Kangaeruhito HTML Mail Magazine 691
 
『〆切本』(左右社)

傑作誕生の舞台裏(その1)
 
「この本、絶対に気に入ると思いますよ」と差し出された1冊は、はたして後を引く味わいの本でした。題してズバリ、『〆切本』。
 
 明治の夏目漱石から、現代の村上春樹にいたるまで、作家と呼ばれる人たちが「締切」とのいわく言いがたい関わりを、飾らず、衒(てら)わず、ありのままに綴ったエッセイ、日記、手紙、対談、漫画、はては「謝罪文」までを集めた90人、94篇のアンソロジーです。
 
 表紙やカバー、見返しに抜書きされた、書き手の呻(うめ)きとも愉悦ともつかないような、数々の名セリフ。切羽詰まってこんな肉声を吐かせるところに、「締切」という縛りの本領――尋常ならざる不思議な力を感じます。
 
・「どうしても書けぬ。あやまりに文芸春秋社へ行く」
・「ほんとに風邪ひいたんですか」「ほんとだよ」
・「用もないのに、ふと気が付くと便所の中へ這入っている」
・「鉛筆を何本も削ってばかりいる」
・「今夜、やる。今夜こそやる」
・「ああ、いやだ、いやだ。小説なんか書くのはいやだ」
・「かんにんしてくれ給へ どうしても書けないんだ」
・「私(作者)の頭脳は、完全にカラッポになってしまったのです」
・「おたくのFAXこわれていませんか」
・「二十分とは根気が続かない」
・「不甲斐ないことに、いつまでたっても情熱が起こりません」
・「様子をみにきたのですよといはれてほろりとする」
・「やむにやまれずカンヅメされることを受諾」
・「殺してください」
 
 どれもが、「あるある」と頷きたくなる事例ばかり。仕事柄、無関心ではいられないテーマだけに、すでに個人用フォルダーにストックしていた文章もいくつかありました。しかし、初見の「絶品」も数多く、悲喜こもごもの実録と、そこに刻まれた名言至言の楽屋裏を妄想たくましく推量しながら、ゆっくり堪能した次第です。
 
「締切遅延組」の筆頭格で、数々の伝説を打ち立ててきた大物作家の言行録は、いつ読んでも滋味深く、切なさ、いとおしさがこみ上げます。さりとて律儀な「締切厳守組」が優等生でつまらない、といった評価も当てはまりません。締切という制約があってこそ知る、あまりに人間的な作家の素顔に、得も言われぬ面白さ、個性の深さを感じます。どんな泣き言にも恨み節にも、思わず威儀を正して聞き入るのは、そこに真剣さがあるからです。
 
・「発想の最大原動力は原稿の締め切りである」(山田風太郎)
・「仕事はのばせばいくらでものびる。しかし、それでは、死という締切りまでにでき上る原稿はほとんどなくなってしまう」(外山滋比古)
・「<終わり>が間近に迫っているという危機感が、知に、勇気ある飛躍を促し、ときに驚異的な洞察をもたらすのである」(大澤真幸)
・「不自由な方が自由になれるのである」(米原万里)
 
 それにしても、本書の編集にかけられた手間ひま、情熱は大したものです。一篇一篇の選定から、装幀、デザイン、用紙の使い分け、巻末の「著者紹介・出典」リストにいたるまで、気合のこもった本作りです。あだやおろそかにできない94篇であるだけに、取り扱う側にも相応の覚悟と礼節が必要だというわけです。
 
 さて、以前このメルマガでも、私のささやかな体験を記した野坂昭如(No.655参照)さんや、「遅筆堂」こと井上ひさしさん、戦後ジャーナリズムの興隆期に恐るべき数の連載小説をこなした梶山季之さんなどは、当然のように登場しています。が、ここで異次元の存在として、改めて刮目したのは手塚治虫さんでした。全文を紹介したくなる「編集者残酷物語」という一篇。
 
<編集者仲間では、ぼくのことを陰で、手塚おそ虫(原稿がおくれる)とか、手塚うそ虫(締め切り通りに描きますと約束しては、ちっとも守らない)とか呼んだ。
 本郷の旅館へカンヅメになったときなど、他社の編集者が、刑事の真似をしたことがある。その記者は、玄関で居留守を使われるのを警戒して、宿の番頭に「実は、お宅に、これこれこういう人相の男が泊まっているはずだが、それは実は指名手配中の男だから、こっそり覗かせてもらいたい」と言って、黒い手帳を見せた。旅館は大騒ぎになって、ぼくはとうとう指名手配の犯人にされてしまった。
 ある日、ぼくの泊まりつけのホテルへ某社の記者がおどりこんできて、ものも言わずに、かたっぱしから部屋をあけて中を覗いて回った。もっとも、そのときは本当にぼくはいなかった。あとでぼくが泊ろうと思ってそのホテルへ行くと、フロントが烈火のごとく怒っていて、剣もほろろに、「手塚さんなら、お泊めできません!」と断わった。「手塚さんをお泊めすると、ほかのお客さん全部にご迷惑がかかります!」
 また、ある記者は、東京駅までぼくを追跡し、大阪行き列車へぼくにつづいて飛びこんだが、懐中無一文だったので、車掌につるし上げられたそうだ。
 編集者どうしの、ぼくをめぐっての喧嘩などザラで、みんな、手塚担当と聞くと、女房子供と水盃をして来るという噂が飛ぶくらい悪評が高かった>
 
 この文章が書かれたのは1969年(手塚さん40歳)頃のようですが、記者への詫び状、懺悔録というよりは、郷愁を帯びた懐旧談というところが、手塚治虫の手塚治虫たる所以でしょう。現に、文章は次のように結ばれます。
 
<二十年前の編集者は、どちらかというと飄逸(ひょういつ)たる文士風の人間が多く、それだけに個性も強くて、打てば響くような風格があった。その後、出版労組も確立し、出版社のカラーも画一化され、記者もサラリーマン化して、紳士だが、個性に乏しい人材が多くなったように感じるがどんなものだろう。作家は編集者によって瑠璃(るり)にも玉にもなるのであるから、それには強い個性の衝突がなければならないと思う。なにもそれは、締め切りで喧嘩しろというのではないが――>
 
  締切をはさんだ手塚さんと編集者の鬼気迫る制作現場のありさまは、『ブラック・ジャック創作秘話~手塚治虫の仕事場から~』(吉本浩二原作、宮崎克漫画、全5巻、秋田書店)を読むにしくはありません。子ども時代、毎回楽しみにしていた手塚作品が、どんな人たちの手によって、どんな汗と涙の結晶として届けられていたものだったか。雷に打たれたように驚き、感動しながら読みました。その中に、「編集の人から野放しにされたら、半分の作品も生まれなかったはず」という手塚さんの言葉も、たしかありました。
 
  手塚さんとともに、子ども時代の思い出につながる『サザエさん』の長谷川町子氏、『まんが道』の藤子不二雄A(*)さんの“締切奮戦記”も漫画の形で入っています。思えば、最初に編集者という仕事の原イメージを与えられたのは、締切に追い立てられる漫画家の絵柄を通じてでした。
 
 新聞社のオートバイが、原稿の受け取りにやってきます。あたふたしながらギリギリで、何とか原稿を手渡す長谷川町子さん(『サザエさんうちあけ話』)。藤子不二雄Aさんのほうは、遅れている原稿を奪取するために、編集者(角野記者)が応援部隊を含めた3名で「トキワ荘」の2階に乗りこんでくる場面。泊りがけ覚悟の決死の形相です。
 
「ほかの先生の原稿は全部はいって もう残っているのはきみたちの分だけだよ」
「印刷所の人も徹夜体勢で きみたちの原稿がはいるのを待っているんだよ!」
「きみたちが原稿おくらしたことで いかにいろんな人に迷惑をかけたかよく考えたまえ!」
「そう思ったらすこしでも早く原稿を仕上げてくれたまえ!」
 
 まだ駆け出しの「足塚茂道(藤子不二雄)」は、厳しい叱責を受けながら、最後の追い込み作業に取りかかります。丸3日ほど、すでにまったく寝ていない状態です。2人は互いに相手をペン先でつつきながら、襲ってくる睡魔を振り切って、朝方、ついに完成させます。
 
 仕上がった作品を手にすると、「ぼくもいろいろいったけど これも きみたちにハッパをかけるつもりでいったことだから気にするなよ!」と初めて笑顔を見せ、角野記者は引き上げていきます。2人はすぐに寝るのももったいないと、トキワ荘のまわりを散歩します。冬の朝、締切を乗り切った解放感が、いつになく彼らを饒舌にしています……。
 
 ストーリーも漫画のタッチも懐かしく、ふと急に、ある文章を思い出しました。紹介すると長くなるので、これは次回に譲ります。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
 
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