反射光に浮かぶキリスト

 神奈川県JR大磯駅前の小さな森、その小高い頂に、天に向かって突き出す船の舳先のようなシルエットのモダンな建物がある。
 澤田美喜記念館。

 


 三菱財閥の創始者岩崎彌太郎の孫娘であり、戦後この地に、孤児院「エリザベス・サンダース・ホーム」をひらいた澤田美喜の功績を記念する資料館である。
 澤田美喜は戦後、進駐軍兵士と日本人女性の間に生まれた多くの混血孤児を引き取って育てた。今では歴史の教科書にも載る偉人であり、記念館というからには、その波乱万丈の生涯を本人の写真や遺品などとともに紹介してある施設かと思ったら、これがそうではない。
 なんと、隠れキリシタンの遺物が展示してあるのだ。
 なぜ隠れキリシタン?
 澤田美喜は、1936年、サンフランシスコから横浜へ戻る船の図書室で隠れキリシタンの存在を知り、以後その遺物を収集することに意欲を燃やした。自らもキリスト教徒であった美喜は、誰かが集めなければ歴史的に貴重な品々が散逸してしまうという危機感と、迫害を耐え忍んだ人々の思いが凝縮したそれら遺物に彼女自身が勇気付けられたこともあって、収集を決意したのだった。
 かくして、隠れキリシタンの本場九州の博物館に優るとも劣らぬ充実したコレクションがここ大磯の地に集まったが、その功績は「エリザベス・サンダース・ホーム」ほどには知られていない。
 私は以前から隠れキリシタンの遺物に興味があり、長崎や平戸の博物館、資料館などを訪れてはその魅力に触れてきたが、どこも隠れキリシタンの遺物、とりわけマリア観音やキリシタン地蔵など仏像にカモフラージュした神仏像は数えるほどしか展示されておらず、物足りなさを感じてきた。
 そんななか澤田美喜記念館の隠れキリシタン遺物は、全部で870点を超え、生活用具などではなく神仏像が多いのが特徴だ。その意味でもこれは画期的なコレクションと言えるのである。
 実際、貴重な遺物がある。
 その名も、隠れキリシタンの魔鏡!
 おお、名前からしてそそられる。
 初めて聞いたとき、とっさに頭に浮かんだのはインディ・ジョーンズだった。いかにも冒険ファンタジー映画に出てきそうではないか。
 インディ・ジョーンズが壁にキリスト像を投影すると、神秘の扉が開いて、おお、なんとそのなかには隠れキリシタンの秘宝がああ! というような安直なイメージが脳裏をかすめる。
 魔鏡なんてものはお話のなかだけの存在かと思っていた。
 実際の隠れキリシタンの魔鏡は、光を反射させて、壁に投影すると、キリスト像が浮かび上がる鏡である。
 その存在は今や海外にも知れわたっており、近年同様のものが日本の職人の手によって再現され、安倍首相からローマ法王に献上されたという。
 すごい。そんなものが実在するなら、ぜひとも見にいきたい。
 隠れキリシタンの魔鏡を見ずして何が「スペクタクルさんぽ」か!
 というわけで、夏も終わりのとある午後、シラカワ氏、スガノ氏、そしてニシ氏とともに大磯へ向かったのである。
 
 澤田美喜記念館は、大磯駅の目の前にある。念のため約束の時間より少し早めに到着したわれわれは、あまりに目の前なので寄り道する場所もなく、少々時間を持て余した。
 記念館は「エリザベス・サンダース・ホーム」の敷地内にあり、すぐ隣の礼拝堂などを外から眺めて、時間を潰した。簡素な木造の建物に緑色の小さな十字架が懸っていてかわいい。
 こういうすっきりしたキリスト教の建築物を見ると、魔鏡なんてものはむしろ偶像や過剰な装飾好きの仏教のほうが似合う気がしてくるが、実際はキリスト教にもバロック風の教会もあれば、ガーゴイルのいるゴシック教会、得体の知れない怪物が彫られたロマネスク教会もあるから、それは思い込みに過ぎない。偶像崇拝禁止といいながら、そうやってさまざまな「魔」を紛れ込ませて平然としているところがキリスト教の面白いところだ。
 だがよくよく考えてみると、キリスト像の浮かぶ鏡を魔鏡などと呼んでいいのだろうか。禁教令を出した幕府の側からすれば魔鏡だろうが、キリスト教サイドから見れば、それは聖なる鏡。「魔鏡を見せてください」などと言えば、失礼なことを言うな、と叱られるかもしれない。ここは無難にカクレキシリタンの鏡と呼んでおいたほうがよさそうだ。
 約束の時間になり、記念館を訪ねると主任の西田さんが出迎えてくださった。
 建物の内部は1階が納骨堂と展示室、2階が礼拝堂になっている。展示室はそれほど広くないが、たくさんの隠れキリシタンの遺物が展示されていた。西田さんによるとこれで3分の1だとのこと。スペース上すべてを陳列することはできないようだ。

 

 挨拶もそうそうに西田さんが言った。
「陽のあるうちに、まず魔鏡から見ていただきましょうか」
 ……魔鏡でいいんかい!
 あ、いやいや、失礼しました。心配して損した。
 西田さんが奥から白い包みを慎重な手つきで運んできた。たしかに日光を当てて像を浮かびあがらせるには、早い時間のほうがいい。いきなり魔鏡の登場である。
 鏡は直径20センチ余の銅の円鏡。長崎の島の、とある家の焼け跡から出てきたそうで、やや古ぼけており、鏡面には小さな傷や色の濁りがあった。裏には鶴亀と松の浮き彫りがある。キリスト像などはどこにも見えなかった。

 

 これでどうしてキリスト像が浮かび上がるのだろうか。
 さっそく外に出て模造紙に鏡の反射光を当てると、何やらオレンジ色の像が見えた。
「あ、キリスト……」

 

 像は輪郭もぼやけていたが、そのなかにはっきりと見分けられる色の濃い部分があって、それはまさに十字架の形をしていた。顔のあたりはおぼろげだが、それが磔のキリスト像である証拠に、2本の足がくっきり見分けられる。
 魔鏡だ!
 これはまさに魔鏡と言うしかない。
 それにしても、見たところ鏡にはそんな絵が彫られてもいないのに、なぜ光を反射させると像が浮かぶのか。
 西田さんによると、日本でもかつて卑弥呼の時代に三角縁神獣鏡と呼ばれる青銅鏡がつくられたが、それも実は魔鏡だったという。鏡の背面に刻まれた文様が、光の反射で浮かびあがるのだ。詳しい原理はわからないが、鏡を薄くすることでそういうことが可能らしい。裏側が透けて映るということだろう。
 だが三角縁神獣鏡は、魔鏡といっても、あくまで背面の文様が映るだけである。一方、隠れキリシタンの魔鏡は、背面の文様が映し出されるわけではない。もしそうならば松や鶴亀が映って、どこがキリストやねん、ということになってしまう。
 背面にもない画像を映し出すとは、どうすればそんなことが可能なのか。
 正解は、文様を二重にして、キリスト像を内部に仕込んでいるとの話であった。
 ローマ法王に献上された魔鏡を作ったのは、日本の鏡師山本富士夫氏で、氏による隠れキリシタン魔鏡のレプリカもここには収蔵されている。その像も映してみると、こちらはさらにくっきりとキリスト像が浮かび上がった。

 

 んんん、こんな技術があるとは。
 見る人によっては、それこそ神の仕業だと思ったかもしれない。
 ところで西田さんには、ひとつ悩みがあるそうだ。
 海外の文献でも紹介されている魔鏡だが、Magic mirrorと英訳されてしまうのが残念だという。マジックミラーといえば、あの取調室に仕込まれてたりするというあれだ。一方から見れば鏡だが、反対側から見るとガラスのように透けて見えるやつ。
 いかがわしいお店にもあるらしいし、そうでなくてもなんだか軽いので、できればもっと威厳のある英名が欲しいとのこと。何と英訳すればいいだろうか。
 まさか魔鏡をそのまま訳してデビルズミラーにするわけにもいかない。それこそ、ふざけるな、と言われるだろう。
 トリックミラー?
 依然軽い。
 シークレットミラー?
 それも軽い感じがする。
 ホーリーミラー?
 びっくりする感じがない。
 スーパーミラー?
 安いSFみたいだ。
 ハイパーミラー?
 検索したら窓掃除のスポンジが出てきた。
 結局今のところは、Kakurekirishitan Makyo と日本語そのままのアルファベット表記にしておられるそうだ。つづく)(撮影・菅野健児)