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『〆切本』(左右社)

傑作誕生の舞台裏(その3)
 
*迫りくる締切に苦しめられた90人の作家が、そのありさまを率直に綴った94篇のアンソロジー『〆切本』を前々回から紹介しています。
 
 さて、冷や汗もので締切の難関を乗り切り、読者に対する義務をひとまず果たし終えたのが『まんが道』の2人だとすれば、そうでない人たちの文章が、『〆切本』の掉尾(ちょうび)を飾ります。およそこの本以外ではあり得ない並びの、谷崎潤一郎と柴田錬三郎の両氏です。ともに揃って、読者に対するお詫びの文章です。
 
「『文章読本』発売遅延に就いて」――大トリを務めるのが、谷崎潤一郎です。「昭和九年九月」の日付があり、「中央公論」10月号「秋季特輯号」(同年10月1日発行)に掲載されました。
 
 谷崎の貫録というか、それ自体が実に格調高い一文で、「かねて中央公論社から予告のありました文章読本の発売が、私の事情のために遅れ、読者にも、出版者にも、書店にも、迷惑を懸けてをりますことを深く遺憾に存じます」に始まり、「以上、中央公論社に代り、作者としてお詫びを申し述べます」と結ばれています。
 
 この本がもともと中央公論社から出ることになったいきさつにも「文豪の我儘(わがまま)」がありました(*)。前月の「中央公論」9月号には「お待ち兼ねの名著愈々(いよいよ)九月三日発売」の広告も掲載されていました。
 
 作家が経緯を説明しています。いわく、原稿そのものは8月上旬に脱稿し、中央公論社ではそれをすぐに印刷所に回し、8月半ばには校正作業を終えて、速やかに著者の手許に届けていた。ところが、目を通してみると「内容に不満を覚ゆるところ尠(すく)なからず、而(しか)も全国からの註文が未曾有と云ふ報告を聞きましては、益々責任の重大さを感じ」、できるだけ完璧を期すべく、全文にわたっての改訂を思い立った、とあります。
 
 しかしながら、すぐに取りかかれない事情もあり、とうとう発売日を遅らせる結果になった。10月上旬には自分の手を離れるようにし、「遅くも十月下旬には皆様の御清鑑を仰ぎ得ることを期してをります」と。
 
 刊行されたのは、結局11月5日になりましたが、大作家自らが筆を執った「発売遅延の告知」には有無を言わせぬ力があります。大谷崎でなければあり得ず、大谷崎であればこそ意味を持つ(さらにいえば宣伝効果も大いに期待できる)文章です。
 
 かたや柴田錬三郎氏のほうは、「週刊プレイボーイ」の連載小説「うろつき夜太」第22回で発生した「事件」です。連載は1973年の同誌no.1からno.50まで続きました。連載期間のほぼ半ばに起こった出来事です。かつて「週刊新潮」連載の眠狂四郎シリーズで剣豪小説の一大ブームを巻き起こした人気作家が、「作者おことわり」の文章を綴ります。
 
<読者諸君!
 実は、まことに申しわけないことながら、ここまで――第一章を書きおわったところで、私(作者)の頭脳は、完全にカラッポになってしまったのです。
 二十余年間の作家生活で、こういう具合に、大きな壁にぶっつかり、脳裡が痴呆のごとくなって、どんなにのたうっても、全くなんのイマジネーションも生れて来ないことは、これまで、無数にありました。そうした場合、ペンを投げすてて、銀座へ出かけて、酒場で無駄な時間(本当は無駄ではないのですが)をつぶしたり、ゴルフへ出かけたり、ホテルを転々として、気分を変えて、なんとか、締切ギリギリで、原稿を間に合せていたのですが、こんどばかりは、ニッチもサッチもいかなくなり、ついに、こんなぶざまな弁解をしなくてはならなくなったのです。
 この『うろつき夜太』は、私と横尾忠則氏と、二人が、本誌編集部によって、私の家のごく近くにある高輪プリンス・ホテルに、とじこめられて書きつづけているのです>
 
 いまのご時世では考えられないような、至れり尽くせりの執筆環境が整えられています。カラーグラビア6pの連載のために、ホテルの2部屋を借り切って、2人の作家を1年間まるごとカンヅメにしていたというのです。
 
<このホテルは、外国の観光客があふれ、結婚式が一日に五組も六組も行われて居ります。
 それらの人々は、みな、はればれとした顔つきをして居ります。(中略)
 広いホテル内で、陰鬱な表情をしているのは、たった二人だけ――柴田錬三郎と横尾忠則だけです>
 
 自分たちは幽閉された囚人であるばかりか、締切という絶対に逃れられない縛りをかけられ、「七転八倒、地獄の苦しみ」にさいなまれている――と、締切の責め苦を訴えます。
 
<「助けてくれ!」
 誰かに向って、絶叫したい絶望状態に襲われてしまった。
 この生地獄(いきじごく)から、どう這い出せるか、目下、見当もつかない。
 おそらく、諸君には、そういう経験は、ありますまい。(中略)
 弱った!
 どたん場で、ついに、死んだ方がましなような悲惨な気持で、弁解しているのです。
 こういう弁解を書いた原稿を、横尾忠則氏に渡すと、どんなさし絵が描かれるか、私には、見当もつかない。
 二十余年の作家生活で、はじめてのことだと、受けとって頂きたい。(中略)
 どう絶叫して救いを乞おうと、週刊誌は、待ってはくれぬ。
 そこで、やむを得ず、こんなみじめな弁解を書いているのです。
 これは、決して、読者諸君を、からかったり、ひっかけたりしている次第ではありません。(中略)
 あと一時間で、「プレイボーイ」誌の編集者が、原稿を受けとりにやって来るが、私は、白紙を渡すわけには、いかない。
 黙って、悠々として、さらさらと書きあげたふりをして、部屋へ置きのこしておいて、私は、ロビイへ降り、ティ・ルームで、ブルーマウンテンでも飲むことにする。
 編集者は、急ぎの原稿を受けとると、その場で、読まずに、一目散に、印刷所へ駆けつけて行く習慣があることを、私は知っているからです。
「ああ、脱稿したよ」
「そうですか。間に合ってよかった!」
 それだけの会話で、彼は、印刷所へ車を突っ走らせるでしょう。印刷所で、読んでみて、愕然となるかも知れぬ。
 しかし、もう、書きなおしの時間はない。
 こっちは、ひと仕事すませたゆったりとした態度で、ブルーマウンテンの味でも、あじわって居ればいい。
 まことに、申しわけないが、いまは、この非常手段しかないのです。
 読者諸君! 
 私は、諸君をバカにしているのではないのですよ。
 こういうことは、二十年に一度の非常手段です。
 何卒、お許し頂きたい。
 私は、天才ではなく、諸君と同じ凡夫なのだから、心の中では、平身低頭して居ります。
 横尾忠則氏が、さて、どんなさし絵にしてくれるか、いまは、神のみぞ知る。アーメン!>
 
 現編集部の協力を得て、「週刊プレイボーイ」の当時の誌面を拝見してみました。横尾さんの挿絵! 柴錬さんがブルーマウンテンを味わっています。さて、横尾さんのほうは、このカンヅメ生活をどう思っていたのでしょう。最近のエッセイには、こうあります。
 


<七〇年代のぼくは何を考えていたのだろうかと時々考えることがあります。この時代のぼくの作品の大半がポスターと版画と本の装幀だったと思います。六〇年代の演劇関係の仕事からは完全に離れ、寺山修司や唐十郎、土方巽らとの交流もなく、もっぱら独りで思索することが多く、仕事の依頼も宗教的なものや、ロックや時には精神世界的なテーマのものが多くなってきました。この頃、(中略)ぼくは柴田錬三郎の連載時代小説「うろつき夜太」(『週刊プレイボーイ』)の挿絵とレイアウトを柴錬さんと高輪プリンスホテルに一年間カンヅメになって制作しました。朝食から夕食までほとんど柴錬さんと時間を共有し、柴錬さんの六〇年近い波乱に満ちた人生の全貌を聞き出すことに成功しました。 寡黙な作家として通っている柴錬さんの重い口を開かせたのは、きっとぼくの好奇心がそうさせたのかも知れません。祖父に育てられた幼年時代、戦争体験、作家志望と作家になってからの時代、文壇の交遊関係、女やバクチの話、ゴルフの話、中国の歴史と文学などなど今から想えばテープで記録しておけばよかったと思われるような貴重な内容ばかりです。こんな柴錬さんとの蜜月期間にも関らず柴錬さんの本は一冊も読んでいませんでした>(横尾忠則『言葉を離れる』青土社)
 
 出版界のよき時代。剛毅な企画であったと感嘆する他ありません。

 ところが直近でも、「すごい」締切破りの例がありました。今年4月15日発行の1冊です。なにしろ「まえがき」が「お詫び」になっていて、奥付の発行日のところには発売遅延を示す訂正シールが貼られています。それがご丁寧にも、ピンクの蛍光カラーのコート紙で、その上に小さく「やっちまいました」の文字が――。
 


 11年越しで刊行されたブック・デザイナー祖父江慎さんと彼が率いるコズフィッシュの作品集です。11年前(2005年11月)の展覧会直後に、過去の仕事の集大成を出版すると発表し、出版記念イベントまで組まれていたのです。
 


<イベントが始まる前に主催者の方に「出版記念なのに本が間にあわなかったときって、いつもどうしてますか?」と尋ねると、「そんなことは過去に一度もございません」との返事。……困りました。
 そんな困ったことになってしまった本というのが、実は今読んでいただいているこの本です>(「お詫び」と題する「まえがき」、『祖父江慎+コズフィッシュ』、パイ インターナショナル)
 
 遅れついでに「じっくり腰をすえて作り直し始め」たのはいいけれど、そうこうするうち「過去の仕事」がどんどん増えて、その数およそ1000冊! 網羅しようとすれば切りがなく、2006年以降の出版物については巻末に「全ブックリスト」としてデータを記載するにとどめました、と。
 
<そのため「祖父江慎+コズフィッシュ」は<全仕事>のつもりでスタートしたにもかかわらず、<前‐仕事>みたいになっちゃいました。いろいろな意味を込めて、ごめんね!
 そして、さあ、お待たせしました!!>
 
 仰天するような傑作は、まだまだ他にもあるでしょう。『〆切本』は後を引く味わいだと最初に記しましたが、私自身、まさかこのテーマで3回もメルマガを書くとは思いもしませんでした。げに、締切のドラマは世の常人の常!
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
 
*「文豪の我儘」については、いま刊行中の『谷崎潤一郎全集』(中央公論新社)第18巻所収「文章読本」の「解題」p553~p554に詳しく書かれています。
 

 
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