「錆びない鉄」の誕生

 これまでも何度か述べている通り、鉄の泣き所は錆びやすいという点だ。この問題がある限り、あらゆる鉄製品の寿命は限られたものになり、交換やメンテナンスの膨大な手間暇が不可欠となる。よって、錆びない鉄は人類にとっての大きな夢であった。

 ステンレス鋼はその代表的な例だが、発見は全くの偶然であった。1913年、イギリスのハリー・ブレアリーは、製鉄会社で火器の爆発に耐える金属を研究していた。その中で彼は、20%のクロムを加えた鋼鉄を作ってみたが、加工性が悪い失敗作であった。ブレアリーはこの合金を放り出したまま忘れていたが、数カ月後に見るとこの金属塊はまったく錆びていなかった。ここから研究を重ね、加工性の悪さを克服したステンレス鋼が作り出されたのだ。「錆びない鉄」という、人類の夢ともいうべき材料の誕生であった。これがいかに身の回りで広く使われ、我々の暮らしを変えたか、改めて語るまでもないだろう。

ハリー・ブレアリー(1871–1948年)の記念碑(David Morris/Wikipedia Commons


 もっとも、正確に言えばステンレスは錆びていないわけではない。実はステンレスの表面では、含有するクロムが酸化を受け、ごく薄い丈夫な膜を作っている。これが内部まで錆を進行させないように、酸素の攻撃を食い止めているのだ。

 その他、強度、加工性、溶接のしやすさなど、さまざまな特長を備えた特殊鋼がいくつも開発され、我々の暮らしを支えている。多彩な合金を作りうる懐の深さは、鉄という元素の大きな魅力のひとつだ。

生命を救った磁性

 鉄はもうひとつ、強磁性という特別な性質を持つ。要するに磁石にくっつく性質のことで、常温でこの性質を示す金属元素は、鉄の他にコバルトとニッケルだけだ。これらの金属は特殊な電子配置を持っているため、この不思議な現象が起こる。

 ご存知の通り、磁石を吊るしておくと、N極が北を、S極が南を指して止まる。これは、この地球が巨大な磁石であるからだ。地球の核は多くの鉄を含み、これがドロドロに溶けて流れている。この流れが電流を生み、磁場を発生させているのだ。

 実はこの磁場は、生命にとっての守護神でもある。地球は、太陽風や銀河宇宙線などのプラズマ粒子に絶えずさらされているが、地磁気はこれらの進路に影響を与え、はじき飛ばしてくれるのだ。これらははじき飛ばされた先の北極や南極で大気の分子に衝突し、光を放つ。これがオーロラの正体だ。

アラスカのオーロラ


 地磁気がなければ、地球は常にプラズマ粒子の爆撃を受け続けることとなり、生命の活動に影響を及ぼすと考えられる。実際、過去に地磁気がほとんどゼロになった時期があり、この時にいくつかの生物が絶滅したことがわかっている。恐竜の絶滅の原因を、こうした地磁気の変化に求める学者もいるほどだ。

 地球の地磁気は安定しておらず、過去360万年の間に少なくとも11度も南北逆転を繰り返している。しかしこれがなぜなのか、いまだ原因はわかっていない。そしてこの200年ほどの間、地磁気は一貫して減少を続け、10%ほど弱まっている。今後逆転は起こるのか、その時に地球上の生命にどの程度の影響が及ぶのか、まだ誰にもわからないというのが現状のようだ。

 地磁気は、どの惑星にもあるわけではない。たとえば金星は地球によく似た星だが、わずかなサイズの差のために内部構造が異なり、このため地磁気というものを持たない。地球上の生命の発生は数々の偶然に支えられているが、地磁気の存在もそのひとつに数えられるだろう。

現代の動力

 先ほど少し触れた通り、磁石と電気と力には密接な関係がある。磁石に力をかけて回転させれば電気が発生するし、磁石に電力をかければ動力が取り出せる。1831年、マイケル・ファラデーによって発見された現象で、「電磁誘導」と呼ばれる。

マイケル・ファラデー(1791-1867年)


 といわれても、理系でない人にはなかなかピンと来にくい話だろう。実は筆者も高校時代にこれを習った時、どういうことであるのか今ひとつ飲み込めなかった。

 ピンと来なかった人の一人が、英国の首相を務めたウィリアム・グラッドストンであった。当時財務大臣の座にあった彼は、ファラデーにこの実験を見せられ、「面白いが、これは何かの役に立つのかね?」と尋ねた。ファラデーは少しもあわてず、「何の役に立つかはわかりませんが、あなたはやがてこれに税金をかけることになるでしょう」と切り返したという。

 ファラデーのこの言葉は、科学者による歴史的名文句に必ず挙げられる。ただ、彼の言葉は少々謙虚に過ぎた。電磁誘導は、モーター、発電機、変圧器、IH調理器などの動作原理となっており、現代の電気機器でこれを利用していないものはないといえるほどだ。税金がかけられるどころか、現代の豊かな暮らしは、鉄の持つ磁力に支えられて実現しているのだ。

鉄は文明なり

 2015年の世界の粗鋼生産量は16億2280万トンで、これは東京都全域を1メートル近い厚さで覆ってしまえる量に相当する。全ての金属を合わせた生産高の、9割以上を鉄が占めているのだ。

 鉄こそが力であるという事実は、今も変わっていない。鉄鋼の生産高は、国の力を表す最も優れた指標だ。産業革命後はイギリスが、戦後から1970年ごろまではアメリカが圧倒的トップを走ってきたが、オイルショックを機にソ連に追い抜かれる。そのソ連が崩壊した後、1990年代から日本が世界首位に立つが、90年代後半からは中国が爆発的な成長を遂げ、今や世界シェアの約5割を占めるまでになった。

2015年の粗鋼生産量ランキング(資料: GLOBAL NOTE/出所:国連)

 

 しかし2015年、中国の鉄鋼生産高は1991年以来の前年割れを記録し、世界の合計生産高も6年ぶりのマイナスとなった。一時的なものか、歴史の潮目を迎えているのか、注視する必要がありそうだ。

 一方で、鉄の高付加価値化も進んでいる。リチャード・ヘック、根岸英一、鈴木章らに2010年のノーベル化学賞をもたらした「クロスカップリング反応」は、有用な有機分子を作り出すために不可欠な反応だが、パラジウムという高価な金属を用いなければならない欠点がある。このパラジウムの作用を、鉄化合物で代用する研究が進んでいる。安全かつ安価な鉄で多くの化学反応が実現できるようになれば、各種製品のコスト削減にも大きな影響をもたらすだろう。

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左から、リチャード・ヘック(1931-2015年)、根岸英一(1935年-)、鈴木章(1930年-)(Holger Motzkau/Wikipedia Commons)


 2008年には、細野秀雄・東工大教授による、鉄を基盤とした超電導材料の発見という画期的な出来事もあった。それまで銅を基礎としていた超電導研究の潮流は、一挙に鉄に向かうことになった。これが実用化されれば、リニアモーターカーの建設、高性能医療器具、電力貯蔵など幅広い分野にインパクトを与えることになるだろう。鉄は、重厚長大産業だけではなく、最先端のテクノロジーの中でも力を発揮しているのだ。

 

超電導リニア MLX01-1 (愛・地球博での展示)(Gnsin/Wikipedia Commons)


 こうして眺めてくると、人類は鉄を単に材料として利用してその文明を発展させてきただけではなく、鉄の持つ性質を引き出し、それに沿うことで、この文明を築きあげてきたとも見える。プラスチックや炭素繊維など優れた材料はいくつも登場しているが、人類の文明が終わるその日まで、鉄が王者の座を降りることはなさそうだ。