ドイツ滞在の最終日になってようやく抜けるような青空に恵まれた。
 3月14日、この日の午前中はベルリン独日協会の厚意により、市内のガイドツアーが実現した。これまでずっと音楽漬けだった相馬の子どもたちと大人の随行者らは緊張から解放され、ブランデンブルク門やベルリンの壁跡などの名所巡りを楽しんだようだ。

 お昼にニコライ教会近くのレストランで一行に合流し、ランチをご一緒させてもらうことになった。私は大人の席へ。たまたま目の前に座ったエル・システマジャパン音楽監督の浅岡洋平も、晴れやかな表情をしていた。

相馬の子どもを指導する浅岡洋平さん。 ©FESJ/2016/Mariko Tagashira


 浅岡に再び話す機会があれば、聞いてみたいことがあった。その前日の昼、ライプツィヒでヴァイオリンの半谷隆行くんが、浅岡の指導で印象に残った言葉として挙げていた「技術がどれだけ向上しても、音に向かっていくときの意志が伴わなければ機械的な演奏になってしまう。逆にミスがあっても一生懸命やれば聴く人の感動につながる」。浅岡がどういう意図でこの言葉を子どもたちに伝えたのか、直接聞いてみたかったのだ。

 半谷くんのコメントを伝えると、浅岡は深く頷いてからこんなことを話し始めた。「どうしてベートーヴェンの《運命》を選んだのか、高校生向けに一度話したことがありました。いわゆる態度的価値の話です」

 「態度的価値?」

 「ええ。それに創造的価値と体験的価値を加えた3つが人間の作る価値だと、アウシュヴィッツを生き延びたユダヤ人の精神科医ヴィクトール・フランクルは定義付けました」

 フランクルなら私も知っている。アウシュヴィッツ強制収容所での体験を描いた『夜と霧』は学生時代に読んで強い衝撃を受けた。

 「絶望の中にあって明日死ぬかもしれない。でも自分ではどうすることもできない。その中で作ることができるのが態度的価値です。じゃあ、ベートーヴェンは何のモデルなのか。なぜ音楽作品を哲学的な位置づけで残したのか、高校生に向けて話しました。東日本大震災で津波に遭ったあるおじいさんが、救出されたとき『また再建しましょう』と笑顔で言ったのが僕にはすごく印象的だった。『あの話を覚えている?』と話しかけたんです。『態度的価値というのはそういうことなんだよ。絶望の中でその人が見せる姿勢によって周りの人はいろいろなことを与えられる。ベートーヴェンという歴史の中でおそらく一番音楽がわかる音楽家が音を奪われた。その中で彼はどう生きたか。われわれのお手本なんだよ』と。僕らも震災でひどい思いをして、そこからどう生きるか。たとえ実際はそれほど過酷な目に遭っていなくても、どうしても人は君たちのことを震災からの復興という宿命にあるという目で見るから。そのときに技術を一生懸命磨いて上手に弾くことも大事だけど、それ以前に音楽にどう向かうか、あるいは自分は何のために音楽をしているのか。それが演奏に現れる。僕は表現芸術の80%は態度的価値だと思っています。技術ではない。もちろん技術を得るためにがんばるので、それは人の胸を打つのだけれども、特に《運命》を弾くときにはそこを一番意識して、ベートーヴェン先生に学びましょうと話した。半谷くんはそれを聞いて、いろいろな思いが入ったのではないでしょうか。
 もちろん家や家族を失った子どももいますし、(相馬に続いてエル・システマジャパンの活動が始まった)大槌は被災地の中でも特に厳しい環境に置かれています。各々の生徒が置かれた状況もさまざまですが、コンサートでは皆等しく『被災者全体の代表』として見られるので、『もうしょうがない。君たちは選ばれたんだ。そのためにみんなが支援してくれているわけだし、それは自覚しなさい』と中学生以上の子には話をしています。なぜ今回ドイツに来られたのかという話もした。だから子どもなりに使命感というものを意識していると思います。真剣に弾いているし、普段はおっとりした子がものすごく練習していたのもその意識があったから」

 この話を聞いて、東日本大震災直後のことを思い出した。当時、ドイツのメディアは福島の原発事故を過度にセンセーショナルに報道する傾向があった。もちろん、人類規模で語られるべき、そして現在も進行中の悲劇的な事故であることにまったく変わりはないが、その報道から抜け落ちてしまった部分があったのもまた事実だった。
 あれから5年経っても、福島県相馬市の子どもたちがドイツで演奏するとなると、彼らが「原発事故の悲劇の象徴」といういくらか偏った見方がされてしまうのではないか。ましてやIPPNW(核戦争防止国際医師会議)主催のコンサートである。相馬からやって来た人たちと現地の聴衆やジャーナリストとの間に大きな「温度差」はなかっただろうか。私は少し心配していた部分があった。

 だが、自分たちがドイツで演奏することの意味をしっかり理解した指導者がいて、音楽への姿勢を「態度的価値」で示そうとした子どもたちがいた。浅岡の話を聞きながら、私は深い感動と安堵の気持ちを覚えていた。

ドイツ滞在の最終日、かつてのベルリンの壁跡が残るシュプレー川のほとりで。 ©FESJ/2016/Mariko Tagashira


 浅岡の話を横で聞いていたエル・システマジャパン代表の菊川穣が言う。
 「ドイツに来るときに子どもたちに抱負を書かせたら、『しっかり自己管理をしたい』と書いた子がいました。やっぱり子どもは本番前に緊張したり、熱を出したりするもの。でも今回それが全然なかった。自分で管理しないといけないという意識をみんなが持っていて、それを紙に書いてきたのはすごいなと」

 「ドイツに来て、子どもたちが変わったなと感じたことは?」と浅岡に聞くと、「たくさんあり過ぎて……」と言いながらも、こんな話をしてくれた。

 「今までは楽しみと週末弦楽器教室をつなぐ1つの課題としてオーケストラがあったという感じでしたが、この旅行を通して音楽が自分たちと共にあるものになったという感覚がでていると思う。これなしでは自分たちではないという、アイデンティティとしても組み込まれている。だから彼らの自覚もより強くなっているし、3つのコンサートで得た感慨というのは一生忘れないと思います。僕も子どものときにスイスのツアーを経験して、そのとき演奏した曲は全部暗譜していますから。それぐらいの財産になることが最初から予想されていたので、それにふさわしい曲は譲れなかった。《運命》はとても有名な曲なのでリスクは高いし、間違えたら聴く人にすぐわかってしまう。だけど、一生学べる曲だし、ベートーヴェンの境地にまで到達できなくても、常に指し示す『生きる指針』として彼らの体の中に入ったのではないでしょうか。この曲を演奏すると、ベートーヴェンの精神、生きる力、インテリジェンス、エモーションも含めて全部コンサートの中で擬似的に体験していることになる。それはかけがえのないものだと思う。子どもたちはバスの中でこの曲をパートごとに歌って、合唱になったりするんです。完全に彼らの血肉になったなと見ていて感じますね。
 正直言うと、たとえうまく弾けなくてお客さんが満足しなかったとしても、そこにチャレンジする意味や子どもたち自身の成長の方が僕には上の価値だった。でも、弾くからにはちゃんとやりたいという自意識は小さい子でもある。予想以上に弾けるようになったのは作品の力だと思います。ベートーヴェン先生が『共演』してくれた。そのことを子どもたちは感じ取ったのではないでしょうか」

 

 「ドイツへの恩返しの旅」となった相馬子どもオーケストラ初の海外公演は、こうして幕を閉じた。8歳から18歳までの多感な子どもたちがドイツの地で得たもの、感じたものの大きさはどれほどのものだっただろう。帰りのバスの中で菊川は子どもたちにこう話したそうだ。「皆さんは相馬のオーケストラとコーラスの代表として選ばれてきた。今回の経験は相馬にいる仲間と共有してこそ意味がある。そして、これまで支えてくれた保護者や先生に感謝の気持ちを伝えてほしい」と。37人の子どもたちには、家に帰ってから家族や友達にたくさんの話を伝えてほしいなと思う。

 これからまた相馬に根ざした活動が再開する。地元の人に喜んでもらうというのがエル・システマジャパンの活動の原点の一つだ。とはいえ、今後に向けて課題がないわけではない。例えば、子どもたちがこれからも無料で参加できるための活動予算をどのように確保していくか。相馬副市長の佐藤憲男と話をしたときに、こんな話題が出たのを思い出す。

 「経費をいかに捻出していくかが大きな課題。いまは文化庁の支援がありますが、それがなくなったときにどうするか。相馬市としては将来も財政的な支援を担保していかなければと思っています。やっぱり、参加している子どもたちが生き生きとしているでしょ、それが一番ですよ。そういう機会をわれわれはこれからも作っていかなければ。無駄にしないように」

ブランデンブルク門の前で記念撮影。 ©FESJ/2016/Mariko Tagashira


 ベルリンの空港へのバスに乗る直前、小学4年生のチェロの吉田里紗さんに少し話を聞いた。里紗さんはチェロを始めてまだ3年足らずだが、音楽を愛してやまない様子が弾く姿から伝わってくる。長年ドイツの歌劇場でプロの歌手として活躍した知人は、「あの子は、本当に自然に音楽に入り込んでいる」と感心していた。「どうしてチェロを選んだの?」と聞いてみる。

 「ヴィオラの友達と一緒に合わせられるから。低い音が心に響くから弾いていて楽しい。ベートーヴェンが特に好き。フィルハーモニーでは隣のドイツの人がすごくやさしくしてくれた。すごく音がきれいで、わからないところがあれば、ジェスチャーとかでがんばって教えてくれた。普段も、浅岡先生や須藤先生がわからないところを教えてくれる」

 あのとき屈託なく話していた里紗さんを思い浮かべると、不思議な感慨にとらわれる。東日本大震災の後、エル・システマジャパンが生まれた。それをきっかけに楽器を始めた子どもたちがいて、200年も300年も前に書かれたベートーヴェンやバッハなどの大作曲家の内面を音楽で追体験し、生きるための姿勢さえも学んでいるのだ……。

 その子どもたちが、今度は誰かの力になりたいと考えるのは自然な流れなのかもしれない。ドイツの演奏旅行から約2ヶ月後、菊川からメールが届いた。その中には相馬の子どもたちが、4月の熊本地震の後、いつか熊本の子どもたちと演奏するのだと言って被災地のために募金活動をしていることが書かれていた。実は、相馬で週末弦楽器教室が始まってまだ間もないころ、寄付金を届けてくれたのが熊本のユースシンフォニーオーケストラだったという。

 「ドイツだけでなく、恩返しは広がっていくのですね。ベルリン・フィルとの《運命》は素晴らしい機会でしたが、私としては、一人一人の子どもたちがこうして成長して、自分で行動できるようになっていることが何よりです。別に、それ以上の何かを求めているわけではないので」

 そうそう、ドイツからも贈り物が。ペーター・ハウバーはドイツ公演のときに貸与した3台のヴィオラと2台の分数ヴァイオリンを相馬子どもオーケストラにプレゼントすることに決めたそうだ。次に子どもたちに会うとき、どんな音色を聴かせてくれることだろう。(おわり)