無性に本が読みたくなったのです。
 
 主人公になりきって、胸をときめかせて読んだのは、もっぱら冒険、探検小説の類でした。定番のジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』、ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』、ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』などを立て続けに読んだと思います。
 
 ゾクゾクするようなスリルとサスペンスで、とびきり魅了されたのが『宝島』です。こわいこわいと思いながら、それでも先を急いで読みたくなり、読み終えてしばらくすると、またぞろ読みたくなってくる。そうやって、何度も何度も読み返しました。
 
 ところが、それから半世紀以上も経ってみると、あらすじさえはっきり辿れないことに驚きます。後から読んだ他の冒険小説や、アニメや漫画、映画のターザン、あげくは「ひょっこりひょうたん島」(若き日の井上ひさしさんが原作を書いていたNHKの傑作人形劇)の海賊4人組の宝探しなどがごちゃまぜになっているのです。そこで新訳が出たのをきっかけに、改めて本書のページを開きました。
 
 こんなに夢中になるものとは、まるで予想もしませんでした。現代ふうのスピーディな展開、ハードボイルド調の語り口に馴れてしまったわれわれには、きっと冗漫でまどろっこしい話ではないかと心配していたのです。ところが、実に面白い。無駄のない運びと、多彩なキャラクター、何より臨場感あふれる場面の連続に魅了されます。さすがに、こわいという感覚は年の功(?)で減りましたが、逆に言えば、“悪い海賊”というひと色に塗りこめられていた群像がよりリアルな表情で迫ってきたり、思わぬ発見がいろいろありました。
 
 ディテールの記憶は失っても、全体の印象や、読みながら受ける躍動感に大きな違いはなかったようです。船に乗り込んだジム少年がリンゴ樽の中に入り、海賊たちの悪だくみを一部始終聞いてしまう場面など、自分がリンゴ樽に入っているような気持で読んでいた50数年前を思い出しました。
 
 スティーヴンソンは、1850年スコットランド生まれの英国作家。幼少期からさまざまな病気に苦しみました。大学で土木工学、法学を学んで、弁護士の道に進みかけますが、むしろ文筆で身を立てることに関心がありました。28歳の時に渡ったフランスで、ファニー・オズボーンという米国人女性に恋し、彼女を追ってアメリカに渡ります。子どももいる人妻でしたが、先方の離婚が成立。念願の結婚に漕ぎつけます。
 
 そして、彼女の連れ子であるロイド・オズボーンらに語って聞かせた話から、『宝島』の構想が生まれます(*)。少年雑誌に連載した後、1883年に本が出ると一躍人気作家になりました。二重人格をテーマにした『ジキル博士とハイド氏』はその3年後の作品です。
 
 この間も肺疾患には悩まされ続け、あちこちで転地療養を試みます。やがて南太平洋への旅に出て、最期はサモアで迎えます。1894年、まだ44歳の若さでした。
 
 さて、『宝島』ですが、主人公のジム少年の両親が営む「ベンボウ提督亭」に、ある日、頬に刀傷のある日焼けした老水夫が宿を求めてやってくるところから始まります。彼が遺した地図を手に、地元の名士トリローニさん、医者のリヴジーさんらとともに、ジム少年が約70万ポンドの金貨が眠る島へ、それを探しに出かけるというストーリーです。
 
「海賊たちの埋めた財宝/そういう古い冒険譚を/まさしく昔のように語った本」と前口上に記されているように、モデルとおぼしき海賊たちが活躍したのは、17~18世紀の話です。
 
<いまでも昨日のことのように憶(おぼ)えているが、その男は船員用の私物箱を手押し車で後ろから運ばせて、宿屋の入口へのっそりとやってきた。上背のあるがっしりとした、たくましい赤銅色(しゃくどういろ)の男で、汚れた青い上着の背中にタールでかためた弁髪を垂らし、傷だらけのごつい手と、割れた黒い爪をし、片頬に生白い刀傷が走っていた。男は入江を見まわし、そうしながらひとりで口笛を吹いていたが、それからやおら、その後しきりに歌うようになるあの古い船乗り歌をうたいだした。
 
「十と五人が 死人の箱に――
よお、ほの、ほ でラム1本!」>
 
 宝探しを先導する大地主のトリローニさんはお人好し、リヴジー先生は冷静沈着なドクターで、職業倫理を尊ぶ人。主人公のジム・ホーキンズは勇敢で利発な少年ですが、しばしば咄嗟のひらめきで、大胆過ぎる、向こう見ずな行動に走ります。結果として、それが彼らの命を救うことになるにせよ――。
 
 そして、宝島へ向かう船に乗り込んだスモレット船長と、料理番に雇われた酒場の主人のジョン・シルヴァー。気難しくて、最初は誰からも煙たがられていた船長に対し、快活で親分肌の料理番は、船主のトリローニさんからも全幅の信頼を勝ち得ます。「シルヴァーは資産家だ。この眼で見たからわかるが、銀行に口座を持ち、借り越しになったことは一度もない。店のほうは細君に任せてゆく」と彼の優れた現実感覚を評価しています。
 
 実際、「のっぽのジョン」「焼肉番(バーベキュー)」とも呼ばれる一本脚のジョン・シルヴァーは、「海賊がどんなものかはわかっているつもりでいた」ジムの目にも、「まるで違う人種」だと見えました。鋭い洞察力を備えたリヴジー先生もコロッと騙されていたのです。それくらい食わせ者で、狡猾で、ぬかりない知恵を働かせる曲者でした。
 
 ところが、いかにしたたかで、豪胆なジョン・シルヴァーでも、欲に目が眩んだ水夫たち――“冒険紳士”と呼ばれる海の荒くれ者たち――を相手にすると、時として手を焼き、窮地に追い込まれます。島に上陸してからは海賊の頭領として主人公たちと敵対するジョン・シルヴァーですが、形勢が不利だと見れば、相手の出方を伺いながら、恭順の意を示したり、反撃の機会を狙ったり、実に人間臭い存在として描かれます。根は非情な冷血漢でありながら、一方では名誉を重んじたり、筋を通そうとしてみたり、正体がつかみにくい人物です。以前読んだ時はきっと単純きわまりない悪役としか見えなかったこの男が、いったい何を考えているのだろう、と想像するだけでも、物語の面白さが膨らみます。
 
<「冒険紳士ってのがどんなもんかというとな。荒っぽい暮らしをして、縛り首になる危険を冒すが、盛大に飲み食いをして、ひと航海終えりゃあ、ポケットには数百ファージングじゃなくて、なんと数百ポンドもはいってる。だからたいていのやつらは、ラムとだだら遊びで散財しちまって、シャツ一枚でまたぞろ海に出る。だけど、おれはそうじゃねえ。おれはその金をすっかりためておく。こっちに少し、あっちに少しと、どこにも預けすぎねえようにするんだ。怪しまれるといけねえからな。おれはもう五十だ、なあ。この航海から帰ったら、本物の紳士になる」>
 
 リンゴ樽の中でジム少年が盗み聞きしているとも知らず、若い水夫に向かってジョン・シルヴァーが自分語りを続けます。銀行に預けていた現金は、いま頃は女房が全部引き出しているはずだ。ブリストルの港で開いていた「遠眼鏡亭」という酒場も、彼女がすっかり売却して、「おれと落ち合うためにブリストルを離れてる」と語ります。航海を終えれば、どうせ素性が露見することを見通して、早めに手を打つ周到さ!
 
 彼に従う海賊たちは、ラム酒を飲んでは内輪揉めし、無思慮で、がさついた男たちです。「ここまで明日のことに無頓着な人間たちにはお眼にかかったことがなかった。連中の生き方は、その日暮らしという言葉でしか言い表しようがない。食べ物はむだにするし、歩哨は眠りこむし、小競り合いならそれなりに大胆になって決着をつけられても、長期の軍事行動のようなものにはまったく向いていない」とジムに呆れられる輩です。
 


 ジョン・シルヴァーの細君は、「黒人の女」としか描かれていません。アフリカの遠征先で出会ったのでしょうか。それで思い出したのが、唐十郎の戯曲「ジョン・シルバー」です。「宝島」の大活劇を最後に、すっかり表舞台から姿を消した一本脚の海賊は、日本人の女房・小春とささやかな所帯を構え、下町の風呂屋の番台に座っています。それがまた、いつの間にか行方をくらまし、その幻影を女房が追い求める――そういう不思議な劇でした。
 
「宝島」の物語では、最後に金貨の袋をひとつくすねて、小舟で逃亡していくジョン・シルヴァー。
 
<シルヴァーの消息は、あれ以降なにも聞かない。あの恐ろしい一本脚の船乗りは、ついに私の暮らしから完全に消えたのである。だがおそらく黒人の妻と巡りあい、いまでもその女とフリント船長(シルヴァーの飼っている鸚鵡。宝島に財宝を隠した船長の名前を付けている。引用者註)とともに安楽に暮らしていることだろう。そうであってほしいものだと思う。あの世で彼が安楽に暮らせる見込みはあまりないのだから>
 
 話はこのようにして終わります。ところで、著者のスティーヴンソンをこよなく愛した日本の作家に、「山月記」「名人伝」「李陵」の作品で知られる中島敦(1909~42)がいます。「光と風と夢」という彼の最後の作品がありますが、これはサモアに移住した晩年のスティーヴンソンを日記体で描いた小説です。中島敦自身、1941年6月にパラオ南洋庁に国語教科書編纂係として赴任したこともあり、サモアで没したスティーヴンソンには親近感を抱いたとしても不思議ではありません。
 
 今回、『宝島』を再読すると、ともに南太平洋に居住したという縁にもまして、中島敦のスティーヴンソンに対する畏敬の念が深かったことを確信しました。スティーヴンソンの文章の品格や物語性、作家としての資質といったものに強い共感と敬愛があったような気がします。中島敦もまた、33歳で早逝したのが惜しまれます。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
 
*「アメリカの紳士 S・L・O(サミュエル・ロイド・オズボーン)に」という献辞が冒頭に掲げられています。
 
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