空海が理論化した「即身成仏」のアイデアは、『古事記』に内在するアニミズム的な「ありのまま」肯定の思想的傾向と親和的である。
 つまり、現にいま生きている人間が「そのまま」成仏できるのだという主張は、成仏する方法の工夫によっては、「ありのまま」で仏である、という思想にまで発展する余地がある。
 それはいわば、密教の持つ超越的な形而上学理論が、地縁血縁共同体における現状肯定を墨守する思想・心情的基盤に溶解して、「ありのまま」が「真理」として、超越的理念に変貌して立ち上がるということであり、このいわば「ありのまま」主義の形而上学こそ、「天台本覚思想」である。

「本覚」と空海

 「本覚」とは、本来の悟りという意味であり、我々衆生は、本来すでに悟っているのだと考えるのだ。
 最初にこの概念を論じたのは『大乗起信論』という論書で、著者はインド僧ということになっているが、古くから中国での撰述が疑われている。
 本来悟っているという意味なら、これは衆生には悟りを開いた如来が内在するとも言えるし(如来蔵思想)、仏になる能力、あるいは仏としての本性が備わっている(仏性思想)とも言えることになる。それを「心」と同一視すれば、衆生の煩悩の内奥に潜在する「自性清浄心」というアイデアになるであろう。
 したがって、「本覚」的理論は、それ以前の大乗仏教の思想にも多々あるのであって、思想的パラダイムとしては新奇なものではない。
 そして、これがまた密教思想とも馴染みがよい。「即身成仏」と言うからには、大日如来と生身の自分が本質的に同一でなければならないはずだから、これを言い換えれば、自分の中に大日如来が内在するということで、「本覚」の考え方にパラフレーズできる。
 であるからして、日本で初めて「本覚」の概念を自らの理論に取り込んだのが、空海その人であったのも、腑に落ちる話である。
 空海の著作には、『釈摩訶衍論(しゃくまかえんろん)』なる書物がたびたび引用される。この書は『大乗起信論』の注釈書で、竜樹作とされるが、完全な偽撰である。このうち、たとえば『秘密曼荼羅十住心論』に引用されるのは、

「性淨本覚の体性の中には、一切の攀縁慮知(はんえんりょち)の諸の戯論(けろん)を遠離して、一味平等の義を成ずるが故に、なづけて如となす」

という一説であり、あるいは『弁顕密二教論』には、

「一切衆生、無始よりこのかた、皆本覚あり捨離する時なし」

の部分が引かれている。そして、自身の論述として「本覚」を形而上学的に絶対化していると見なせるのは、『金剛頂経開題(こんごうちょうぎょうかいだい)』の記述である。

「自他の本覚の仏は、則ち法爾(ほうに)自覚にして本来、三身四徳を具足し、無始より恒沙(ごうじゃ)の功徳を円満す」
「自然自覚なり。故に先成就の本覚仏と名づく」

 このような、絶対的で超越的な理念が人間に内在するという理屈は、最終的には何らかの方法(修行)で理念を現実化(成仏)することを要請している。これが「仏性」論や「如来蔵」論なら、現世を超えるような長い修行が必要となろうし、空海の理論が「即身」であっても、密教の様々な修法が不可欠であることに変わりはない。
 ここで結論を先取りして言ってしまえば、「天台本覚思想」は、この修行の部分をほぼショートカットして、「ありのまま」で仏なのだと主張する点で、ユニークなのである。

「天台本覚思想」の形成

 「天台本覚思想」(以下、本覚思想)は、比叡山延暦寺において平安時代中期から末期にかけて思想の形成と文献化が行われたと考えられている。
 初期の文献には最澄の作とするものがあるが、すべて後代のもので事実ではない。他にも『往生要集』で有名な源信の著書とされるものがあるが、これにも偽撰説がある。

『往生要集』を著した恵心僧都・源信(942~1017)も比叡山出身(聖衆来迎寺所蔵)


 こういうことになるのは、本覚思想が最初から文献として伝わったのではなく、口伝や秘伝として、師匠から弟子に内密に伝えられたせいである。これが文献化されたときに、権威ある指導者が作者に擬せられたのだ。
 秘伝や口伝は、密教でよく見られる手法である。教説を超えた内的体験を重視する傾向は、「秘密教」を自認する密教では強まりこそすれ弱まることはない。その内容は、師匠と弟子の間のみで、秘授口伝とされるわけである。それが比叡山で流行したのは、最澄以後、比叡山が急速に密教化したせいでもあろう。
 ただし、それは、本覚思想の形成に空海が直接影響を与えたということではない。つまり、誰か比叡山の学僧が空海の指導を受け、その影響下から本覚思想が生まれたという意味ではない。
 そうではなくて、最澄以後、比叡山には円仁・円珍が出、いずれも入唐(にっとう)し、本格的に密教を導入して、「台密」と呼ばれる比叡山密教の基盤を築いた。

第3代天台座主、慈覚大師・円仁(794~864)(福正寺蔵)
智証大師・円珍(814-891)は、園城寺(三井寺)を根拠地に(金倉寺蔵)


 しかしながら、理論としては空海を超えるものはなく、その点からいうと、たとえ直接的な影響関係がなかったにしろ、密教を背景とする空海の「本覚」理論のパラダイムが、「台密」の土壌に受け入れられ、後に本覚思想として芽吹いたと言えよう。そう考えれば、本覚思想の淵源はやはり空海なのである。

初期の本覚思想

 最澄を作者とする本覚思想初期の文献『本理大綱集』(十二世紀中頃)には、「本覚」の語は見えない。しかし、この書は後の「天台」本覚思想を準備している。
 まず、天台宗の根本経典たる法華経における久遠実成(くおんじつじょう)の釈迦如来と密教の大日如来は同じなのだと言う。

「しかりといへども、密教の本仏は法華久成の本仏にあらずや。よって一行阿闍梨(引用者註 『大日経』の注釈者)釈して云く、『大日如来の本地身(ほんじしん)は妙法華の最深秘密の処なり。「我がこの土は毀(やぶ)れず、常に霊山(りょうぜん)にあり(引用者註 法華経の一句)」とは、これこの宗の瑜伽(ゆが)の意(こころ)なるのみ』と、云云」

 このように法華思想と密教を一致させ、次にこれを衆生の「心」と接続する。
 まず、天台智顗の「一念三千」「十界互具(じっかいごぐ)」の思想と華厳思想の「唯心」説を結びつけた上で、この存在世界のすべての衆生は、もともと金剛界曼荼羅に登場する三十七仏なのであって、大日如来の現われだとする。ということは結局、衆生の「心」はそのまま大日如来の「心」と同じなのだ。だから、言う。

「この故に十界の始終を尋ぬれば大日の一心なり。この悟りの前にありては心空は清浄冥寂(しょうじょうみょうじゃく)の性を顕し、迷ひの前には妄染の法と成る。妄染の法なりといへども清浄の法と名づく。故は大日の心は一なればなり」

 同じく最澄著とされる『天台法華宗牛頭法門要纂』では、衆生の「心」と如来とが一致するという説を、「本覚」と「心性」の語を用い強調する。

「しかれば煩悩も菩提もこれ我が一心の名なり。生死も涅槃もまたこれ心体を指す。(中略)これ(故に)心性の本源は凡聖一如(ぼんしょういちにょ)にして二如なし。これを本覚如来と名づく」
「衆生の心を指して、直ちに妙法の理なりと説き、心性の本覚を以て、無作の実仏となす」
「かくのごとく知見する者、則ちこれ成仏と名づく。本覚の真仏を顕すこと、ただ我が一念にあり。心性の仏体を覚らば、証を取ること須臾(しゅゆ)の間なり」

 ここで注目したいのが、「無作」とか「一念」「知見」という語である。つまり修行をしなくても(「無作」)、一瞬の内に(「一念」)、自分の「心」が仏なのだとわかれば(「知見」)、即時にそのまま成仏するということだろう。すでにこの段階で「即身成仏」思想を大きく切り詰めているのである。

「ありのまま」主義の昂進

 時代が下り、十三世紀前半になると、「ありのまま」を絶対的に肯定する傾向がさらに強まる。
 源信の名を著者に冠する『真如観』は、それ以前の論書に登場していた「本覚真如」という概念を強調している。「真如」とはこの場合「真理」を意味し、「本覚」が超越的な絶対理念であることを示している。
 その上で、その「真理」がそのまま衆生に実現していると説く。

「疾(と)く仏に成らんと思ひ、必ず極楽に生んと思はば、我心即真如の理也と思べし。法界に遍ずる真如我体と思はば、即我法界にて、此外にことものと思べからず。悟れば十方法界の諸仏、一切の菩薩も、皆我が身の中に、まします」
「此思を成す時、万法は心が所作なりければ、万行を一心に具し、一念に一切の法をしる、此を坐道場とす。此を成正覚と云也」
「而(しかる)に真如を観ずれば、成難き仏にだにも、とく成。況や生じ易き極楽に生む事、決定(けつじょう)して疑なし」
「且(しばらく)く正宗の初の(引用者註 法華経)方便品の文に、唯仏与仏、乃能究尽 諸法実相、所謂諸法如是と云文に、明に煩悩即菩提、生死即涅槃の道理、及一切衆生悉皆成仏と云事、明に見たり。但し諸法実相と云一句に万法真如なりと明すなり」
(引用者註 原文の片仮名使いを平仮名に改め)  

さらには、衆生における「本覚」は「絶対的真理」であるから、それは単に衆生にとどまらず、

「是の如く凡自他身一切の有情(うじょう)皆な真如なれば則仏也。されば草木(そうもく)・瓦礫(ぐはりゃく)・山河(せんが)・大地(たいぢ)・大海・虚空、皆是真如なれば、仏にあらざる物なし」

ということにもなる。とすると、結局「本覚」による成仏は、衆生がすでに「ありのまま」で成仏していることを知っているかどうかだけの問題になるであろう。

「名字即の仏とは、或善知識にあひ、或経巻を開き見て、真如の名をきき、我則真如なりと知を、名字即の仏と名く」

「名字即」とは、『摩訶止観』に出てくる「六即」の内の一つである。仏教の真理に即応する六つの段階という意味で、要するに如来の悟りの境地に至る修行過程のことである。そのうち「名字即」は、教えの言葉を聞いたり読んだりする段階で、事実上は一番の初歩である。
 ところが、『真如観』はそれでもう「仏」に成れると言うのである。これはほとんど、修行無用と言うに等しい。

「ありのまま」の形而上学

 それが『三十四箇事書(さんじゅうしかことがき)』になると、「ありのまま」の絶対的肯定がさらに全面的に展開される。

「円教の意は、衆生を転じて仏身に成ると云はざるなり。衆生は衆生ながら、仏界は仏界ながら、俱に常住と覚るなり」
「世間相常住と云ふは、堅固不動なるを常住と云ふにはあらず。世間とは、無常の義なり、差別(しゃべつ)の義なり。無常は無常ながら、常住にして失せず、差別は差別ながら、常住にして失せず」  

 「常住」とはこの場合、永遠のもの、つまり「真理」や、「真理」である本覚の如来を意味する。「衆生を転じて仏身に成ると云はざるなり」とは、まさしく「ありのまま」絶対肯定の論理であろう。だからこそ、ここでも「名字即」に言及して、

「当家一流に習ひあり。名字即の位において、知識に遇ひ、頓極(とんごく)の教法を聞き、当座に即ち自身即仏と知つて、実に余求(よぐ)なきは、即ち平等大恵に住す。即解)・即行・即証にして、一念の頃に証を取ること、掌を反すがごとし」

と述べて、遇って、聞いて、知りさえすれば「掌を反すがごと」く成仏すると説くのである。
 この書の後にも、本覚思想の論書は続くが理論のパラダイムには、新しい展開はない。ここまで修行をショートカットしてしまえば、結局のところ、「そのまま」「ありのまま」が「真理」として超越化して、『古事記』に見られるアニミズム的現状肯定思想が、「日本」の形而上学に変貌するのである。
 
 かくして「天台本覚思想」が完成期に入る頃、世上は「ありのまま」を肯定する状況ではなくなりつつあった。
 律令体制は院政という鬼子を生み、次第に機能不全に陥り、地方から中央へ、武士という新興勢力が急速に勃興し、鴨長明の『方丈記』に描かれるような天災も頻発する。さらに諸生産力の向上や貨幣の浸透など、従来の共同体の体制と秩序を大きく動揺させる力が拡大していったのである。
 それはすなわち、動揺する共同体がメンバーの実存を包摂しきれなくなった時代、つまり「不安な個人」が社会の前面にあらわれるようになった時代の到来を意味する。
 「鎌倉新仏教」とも呼ばれるダイナミックな仏教革新運動の、先陣をきることになった法然が登場したのは、まさにこの時代であった。

引用文献:『日本思想大系 天台本覚論』(岩波書店)