私の第二の故郷たる長野県には、至る所に清涼な川が流れており、その豊富な水を利用してワサビ栽培に日本酒造りなど、特徴的な産業が方々でいとなまれている。そんな水の都は、当然ながら水に依存する数多の動植物にとってもかけがえのない住処ともなっているのである。これら生物の中で、今回スポットを当てたいのがトビケラの仲間だ。

信州白馬岳の大雪渓を望む。豊かな雪解けの水が虫も人も育む。


 トビケラは、チョウやガの仲間と共通の祖先から分かれた昆虫のグループで、種数がとても多い。原則として、どの種も幼虫期には水中で過ごし、成虫になるとガのような姿となって空へと飛び立つ。川べりに住んでいる人であれば、夏の夜に街灯の周りに茶色っぽくて細身の羽虫が集まっているのをよく見かけるだろう。あれがトビケラである。通常、ガが止まる時のように翅を屋根型に畳んで止まるため、成虫を見た者は十中八九ガと見間違える。

ヒゲナガカワトビケラの成虫。しばしば夜間の街灯におびただしい数が飛来する。


 止まっている時の大きさは、大きなものなら頭から翅の先端まで4cmほどあるが、通常見かけるのは1cm以下~2cm前後の種ばかりだ。基本的にトビケラの成虫は、黒や茶色の小汚い色彩の種が多く、サイズも上述のように小さいものが大半を占めるため、およそ昆虫マニアが好んで収集する類のものではない。むしろ、昆虫マニアよりも釣り好きな人間の方が、この分類群に関しては明るいだろう。毛針のモデルとして、この手の羽虫はよく観察されているようだし、また水中にいる幼虫は、川虫と呼ばれて釣り餌に使われているからだ。特に後述のヒゲナガカワトビケラの幼虫などは、通称クロカワムシと呼ばれて、川釣りマニアの間では馴染み深いらしい。

ヒゲナガカワトビケラの若齢幼虫。成熟すると体は深い緑色になり、頭部も長くなる。


 釣りはさておき、長野県の一部地域では、昔からトビケラを含む川虫の類をザザ虫と呼び、佃煮にして食べてきたことで有名である。特に県の南部のほうでは、毎年時期を決めて専門の漁師が採集しているという。元々は多種多様な水生昆虫の幼虫を全部引っくるめてザザ虫と呼んでいたらしいが、近年ではザザ虫の生息地たる河川中流域の水質が変化し、ヒゲナガカワトビケラという種ほぼ一種ばかりしか採れなくなってきた。そのため、長野県内の土産物屋で売られているザザ虫の佃煮瓶の中身を見ると、見事にヒゲナガカワトビケラの幼虫しか入っていない状況である。ちなみに、お値段は結構高い(メンソレータムぐらいの小瓶で数千円!)。
 
 ヒゲナガカワトビケラの幼虫は、川底で不思議な巣を作って生活している。すなわち、川底の石の表面に砂利を集めて糸で固めた隠れ家をこしらえて固着させ、さらにそこから広範囲にクモの巣のような網を広げるのだ。この網に、上流から流れてくる有機物を引っ掛け、食べ漁るのが彼らの仕事である。トビケラの仲間は、成虫の姿こそどの種も代わり映えしない上に小汚いものばかりだが、幼虫時代には特徴的な形の巣を作るものが多く知られ、その巣の形はトビケラの種により千差万別である。

ヒゲナガカワトビケラの巣。


 ヒゲナガカワトビケラの作るクモの巣様の住処は、あくまでもそんなトビケラの巣の多様性のごくごく一面に過ぎない。河川上流の、清涼な水が滝のように岩を洗っているような所には、茶色い靴下のような細い袋がいくつもぶら下がっている。これもトビケラの巣で、大抵はタニガワトビケラ属の仲間のものである。彼らは糸で巣を作るが、ヒゲナガカワトビケラと違ってクモの巣状にせず、上に口が開いた袋状にする。これをミノムシ風に流れの只中へぶら下げて固着させることで、水流と一緒に流れてくる有機物を袋に引っ掛けて餌としているのだ。

タニガワトビケラ属の一種の巣と幼虫。
袋の中に幼虫が潜む。

 やはり河川中流域の、川底の石にあまりコケがびっしりとこびりついていない辺りには、ニンギョウトビケラという小型種がいる。彼らは、川底の目の粗い砂利を沢山糸でつづり合わせて、筒状の巣を作る。筒巣は固着させないため、彼らはまるでヤドカリのようにこの筒巣を背負い、川底を這い回ることができる。だいたい長さ2cm、幅6mm程度のそれは、しばしば形がいびつで、見ようによっては人っぽい姿にも見える。山口県の錦帯橋では、地元の伝承に基づいてこの虫の巣を人形石と呼び、土産物として売っている事で有名である。もっとも、わざわざ錦帯橋まで足を運ばずとも、ニンギョウトビケラ自体は日本中に広く分布する普通種ではあるのだが……。

ニンギョウトビケラの巣と脚をのぞかせる幼虫。


 このニンギョウトビケラには、面白い天敵がいる。ミズバチという寄生蜂だ。見た目は体長1cm程、アリに翅を生やしただけのような、ただ黒くてつまらない外見の羽虫だ。しかし、この虫は水中に生息するニンギョウトビケラの蛹に寄生すべく、石を伝って潜水する特技をもつ。首尾よく川底の石にへばりついたトビケラの巣を見つけると、ハチはその巣材たる砂利同士の間から細い産卵管を突き立て、内部にいるトビケラの蛹に産卵する。孵化した幼虫は、トビケラの蛹の表面に取り付いたまま中身を吸って成長し、寄主を殺したのちその巣内で蛹になる。この際、ハチはトビケラの巣から細長いリボン状の突起物を伸ばすため、寄生された巣は奇観を呈する。この突起物は、ハチが呼吸をするためのものとも言われるが、はっきりした用途はいまだ判然としないようだ。

 トビケラの幼虫が種毎に見せる営巣形態の多様性には、目を見張るものがある。ヒゲナガカワトビケラやニンギョウトビケラが、比較的粒の粗い砂利を使って営巣するのに対して、温暖な地域の河川のやや上流に住むグマガトビケラは、非常に目の細かい砂を集めて、弓なりに反った細い筒巣を作る。隙間なくぎっしりと砂粒を敷き詰めて形成されたその巣は、しかし表面はなめらかで、見ていて実に心地よい出来栄えだ。

細かい砂を集めて作った、グマガトビケラの巣。


 他方、西日本の河川上流域の比較的浅い所に住むクチキトビケラ(クロアシエダトビケラ)は、石をつぎはぎして営巣せず、代わりに水底に沈んだ枝の中身をくり抜き、それを巣とする。遠目に見ると、単に水底に沈んだ枝と何も変わらないため、やや発見に難儀する。しかし、ただの落ち枝の多くが水流によって、流れのよどんだ川の縁に溜まるのに対して、クチキトビケラは関係なく至る所の水底を這う。なので、流れのやや強い川の真ん中あたりの水底にただ1本、不自然に木片が沈んでいたら、拾い上げてみると大抵トビケラが入っている。

クチキトビケラの幼虫。西日本に広く生息するが、近年減りつつある。


 そうかと思えば、河川上流のかなり流れの強い水底にいるクロツツトビケラは、砂利や木端を使わず、自前の材料で持ち運び可能な筒状の巣を作る。すなわち、絹のような成分を自分で吐き出して、黒くて固い巣を形成することができるのだ。この種の筒巣は長さ1cm弱、幅1mm程度の非常に小さなものだが、大きく拡大してみると表面に細かい溝が幾重にも走り、まるでアフリカの草食獣のツノを思わせる美しさをたたえている。山間にキャンプに行った時にでも、川で手に取れるサイズの石を持ち上げて裏側を見れば、5~6匹が平行に並んで寄り添いながら取りついているのを見られるだろう。何となく、石から生えた無精ヒゲに見えなくもない。

芸術的なシェイプのクロツツトビケラの巣。とても小さいが、1カ所に群生するので目立つ。


 基本的に、筒巣を作るトビケラの幼虫というのは比較的水深の浅い所にいるものが多く、水の上から姿を見つけることができる。また、彼らは脅かしてもその場で自分の巣に引っ込むだけなので、時間が経つと再び顔を出して本来の生活に戻る。なので、水際にしゃがんでじっとしていれば、野外で観察することはそんなに難しくない生物の範疇にある。ところが、例外的に観察難易度の恐ろしく高い種がいる。キタガミトビケラは、山間部の急流の川底にだけ生息する種で、いる場所には高密度でいるが、原則として割と珍しい。彼らの住処は常に水面が揉みくちゃな激流の只中にあり、しかもあまり浅い所にはいないので、水の外からきちんと観察できない。よって、観察するには観察者自らが潜水するか、虫を水槽等に一度移し替える他ないわけだが、それがとにかく一筋縄ではいかないのだ。

 キタガミトビケラの幼虫が作る巣自体は、流れてくる植物片を集めて作った普通の筒巣だ。しかし、彼らが変わっているのは、その筒巣の口から長い柄を伸ばし、川底の石に固定してしまうことである。身動き出来ない彼らは、代わりに巣口からまるで怪獣のように巨大でガッチリした脚を上流側にグワッと広げて、流れてくる他の生物を捕食する。通常はこのように固着生活を送る彼らだが、それ故彼らは周囲の敵の気配に異常なほど敏感だ。もし危険なものが迫るのを察知すると、彼らは素早く巣の固定部を噛み切り、水流に身を任せて瞬時に逃走してしまう。この虫を観察する難しさは、下手に刺激を与えるとすぐ逃げてしまい、ろくに観察できない所にある。

キタガミトビケラの幼虫。脚を広げてくれなかったが、この程度の写真を撮るのだって物凄く大変なのだ。


 例えば、水槽に移し替えようとして巣が固着した川底の石を手に取り、水から出してしまうと、必ず柄を噛み切ってしまう。敏感な個体だと、水中にいる状態でそれが固着した石を手に取ろうと頭上に手をかざしただけで、もう柄を齧り始める。この齧り行動は不可逆的なもので、一度始めてしまうとやめさせる手だてがない。逃げるそぶりを一度でも見せた個体は、もう観察には使えないのだ。この虫が脚を広げた姿は、小型ながらもまるでB級映画に出てくるモンスターのような禍々しさとカッコよさを醸しており、どうにかしてその様を綺麗に写真に収められないものかと試行錯誤しているが、今のところ相手の方がこちらの思考の一歩先を行っている。

 キタガミトビケラは日本のトビケラの中でもかなり珍奇な生態を持つ部類に入ると思うが、珍奇さで言えばカタツムリトビケラも外すわけにはいくまい。薄暗い山道脇の石清水(岩の表面を、伏流した水が伝って流れ出ているような場所)で、岩の表面をよく見てみると、時々丸い砂粒のようなものがぽつぽつ付いているのを見かける。これを拡大して見てみると、非常に細かい砂の粒子が集まって出来たカタツムリの殻のような形をしているのに驚かされる。これがカタツムリトビケラの幼虫の巣である。

カタツムリトビケラの巣。本家カタツムリの殻は種により右巻きと左巻きがあるが、この種の場合は今のところ右巻きしか見つかっていない。


 この種は普通のトビケラとは異なり、大きな川や池には生息せず、こうした少量の水が年間を通じて枯れることなく流れ続けているような場所にだけ住む。水深はほぼない場所なので、ほとんど陸生と言ってもいいような種だ。成虫が発生するのは初夏で、この時期に交尾・産卵する。生まれた幼虫は、浅い流水に洗われながら水底の有機物を餌に成長していき、冬から春にかけて大きく育つ。といっても、彼らの巣は最大サイズでもせいぜい2mm程度しかない。昔、このカタツムリトビケラの幼虫を捕まえて家で育てたことがある。
 プラスチックの小さなタッパーに砂利を敷き詰め、水を浅く張った中に幼虫を放った。粉状に砕いた金魚の餌でよく育ち、5月頭に成虫が羽化した。たった3mmほどしかない、ゴミのような黒い羽虫なのだが、拡大してよく見るとまるでカラスの濡れ羽色にも似た金属光沢をたたえた翅を持っていて、しばし見入ってしまったのを覚えている。
 このカタツムリトビケラ、不思議なことに日本では本土と南西諸島とで、生態がかなり違っている。本土では上述の通り、水量のごく少ない石清水でしか見られないのだが、南西諸島では普通に水量の多い川の水中に生息しているのだ。南西諸島の川の上流域では、しばしば川岸に生える植物の根っこが水中にむき出しとなり、流れに洗われているような場所がある。こういう所を、金魚を掬うような目の細かい網で丹念に掬うと、よく入る。本土と南西諸島とで、カタツムリトビケラの種が異なるというような噂をどこかで聞いたが、現状の分類に関して私は把握していない。

 数あるトビケラの中でも、今どうにかして姿を拝んでみたいものの一つに、オオナガレトビケラがある。上述のキタガミトビケラ同様に、山間部を流れる汚染されていない川から発生する種であり、トビケラとしては珍しく幼虫期に巣を作らない。敵に容易に襲われない川底の大きな石の下に住むため、巣を作る必要がないのだ。ただし蛹化の時には巣を作る。太い胴体の脇には、剛毛のようなエラが密生し、まるで怪物の様相を呈する。実際、獰猛な肉食性で、同じ場所にいる他の水生昆虫を貪り食う。
 この虫の成虫は、生息地に行きさえすれば比較的簡単に見られる(と言われるものの、私は一度も見たことがない)。夜間、川べりの灯火に飛んでくるからだ。ところが、これの幼虫はというと、その姿を見るのが殺人級に難しい。何せ、いる場所が激流のど真ん中か滝つぼの下。しかも、大人ひとりがようやく抱えて持ち上がるか持ち上がらないかというような、川底の巨岩の下にしかいない。私が大学時代に所属していた自然観察サークルの、水生昆虫に詳しいOB曰く、登山用ザイルでしっかり体を固定して入らないと一瞬で流されて溺れるほどの激流でなければ、アレは採れないらしい。
 私はこの虫に関して、過去の採集記録や学術論文を漁り、そこまでの重装備でなくても採れそうな場所がないかを調べた。その結果、長野県内のとある山間部の沢ならばどうにかなりそうだということになり、ある年の夏に出向いてみた。

オオナガレトビケラが恐らくいるであろう滝つぼ。生身では突入できない。


 現地に着いて状況を見てみると、確かにザイルまで持ち出す程ではなかったが、それでも水量と流れの強さはかなりのもので、少なくとも気軽に川遊びするような雰囲気ではなかった。意を決してズボンをまくり、川へ入る。真夏の8月なのに、5分も入り続けていられない冷たさ。水流が激しく足にぶつかり、跳ね返りがバシャバシャ飛び散って全身を濡らした。構わず、川底に横たわるなるべく大きな岩を探し、起こす。石のすぐ下流側に片手でタモ網を構えるため、岩を起こすのは空いているもう片方の手だけで行わねばならない。半分川底に埋まった岩を片手で持ち上げ続けると、結構腕と膝と腰に来るのだが、やっている当座は楽しさと興奮で脳内麻薬が大量に出まくっているため、全く気にならない。ガバッと岩を上げると、もうもうと砂と泥の煙幕が上がる。それを丸ごとタモ網で掬うと、いろんな生き物が入ってくる。魚のカジカ、カゲロウ、ブユの幼虫などなど……。
 しかし、どんなに掬っても、巨大な毛虫風の生物は入らなかった。この時探した沢をほんの少し下ると、大きな川の本流につながる。ここで探せば確実にいるのだろうが、ここはさらに水量が多い激流で、生身ではまず入れまい。一体、私があの虫をこの手に握りしめる日は、いつになるだろうか。川べりでずぶ濡れのまま下唇を噛み、地団太を踏む私を、あの毛むくじゃらの怪獣は水底からあざ笑うかのように見ているに違いないのだ。