日本の台風と台風の合間に、イタリア中南部での地震を知った。
 最も被害の大きかった町アマトリーチェは、四つの県に囲まれている。イタリア半島のちょうど真ん中に位置しそこはまた、東のアドリア海と西のティレニア海を結ぶ線上でもある。海から山へ、山から海へ。古の時代から常に、世の中の要である動線の中継点として役目を担ってきた。
 緑の深い一帯である。辺りの地盤を成す岩質は硬いため雨は染み込まずに地表を潤し、あるいは泉やせせらぎを生んで、水源に恵まれているからだ。植物は生き生きと育ち、森林を成し、昆虫に鳥獣が集まり、土壌は肥えている。豊壌な自然のなか、畜産業も盛んである。
 国境に囲まれながらも四面楚歌に陥らず、恵まれた資源と地の利を守ってくることができたのは、住民に卓越した均衡感覚と懐柔の才があったからではないだろうか。 
 イタリア半島を行くと、こんな山奥に、という辺境の地に淡々粛々と暮らす人たちがいて驚くことがしばしばだ。一見、時代に取り残され消え行く集落のようでありながら、実は先史時代に遡る歴史を誇る町だったりする。有名な観光都市と同様のレベルの遺跡や美術品、建築物が、ほとんど人知れず温存されているところも多い。あるいは形として現存していなくても、その土地の住まい方や考え方に浸透し、過去の無形遺産として守る町村がある。小規模で、逼塞し、現代的なインフラも産業も整っていないような小村に、しかしながら等身大の暮らしぶりを見ることは多い。
 
 被災地に人命救助隊とともに、獣医を含む動物の専門家たちも駆けつけた。救助犬の多くが、殺戮処分を免れた野犬である。救助隊員と連れ立って犬が人を、そして犬を猫を、亀を救い出す様子を見て、一帯のこれまでの人々と生き物の強いつながりを思う。

©UNO Associates Inc.

 

 アマトリーチェは、一六三九年十月の大地震で壊滅した歴史を持つ。当時の記録によると、犠牲者は五百人余り。家族と家畜、家と耕作地とともに、過去と現在、未来を奪われて、生き残れた人たちは山を下りた。その頃、一帯の大地主だった一族は、法王も輩出していた。アマトリーチェの人々は神と統治者の加護を切望して、一族の本拠地でもあったローマへと移住していった。
 それまで農業と畜産業に生きてきたのだ。故郷をあとにして、多くの人が食関係に従事した。移住先で、自分たちの味覚を頼りに生計を立てたのである。
 今回、震災直後にイタリアのスローフード協会が、
 「レストランでアマトリチャーナ・パスタを注文して、売上から見舞金を送ろう
と、呼びかけた。

 

©Slowfood Italia


 アマトリチャーナ・ソース。
 豚の頬肉をトマトソースで炒め煮て、羊乳の熟成チーズ、ペコリーノをおろして和える。地元の牧童たちが、羊を連れて移動するときに食してきた古くからの一品である。このレシピこそが、かつて山を下り自分たちの中に残った故郷を再生し、命の糧と再生への源となったものなのだった。

 海から山へ、山から海へ。
 イタリアの東西南北が交差する、地図に載らない点先のような町に、半島の歴史が凝縮している。小さくとも、自らの身の丈を知り、無形の遺産を連綿と守ってきた歴史がある。