集められた服を仕分けする
人たちは、受け取る難民の
笑顔を想像しながら服をたたむ

 およそ十四トンのリサイクル衣料が詰め込まれたコンテナの扉がガチャリと閉められた。トレーラーに載せられたコンテナは山口県の倉庫を出発して福岡県の博多港に向かい、数カ月後にタンザニアの港で荷揚げされるまで、その扉が開かれることはない。山口とアフリカはたしかに一本の〝服の道〟でつながっている―それを実感させる光景だった。

コンテナを載せて港を出ていく輸送船。


 ユニクロが、販売した商品を対象とする「全商品リサイクル活動」をはじめてから、二〇一六年で十年となった(フリースのみの回収は二〇〇一年に開始)。二〇一〇年からはジーユーでも回収を行っている。
 難民問題が世界的に注目を集めた二〇一五年秋には、「1000万着のHELP」と銘打って、新たに一千万着の衣類を回収するという目標をたてて今年の五月に達成。八月までに総計五千四百万近い服を回収し、グローバルパートナーシップを結ぶUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)などと連携し、ヨルダンやルワンダを含む世界六十二の国や地域の難民キャンプなどで二千三十三万着の寄贈を行ってきた。
 その様子は店頭のポスターやホームページの報告で知られるところだが、店頭や学校、企業などで回収された服が、難民キャンプに届けられるまでの間を、どんな人がどんな思いでつないでいるかはあまり語られてこなかった。今回は、全国から集められた服が日本を出発するまでにどのような「心づかいのリレー」が行われているのかをお伝えしたい。

段ボールから出された服が種類別に黄色いカゴに分けられていく。

選別基準は「受け取る人の気持ち」

 「ユニクロから『衣類の選別ができますか』と最初に打診があったのは、二〇一二年の暮れのことでした」。そう振り返るのは、山口県の運送会社専務の長崎正泰さん。
 倉庫に空きスペースはあったが、衣類の選別はやったことがない。人手の余裕はなく、資材も機材もノウハウもなかった。年があけてすぐに仕事が始まることになり、しばらくは試行錯誤の連続だったという。
 その結果たどりついた現在の選別の流れを簡単に説明すると以下のようなものになる。
 たとえば、昨年春号BACKSTAGE REPORTで報告した東京都多摩市立東愛宕中学校のように、ユニクロが全国の小・中・高校と協力し、子ども服に特化した衣料回収を学校単位で行う活動「届けよう、服のチカラ」プロジェクトに参加した学校から、段ボール箱に入った服が選別所に直接届けられる。こうした学校は子ども服のみを集めたが、全国のユニクロの店舗から届く箱には様々な服が混在する。それをまず、男性用、女性用、子ども服、ベビー服、さらにトップスやボトムス……など十八種類に分類してカゴに入れていく。その際、担当者は汚れていないか、破れていないかなどをひとつひとつ丁寧、かつ迅速に確認しながら、二つ折りにして収めていく。二つ折りなのは、圧縮してもシワになりにくく、受け取った人がきれいにすぐ使えるようにするためだ。
 それを約五十キロごとに専用の圧縮機に入れ、上下を再利用の段ボールではさんでヒモで縛る。ぎゅうぎゅうに圧縮されてひと固まりになったものを機械から運び出し、別の作業台で側面と天地をさらに段ボールで包み、異物が入らないように大きなビニールでぐるぐる巻きにする。「ベール」と呼ばれるこの固まりが、コンテナに詰められて世界各地へ運ばれていく。

圧縮された服の大きさにあわせて段ボールを折り、梱包して行く。


 この流れが決まるまで、いくつもの模索があった。運送会社代表の島田一城(かずしろ)さんが振り返る。
「はじめは衣類の体積を同じにしようとしたら重さがバラバラになるなど、約五十キロにそろえたベールを安定的に作れるようになるまでいろいろ考えました。ぐるぐる巻きにする資材もナイロンシートでやってみたら、膨らみができて積み上げるのが難しかった。そんな風に、最初はいろんなことに迷いました」
 ただ、もっとも悩ましかったのは技術面ではなく、心の問題だった。衣類の選別基準をどこに置くか、みんなが納得できる基準を作るのが意外に難題だったのだ。
 選別作業を担うスタッフたちはどうしても「もったいない」という気持ちから、少々の汚れや破損があるものも、難民寄贈用の選別カゴに入れたくなってしまう。たしかに、「まだ着られる」と思うか、「もう着られない」と思うかは人それぞれだ。選別を始めた当初、スタッフたちは迷うたびに判断を求めてきた。そこで島田さんはのべ十時間以上をかけてミーティングを重ね、選別の判断基準を統一した。
 そのときに強調したのが、受け取る人の気持ちだ。着るものに不自由している難民とはいえ、何でもいいわけではない。受け取る人の尊厳を考えると、汚れのあるものは送りたくない。その結果、現在は回収する服の二割近くが再利用ではなく、細かく裂いて金属を取り除く作業を経て、燃料としてリサイクルされている。

運送会社の島田一城さん。


 選別作業に当たる石山右子さんは、選別開始当初以来四年の経験をもつベテランで、段ボールから出した服を手際よく仕分けし、一枚ずつ汚れや破損を確認しながらきれいに折りたたむ。石山さんは時折ガムテープを手に巻き、ズボンについた糸くずを粘着面で丁寧にとってからカゴに入れる。「この服はどこの国に行くのかなー、といろいろ想像しながらたたむんですよ」と微笑んだ。
 二人の子どもを育てながら働く伊藤舞さんは「難民の子どもの写真をみると、自分の子どもと同じくらいかなとか考えるし、梱包しながら、この服を着る子どもがいるんだと思うとうれしさを感じます」と語る。
 石山さんと同じく働き始めて四年になる中山しのぶさんも、「五十四万着をルワンダに届けたという報告をみると、受け取った子どもの笑顔が忘れられないし、現地に届けたユニクロのみなさんの話を直接聞いて、難民キャンプを身近に感じながら、毎日一枚一枚たたんでいます」と語る。
 夏は暑く、冬は寒い倉庫での作業は大変だ。選別は立ち仕事だし、服を入れると七キロから八キロの重さになるカゴを何度も上げ下げして計量したり移動するのは大変な力が必要だ。梱包も全身を使っての作業であり、けっして楽な仕事ではない。だが、「難民支援のためのリサイクルの仕事」という求人に応じてきた人たちは単に給料のためというより、困っている人に服を届ける事業の一翼を担う手応えと意義を実感しながら働いている。
 梱包作業に当たる尼崎敏行さんは、理科の先生を定年退職したあと、去年からここで働いている。
「同じ働くなら、社会に喜ばれながら収益をあげている職場がいい。我々の作業が難民として生活する人々の助けになっていると思うと胸を張って仕事ができる。難民支援というと、どこか遠いことのようだけれど、我々だっていつ難民や災害被災者になるかもしれない。弱者にやさしい社会はみんなにやさしい社会です。それに、大量消費の時代は過ぎ、これからは一度使った衣類も有効に再利用しなければならない。その両方を満たす意義のある仕事だと思っています」

リレーされていく思い

 選別の結果、寄贈に回されなかった二割の服はどこにいくか? それが同じ山口県内にある廃棄物処理の会社だ。
 見学に行くと、破砕機で端切れにした服に紙とプラスチックを混ぜ合わせて圧縮し、高カロリー固形燃料RPF(Refuse Paper & Plastic Fuel)にする作業が行われていた。RPFは石炭などの化石燃料の代替として、大手製紙会社の専用ボイラーで活用されている。
 これがあるから、服の選別をする人たちは、「捨てるのではなく、燃料として有効利用される」という安心感を得て、受け取る人が気持ち良く使うことのできる質の良い服だけを選り分けることができる。
 別の会社で選別作業に当たる岡崎真理さんは言う。
「難民キャンプに服を届けたスタッフの話を聞いて、考えたこともなかったけれど、〝命の服〟ってあるんだとわかりました。私がたたんだ服で助かる人がいるかもしれないと思うとうれしい。だから、『もったいない』かどうかじゃなくて、受け取る人のことを考えて選別するんです」

選別作業に当たる岡崎真理さん。


 学校や店舗から届いた服はどれもきれいに洗濯されている。ポケットに「大切に着た服です。使ってください」といったメッセージが入っていることもある。選別作業をする人に向けて、店舗スタッフから「ありがとうございます。選別、よろしくお願いします」といったメッセージが同封されていることもある。幼稚園や学校から届く回収箱として使われていた段ボール箱の中には、キャラクターの絵が描かれたり折り紙が貼られたものもある。そんなとき、前出の尼崎さんたち梱包に当たる人は、絵や折り紙を梱包用段ボール箱の内側に入れて、子ども服やベビー服を詰める。そうしておけば、難民キャンプで荷が開かれたとき、現地の子どもを喜ばせる絵が服とともに現れるからだ。
 愛着のある服を差し出す人の思いが込められた段ボール箱いっぱいの服は、受け取る人の姿を想像しながら選別し、梱包する人たちのやさしい手を経て必要な人のところまで運ばれていく。
 この秋、バングラデシュ、ボツワナ、ブルキナファソ、モーリタニア、マラウイ、ジンバブエ、タンザニアなどに向けてさらに数百万着の服が送り出された。温かい心づかいのリレーはこれからも続いていく。

梱包されてベールになった服は倉庫に積み上げられて出荷を待つ。
再利用されなかった服は燃料になる。