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アン・ウォームズリー『プリズン・ブック・クラブ――コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』(紀伊國屋書店)

人生を変える読書会
 
 その昔「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門翁は、「人間が一人前になるためには、大病をするか、刑務所に入るか、破産をするか、いずれかを経験しなくてはダメだ」との名言を吐いたと言われます。大病も投獄も破産も、いずれも自分という人間としっかり向き合うための貴重な時間を与えてくれる、というわけです。

 明治・大正期の革命家、大杉栄という人は、「一犯一語」と嘯(うそぶ)いたように、収監されるごとに一つ外国語を習得したといわれます。また、近年の類似例としては、2002年に微罪容疑で逮捕され、接見禁止のまま512日間勾留された佐藤優氏のケースがあります。勾留から44日目に、弁護団への手紙の中で綴っています。
 
<以前の手紙にも書きましたが、拘置所内での生活は、中世の修道院のようです。中世の修道院や大学では、書籍は一冊しか所持することが認められず、それを完全に習得するか、書き写した後に次の本を与えられるシステムだったそうです。拘置所もそれにかなり近いところがあります。私本については三冊しか房内所持が認められていません。大学時代より常に一〇〇〇冊以上の本に囲まれて生活してきた私にとって、いちばん苦痛なことは自由な読書ができなくなることと思っていましたが、案外、現在の環境で、少数の本を深く読む生活も気に入っています>(『獄中記』岩波現代文庫)
 
 時代や状況の違いこそありますが、国家権力による独房生活という点では共通しています。そして人間としての尊厳を保ちつつ、自らの内面と向き合う生活に、読書がかなっていることは言うでもありません。一般受刑者の中にきわめて熱心な読書家がいることを、私自身、実際に知る機会もありました。

 さて、今回ご紹介するのは、そういう“おひとりさま”の場合ではなく、カナダの男子刑務所で開かれている読書会の話です。囚人たちがどんな本を読み、どんな感想を語り合っているのか。そこで、どういう作品がウケるのか。刑務所読書会でのやりとりを、ライブさながらの生き生きしたタッチで描き出した迫真のルポルタージュが本書です。

 著者はカナダ在住の女性ジャーナリストで、受賞歴もあるベテラン記者。ある時60代半ばの友人から、トロント近郊の刑務所で月に一度開いている読書会に、ボランティアとして参加してみないかと誘われます。メンバーには銀行強盗、殺人、薬物売買などの重罪犯もいる、と告げられます。その瞬間、「絶対に無理」――著者は即座に反応します。
 
<その八年前、わたしはイギリスで強盗に襲われ、命を落としかけた。ロンドンのハムステッド・ヒースに近い自宅脇の薄暗い路地で、ふたりの男に追いかけられ、腕で喉を締め上げられて意識を失い、男たちはわたしの携帯電話を奪って走り去った。あのときのトラウマを克服するには何か月もかかったし、夫の仕事でロンドンに駐在していたその後の三年間、夜は怖くてひとりでは歩けず、耳をつんざく音の出る防犯ベルや、ドーベルマンの鳴き声を模した警報音つきの超強力懐中電灯を持っていても安心できなかった。そういう過去があるせいで、もし刑務所に足を踏み入れればトラウマがよみがえるのではないかと不安だったのだ>
 
 とはいえ、時間がたつにつれ、好奇心が不安を上まわります。かつて父親が口にした「人の善を信じれば、相手は必ず応えてくれるものだよ」という言葉にも背中を押されます。勇気を奮って、せっかく刑務所へ行くのであれば、読書会のありさまを文章にするのはどうだろう、と創作意欲も目覚めます。書いているうちに「自分自身の恐怖心を少しずつ克服していけるかもしれない」と、新たな気概が湧いてきます。

 声をかけてくれた友人のキャロルは、敬虔なクリスチャンで、エネルギッシュな行動家。「なんでもゼロから始めるのが好き」という情熱と、人の役に立ちたい使命感がみなぎる女性です。社会から疎外された受刑者への共感と、彼らにもっと幅広い文化を体験させたい願いを抱き、非営利団体<刑務所読書会支援の会>代表として、オンタリオ州内の連邦刑務所で次々と読書会を立ち上げる手際も鮮やかです。まさに、自分の「子どもみたい」な読書会のことで、いつも頭がいっぱいになっているのがキャロルです。

「刑務所に読書会を設立しただけではじゅうぶんではない。充実した読書会でなければ意味がない」――キャロルは読書会運営の原則として、メンバーは丁寧な言葉で話すこと、人の発言は静かに聞くこと、必ず本を読んで参加すること等々を求めます。さらに「読書会大使」を受刑者の中から選抜し、他のメンバーの「お目付け役」を命じます。有望な読み手を勧誘すること、仲間を励まして読了させること、読書会での議論をリードすること、等の大きな期待が寄せられます。
 
「読書の楽しみの半分は、ひとりですること、つまり本を読むことよ……あとの半分は、みんなで集まって話し合うこと。それによって内容を深く理解できるようになる。本が友だちになるの」
 
 キャロルを支える信条です。読書会を充実させるために、大胆なアイデアも繰り出します。著者を読書会に招いたり、受刑者からの質問にEメールで著者に答えてもらったり、自らが所属する女性だけの読書会と、共通の本について感想文を交換し合うといった試みです。
 
 彼女は本に関することだけでなく、法定代理人との折衝を助けたり、仮釈放後は、結婚や社会復帰の相談にのったり、家を借りる際の賃貸契約の保証人を引き受けたり、元メンバーへのいろいろな支援を続けます。「どこまでも手を差しのべたいという思いと、卒業生の成功を見届けたいという願いに駆りたてられて」の行為です。

 さて、読みどころは何と言っても、熱気にあふれた読書会の様子がありありと描かれている場面です。受刑者たちがそれぞれの人生に引き寄せて、率直に感想を語り合います。意表を突く鋭い指摘や、個性的な解釈が飛び出して、こんな面白い合評会はありません。

 ロヒントン・ミストリー『かくも長き旅』(文藝春秋)、スティーヴン・ギャロウェイ『サラエボのチェリスト』(ランダムハウス講談社)、マーガレット・アトウッド『またの名をグレイス』(岩波書店)、ジョン・スタインベック『怒りの葡萄』(新潮文庫)、O・ヘンリー『賢者の贈り物』(新潮文庫)……。日本ではなじみの薄い作品も他にありますが、このメンバーがこの本にどういう反応を示すのか、スリリングな期待が膨らみます。

 初回は「情けないほど怯えていた」という著者ですが、回を重ねるごとに、ここでしか聞けない言葉の重みと、発言の中に現れる人間愛や善意のきらめきに感銘を受けている自分を見出します。時々、不安や脅えも顔を出しますが、それも次第に薄らぎます。お互いに親しみを感じていく、そのプロセスが感動的です。
 
<この日のメンバーたちの言葉に、わたしがどれほど胸を打たれたか、説明するのももどかしいほどだ。わたし自身は気づきもしなかった視点から、彼らはこの本の味わいかたを教えてくれた>
 
<この世界には、なんとさまざまな囚われびとがいることだろう。監獄の囚人、宗教の囚人、暴力の囚人。かつてのわたしのような恐怖の囚人もいる。ただし、読書会への参加を重ねるたびに、その恐怖からも徐々に解放されてきた>
 
 メンバーの一人のグレアムは、元「ヘルズ・エンジェルス」の一員で、薬物売買と恐喝により17年の刑を受けています。途中で他の刑務所に移りますが、「いまいる刑務所には読書会がないので、立ち上げるのに力を貸してくれないか」と手紙を寄越します。
 
<彼らが夢中になっているのは、もはや麻薬ではなく書物なのだ。これは、キャロルが始めたプロジェクトの、目に見える初の成果といっていいだろう>
 

 グレアムは語っていました。「最近では読書会メンバーが刑務所内で顔を合わせると、読書の進み具合を訊ねあったりするようになった」。そして、孤立した集団同士が交流するようにもなった、と。
 
「ムショってとこは、グループできっぱり分断されてるんだ」――ムスリムのグループ、ケルト人のグループ、先住民族のグループ、ヒスパニックのグループ、黒人受刑者友好協会のグループ……。ふだんは仲間同士で固まって、他のグループとは接触しない。そこに読書会が「風穴を開けた」というのです。

 読書会のおかげで自分がいかに変わったか、と別のメンバーからの声も上がります。「その場しのぎの、ただおもしろいだけの小説にはもう興味がない。著者がなにを考えてるか、どんな言葉を使ってるか、どんな語り口で表現してるかを知りたいんだ」。

 スタインベックの『怒りの葡萄』では、飢餓と貧困に苦しむ移住労働者の姿が受刑者の心を揺さぶります。苦難に耐え、何があっても立ち直るという主人公の母親の生き方、骨太な哲学に触れ、「人生がちょっとばかりつらくても、おれたちは日々の暮らしを続けるだけだ」「自分たちじゃなにができるわけでもないしな。だから、ただその日その日を生きるしかない」という言葉が聞かれます。
 

 12月の読書会では、クリスマスのプレゼントが配られます。刑務所の規則で手作りのケーキを配ることが許されないので、クリスマスツリーのオーナメント、子羊の飾り物を渡します。
 
<男たちが集まってくると、キャロルは子羊をひとつずつ手渡した。ふわふわとした羊毛を、みなそっとなでている。そんな贈り物はつまらないとか使い道がないなどと軽口をたたくメンバーは、少なくともわれわれの前ではひとりもいない。まるでクリスマスの朝に贈り物をもらう子どものように、だれもが傷つきやすい無垢な存在に見えた>
 
 著者自身にも変化が訪れます。
 
<わたしはもともと……自分の意見を強く主張する人間ではなかった。(中略)けれども、読書会でメンバーたちがそれぞれ自分の考えを口にし、互いの意見を聞いて、ときには見かたを変えていくのを目の当たりにするうち、いつのまにか、わたし自身もみずからの考えを突きつめて、意見として表明できるようになりつつあった。そして、そんな自分が嫌いではなかった>
 
 読書会を前にすると、次第に著者の期待も高まります。マーガレット・アトウッドの『またの名をグレイス』を取り上げる日が近づくと……。
 
<一六年前、わたしが初めてこの小説を読んだとき、ヴィクトリア朝時代のカナダに生きたアイルランド生まれの女中グレイスが、みずからの内面をいかにもそれらしく告白していると感じたものだ。当時は、まさか自分が殺人犯や強盗犯と同じ場に身をおき、彼らがこの忘れがたい主人公を、現実的な世界観と威厳をあわせもち、流れるように語るグレイスをどう解釈するか知りたくてたまらなくなるなどとは、想像もしていなかった。さわやかな五月の朝、わたしにはこの日の話し合いが、必ずや奥の深い、しかも予測のつかないものになるという確信があった>
 

 最後に、著者は記しています。“塀の外”で所属している女性だけの読書会と、刑務所内の読書会と、どちらか一つを選べと訊かれたならば、自分はあえて後者に参加するだろう――。
 
<ワインもビールも、洋梨とリンゴのクランブルケーキも、珍しいチーズもあきらめて、刑務所の一室に受刑者たちとともに集うだろう。なぜなら、彼らの読書会には切実な思いが詰まっているし、あの場では、彼ら自身の人生やわたしの人生を変えるようなことさえ起こりうるからだ。彼らの言葉の少なくともひとつは、これから先もずっとわたしとともにあるにちがいない>
 
 本好きにはこたえられない言葉と機知が散りばめられた1冊です。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
 
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