朝な夕な立ち寄るバールに、美しい人がいる。いつも簡素なデザインの黒の洋服なので、いっそう目を引く。
 そのうち話すようになり、昼どきにかかればいっしょに食事をするようになった。互いに観光客でないとわかると、途端にやりとりは身辺の話へと変わる。
 「この時期、結婚式が多くて」
 彼女は気忙(きぜわ)しい顔で、着席する間も惜しんでカウンターで立ったままトーストを頬張っている。装身具を作る工芸職人だという。
 祝儀に招待された女性たちが買いに来るのかと訊くと、
 「修復とリメイクの注文が多くて、余計に大変なの」
 よかったら作業を見に来ないか、と誘われた。
 
 ヴェネツィアの南、アカデミア橋の近くに工房はあった。往来の多い通りから外れたところにあり、そこで作り、保管し、売っている。
 狭い工房内の作業台や床には、大小の袋が散在している。覗くと、大きさと色ごとに仕分けされたトンボ玉がぎっしりと入っている。

©UNO Associates Inc.


 「最近のヴェネツィアのガラスものは玉にしろ置き物にしろ、アジアで大量生産される紛い物ばかりになってしまって……」
 多くの老練の職人たちは後継者を持たず、次々と窯を閉めているという。袋の中のトンボ玉は、彼女が少しずつ集めてきた本物である。古(いにしえ)からの匠の技と時間が詰まっている。
 「母親が、嫁ぐ娘へ家伝の装身具を贈る習わしがあってね。ヴェネツィアの家宝といえば、由緒あるトンボ玉なのよ」
 百年前など、新しいほう。中には四、五百年前まで遡るものもある。トンボ玉の中に、ルネサンス! もはや家宝を超えて、世界遺産級だ。
 彼女は、客から持ち込まれた年代ものの首飾りや指輪を磨きあげ、修繕し、眠っていたトンボ玉に現代を吹き入れて、新しい世代へと繋げる。 
 手持ちの材料では足りず、仕入れにいくことになった。彼女は、リアルト橋の手前を右へ左へと折れ、どんどん奥へと私を連れていく。
 突然、見たことのない小さな空き地に出た。それまでの人混みが嘘のように、周囲には誰もいない。取り囲む建物は朽ちて、いかにも怪しげだ。表札がない呼び鈴を押すと、鉄扉が開いた。

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 暗くて湿った建物の入り口を通り抜けると、二階分が吹き抜けとなった、広々とした場所に出た。奥まで続く平台の上や壁に、天井からもびっしりと玉が並び、吊るされてある。ガラス玉はもちろん、動物の角や牙、骨、乾いた木の実、石や貝といった天然のものから、裂いた布や糸、皮を丸めたものなどが、ところ狭しと置いてあるのだった。

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 「彼が<玉の狩人>よ」
 彼女は、持参した骨董の首飾りを奥から現れたその男性に見せている。手直しするのに、合うトンボ玉を見立ててもらうのだ。
 <玉の狩人>が奥から持ってきたのは、白とえんじ色、濃い青が基調のガラス玉だった。それではあまりに現代的すぎるのでは、と口を挟む私に、
 「千五百年代のものです」
 一個摘(つま)んで、手の平に載せてくれた。
 間近でトンボ玉の模様と色を見ているうちに、トルコのイスタンブールに気持ちが飛んだ。
 寺院の天井に、壁に、床に。菓子に、果物の断面に。そして、影に。
 緻密に錯綜する模様が刻まれる、あの町に。

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 さまざまな時代に世界各地から転がり込んだ無数の玉が、そこで眠っている。
 時空を超えて、閉じた目玉が出番をじっと待っている。

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