今号の表紙はリスです。レジメンタルのタイも凛々しく、「いいぞ、応援!」という特集にエールを送っています。伊藤彰剛さんのイラストです。
 応援といえば、リオ五輪・パラリンピックの観戦には、やはり力が入りました。メダリストたちの栄光だけでなく、敗者たちの躍動にも強い印象を与えられました。またパラリンピックが日本でこれほどクローズアップされるのも、二〇二〇年の東京大会がいよいよ視界に入ってきたからでしょう。過剰な「国威発揚」のメダル獲得合戦だけでなく、パラリンピアン個々人に対する敬意、共感の輪が広がることで、本来オリンピックがめざしていた国際協調、世界の相互理解が再び理念として重視されればよいと思います。新しい風を期待しています。
 ところで、ここしばらく、公的な場での暴言や、ネット上の心ない誹謗中傷、いじめの横行が目につきます。礼節や品格などにはお構いなしで、人を罵倒し、傷つけることを愉しむかのような言葉の暴力が氾濫しています。世の中に広がる不安や怒り、孤独感をそうしたバッシングで解消、穴埋めしているのでは、という見方もされています。
 このようなイライラ、いじめが顕在化する一方で、困難に見舞われた人や、「すごい」人たち―本人がしかとは気づいていない「才能」を秘めた人を目にすると、思わず手を差し伸べ、背中を押したくなるのも人情です。手助けしなくてはという善意の発露ではありますが、それにもましてそうすることが純粋に楽しくて、うまくいけば一緒に「やったぁ!」と快哉を叫ぶ快感をすでに知っていることも理由のひとつです。
 人はなぜ応援したいと思うのか。何を見ると応援したくなるのだろう? どういう応援が心に響くのか? 悩んだことのある人は少なくないでしょう。私たち編集者の仕事というのも、これに尽きると言えそうです。胸にもやもやを抱えている人に、表現のための道すじを用意して、道中を一緒に歩きます。うまくいけば二人でバンザイ! 人のためか、自分のためか、問うてみても分かりません。
 そんなことを考えながら、今回の特集を思い立ちました。直接的には、春号の「考える人」リニューアルを三日通しの大イベントで後押ししてくれた「ほぼ日」TOBICHI②のスタッフに私たちが応援されたからでした。さりげない、それでいて繊細で行き届いた応援は、大きな勇気を与えてくれました。そんな東京糸井重里事務所の「応援力」を、ミクロで観察して、その「応援体質」を応援したい―そんな特集を組みました。

 本年度の小林秀雄賞は森田真生さんの『数学する身体』(小社刊)に決まりました。二〇一三年夏号の「数学は美しいか」の特集に「数学と情緒」というエッセイを寄稿していただいたのが最初のお付き合い。そして一五年春号の「数学の言葉」の特集では、三週間の濃密なヨーロッパ数学紀行に基づいて「計算の風景」というレポートをまとめていただきました。三十一歳の若い受賞者の誕生を、心から歓迎したいと思います。
 若松英輔さんの「岡倉天心」、安藤忠雄さんの「だから私は木を植える」の連載は今回が最終回です。代わって千葉望さんの新連載「風流人をさがして」が始まりました。初回は日本のインターネットサービスの先駆者であり、東京・上野の春の恒例「東京・春・音楽祭」実行委員会の委員長であり、その大パトロンでもある鈴木幸一さんにご登場願いました。
 夏目漱石の小特集は前号に続くものですが、今回は教師としての漱石の足どりを追いました。東北大学附属図書館に所蔵されている漱石の蔵書に圧倒されながら、「木曜会」を運営した〝サロン主宰者〟としての横顔に迫ります。
 また、『言葉を離れる』でこの度講談社エッセイ賞を受賞し、いま横尾忠則現代美術館(神戸)で「ヨコオ・マニアリスムvol.1」(十一月二十七日まで)を開催中の横尾忠則さんを囲んだ、糸井重里さん、細野晴臣さんの鼎談(前編)を掲載しました。あのYMOに入る寸前だった横尾さんが、なぜそうしなかったのか。真相が直接語られます。(和)