異形の神像たち

 澤田美喜記念館の展示室には、さまざまな隠れキリシタンの遺物が展示されているが、なかでも多いのが種々の仏像群である。
 一見、日本の神仏の像のように見せて、その実、背中に十字架が刻まれていたりする姿に、私はずっと魅了されてきた。
 だが同時に、それは言ってはいけないことのようにも感じていた。
 というのも、私ははじめ、そこにだまし絵の面白さを見て惹かれただけで、命がけで信仰を守った人々の心のありようなどは想像の埒外だったからである。
 長崎や平戸の博物館をめぐったときも、表向きは隠れキリシタンの人々の苦しみや悲しみに思いを馳せているかのような、いかにも重苦しい顔をして見物したものの、内心は、おお、このカラクリ、すっげー、とかいって小躍りしていたし、天草の博物館で、仏教式の葬式をあげられた際にこっそりお経の効果を無効化するための「経消しの壺」というものを見たときも、その発想が面白くて心の中でウケていた。
 果たしてそういう態度で見物していいものなのかどうかは、実に悩ましい問題であった。
 もちろん何度も見るうちに、その背後にある歴史が徐々に意識されるようになり、そのせいで恐ろしい井戸のなかを覗き込むようなヒリヒリした感覚が加わって、それらマリア観音像を始めとする仏像たちに、なんとも言葉にできない存在感、思いの凝縮があることが感じられるようにはなってきた。
 それでも、持って生まれた軽薄な性格はそう簡単に変わるはずもなく、今回もガラスケースに入ったたくさんの仏像たちが、どれも面白そうで面白そうで、私を手招きしているかのように思えて、じっとしていられなかった。迂闊な本性が露見しないよう、注意しながら見学しなければならない。
 陳列室に入って右手の壁に、澤田美喜とキリスト教の関わり、そして聖書や踏絵などの展示がある。
 ここに彼女が昭和16年に出版した「大空の饗宴」と題された隠れキリシタン遺物の目録集のようなものがあった。収集品の写真とともに、それについての短い文章が寄せられている。

 

「エリザベス・サンダース・ホーム」創設の功績ばかりが注目されるが、彼女にはこうして隠れキリシタン遺物の収集に力を尽くした功績もあるということをこの目録集は訴えているのだ。
 その隣には刀剣の鍔(つば)がいくつも並べられていた。

 

 内部に磔像が隠された鍔は、もともとは携帯用の入れ物だったらしい。それを改造して鍔に仕立てたのである。

 十字を刻んだあからさまな鍔もあるが、どこにキリスト教の印があるのかわからないものもある。専門家による鑑定でも、はっきりと断定できない場合もあるようだ。
 そして中央の棚に移ると、そこから奥の壁にかけて、まさに数々の神仏像が並んでいた。
 これ、これ、これが見たかったのだ。
 多いのはマリア観音像で、木製のものや磁器でできたものなどいろいろあるが、もともと日本には慈母観音、子安観音といった赤ん坊を抱えた観音像が存在していたから、それをそのまま幼子キリストを抱くマリアさまに見立てれば、見つかっても怪しまれないということはあったかもしれない。
 ただキリストを抱くマリア像は、教会で実物を見ると、キリストがだいぶおっさんくさいというか、体は幼子状であっても、首がまっすぐ座って顔が覚醒していることが多い。それが本式となれば、慈母観音とは見た目もだいぶ違ってくる。
 禁教時代の日本人はそんな首のすわった幼子状キリストのことなど知らなかったかもしれないが、役人によっては、この慈母観音の赤ん坊は違和感がある、なぜ母の胸に寄りかからず、こちらを向いて座っているのか、それになぜ顔がおっさんくさいのか、と怪しんだ者もいたのではあるまいか。
 そういう意味では、逆に信者の側もただ観音さまが赤ん坊を胸に抱いているだけではマリア感を感じられず、そういう像には少し本式の印を加えたくなったりしたかもしれない。
 飛騨で発見された木喰仏(もくじきぶつ)ふうの子安観音像は、胸飾りがT字になっており、これこそはそうやって一歩踏み込んだ表現だった可能性がある。十字はあからさまだからTにしておくというのは、隠れキリシタン遺物によくある表現である。

 

 さらに、ふたつの清風マリア観音も、首もとに発疹のような形で十字を表現している。ただの慈母観音ではないとあえて主張しているのだ。右のマリア像が抱く赤ん坊は、縦になって座っており、まさにキリストの姿勢であることがわかる。

 
 

 一方、経筒型厨子に納まる青銅マリア像は、片膝立ちの観音像に見せながら、背中にはっきりとした十字が刻まれている。厨子から出さない限り、それがバレることはないだろう。

 

 額と唇にかすかに紅をさした石のマリア像は、見るからに美しいお地蔵さまといったふうだが、背中に見事な十字が刻まれ、潔いほどだ。

 

 このように表向きは観音や地蔵であるけれども背中に十字やキリスト像というのは、とても多いパターンで、中には背中の蓋を外すと、内部にキリスト像が隠れているタイプもある。

 

 大黒様の背負う袋に蓋がついていて、その中に磔像というのも面白かった。

 
 

 さらに、もともとはなかったキリスト像を彫ったものもある。
 能勢妙見大士像とされる精緻な像は、背中にあとからキリスト像が彫り込まれたものだという。なるほど、1から作るのではなく、そうやってすでにある像を使う方法もあるのだ。

 

 だが私が思うに、背中に彫るのはずいぶんやばいのではあるまいか。ひっくり返されたら終わりだ。
 そういう意味では、この隠十字仏像のような工夫も必要かと思われる。

 

 痛快な神像もある。
 家康像とされるそれは、見た目は堂々たる家康像であるが、頭を取り外すと首の断面に十字が刻まれている。さらに手元に抱えた板状のものにも十字が刻まれ、これは釜炭を塗り込んで隠していたとされるが、よく見ると巾子(こじ)と呼ばれる頭上の冠部分にもそれとわからないほど小さな十字が刻んである。
 家康といえば禁教令を敷いた張本人であり、その家康を拝むと見せて実はキリストを拝んでいるという皮肉。それも3つもの十字を背負わせ、もっと言うなら、家康の首をとってそこに十字というのはまさに痛烈なる風刺を含んでいるとも言えて、よくぞこんな危険なものを隠し持っていたものである。

 
 

 私がいいなと思ったのは、かわいいお地蔵さん。

 
 

 背中にラフな十字が彫られていて味がある。
 素朴なつくりの大黒様もよかった。

 

 これは手に持った小槌が十字を表しているが、ふつうはこっちに向かって振り上げている小槌が横向きになっているところがミソだ。全体にカクカクして技術的にこうしか彫れなかったふうを装っているのがうまい。
 そして、ジゾース様と呼ばれた像。

 

 ジゾースとは、地蔵とジーザスをかけたもので、つまりダジャレである。人に聞かれたときは、おジゾー(ス)様とかいって、語尾を濁してごまかしたのだろうか。
 フランシスコ・ザビエルが、大日如来のことを、
 ダイニチ→デニチ→デウス
 と読み替えて布教活動を行なったエピソードを思い出す。大日如来の正体はデウス様だったというわけだ。それに反対する仏教徒たちは、デウスのことを、
 デウス→ダイウス→大嘘(ダイウソ)
 と読み替え、これもダジャレで対抗した。
 宗教闘争というような重大な場面でも人はダジャレを使う、という事実には驚きを禁じ得ない。
 ところで、すでに時代は昭和であったとはいえ、これだけの遺物を譲り受けるのは相当な苦労だったのではないだろうか。人は代々祈り続けてきたものを、そう簡単に手放すだろうか、と不思議に思った。
 西田さんにその点を尋ねると、家に伝わっているけれども自分はクリスチャンではないという人もあっただろうし、そのなかには神仏だから処分できないという人も結構いたのではないか、そんなときに澤田美喜が集めているとなれば、出す人もあったでしょうとのこと。
 なるほど、信仰そのものも手放していたのであれば、こだわりは少なかったのかもしれない。
 展示品には、ほかにも、装飾の精緻な携帯式の聖餐式用具、細川ガラシャの使用したかんざし、お寺の蟇股(かえるまた・梁のうえにある欄間のようなもの)に偽装されたキリスト降誕図など、珍しいものが多くあって、いつまでも見ていたかったが、面白い面白いと喜んでばかりいると不謹慎な気もするので、西田さんにお礼を言ってこのへんで切り上げることにした。

 
 

 最後に西田さんは、
「このように250年もの間、守り抜いた信仰があるということを、キリスト教が16世紀半ばにはるばる命をかけて日本にやってきたということも含めて、多くの人に知ってほしい」とおっしゃっておられた。
 隠れキリシタン美術に惹かれる者として、そのことをゆめゆめ忘れないようにしたい。(撮影・菅野健児)